剣と戟と楯
一
司馬懿仲達は、中軍の主簿を勤め、この漢中攻略のときも、曹操のそばにあって、従軍していた。
戦後経営の施政などにはもっぱら参与して、その才能と圭角をぽつぽつ現わし始めていたが、一日、曹操にこう進言した。
「魏の漢中進出は、西蜀を震駭させ、玄徳をおそれ惑わせているようです。彼の性は、遅にして鈍重、もし丞相がこの時に、疾風迅雷のごとく蜀に入り給えば、玄徳の緒業は、瓦を崩すが如く砕け去るにちがいありません」
重臣の劉曄も、
「仲達の意見は、まったくわれわれの考えを代表しています。年月を経ては、文治に孔明あり、武門に関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超などの五虎あり、以前とちがって、錚々たる勇将を揃えているので、もうめったに玄徳を破ることは難しくなると思います。討つなら、今のうちでしょう」
と、しきりに云った。
これが以前の曹操だったら、一議に及ばぬことであろうが、赤壁の頃から、すでに彼も老齢に入る兆しが見えていた。この時も、
「隴を得て、またすぐ何か、蜀を望まん。わが軍の人馬も疲れている。まあ、もうすこし休息させる必要もあろう」と、急に動く気色もなかった。
一面。蜀の実情は、魏軍の目ざましい進出に対して、たしかに深刻な脅威をうけ、流言蜚語は旺に、今にも曹操が、蜀境を突破してくるようなことを流布していた。
何分にも、更生の蜀は、玄徳によって、新秩序が立てられてから、まだ日も浅いので、玄徳自身、多大の危惧を感ぜずにいられなかった。
その対策について、相議する時、孔明は明確に、方針を説いた。
「魏が膨脹を欲するのは、たとえば伸びる生物の意欲みたいなものですから、その意欲をほかへ向けかえて、ほかへ伸展し、ほかへその精気をそそがしめれば、即ち当分のうちは、蜀は無事を保ち得ましょう。そのあいだに国防を充実することです」と、前提してから、「それには今、能弁な士を呉へ使いに立てて、先に約した荊州三郡を、確実に呉へ返し、かつ、時局の険悪と、利害を説き、孫権をして、合淝の城(安徽省・合肥)を攻めさせるのです。――ここは魏にとって重要な境なので、さきに曹操が張遼を入れて守らせてあるほどですから、魏はたちまち、そこに神経をあつめ、必然、蜀よりはまず南方へ伸びて行こうとするに違いありません」
「計は甚だ遠大だが、さて、そんな外交的手腕を、誰が任じてゆくか」
玄徳が、座中を見まわした時、ふと一人の者と眼を見あわせた。その者はすぐ起って、
「私が行きましょう」
と、神妙にいった。諸人が、誰かと見ると、それは伊籍であった。
「伊籍ならば」と、孔明もうなずいたし、満座もみな彼に嘱した。即ち玄徳の書簡をのせて、伊籍は遠く長江を下った。
呉へ着く前、伊籍は、荊州へ上陸して、ひそかに関羽に会った。もちろん玄徳の内意と孔明の遠謀を語って打合せをすましておくためである。
呉では、この交渉をうけて、諸論区々にわかれた。ある者は、過日の関羽の無礼をなお憤っていて、
「断じて受けるな」といい、ある者は、
「それを拒んだら、荊州全体の領有まで、呉から棄権したこととなろう。三郡だけでも受取っておくべきだ」と主張する者も多い。
また、使者の伊籍が説くには、
「――それと共に、呉が合淝をお攻めになれば、曹操は漢中にいたたまれず、急遽、都へ引揚げましょう。玄徳は、直ちに、漢中を取ります。そして関羽を召し返して、漢中に入れ、荊州全土は、そっくり呉へ返上申す考えである」というのだった。
だから、三郡を受取るには、条件付のようなものだった。結局、張昭や顧雍などの意見も、みなそれに傾いたので、孫権もついに肚をきめて、伊籍からの交渉を全部容認し、ふたたび魯粛を荊州接収のため現地へ派遣した。
二
荊州の領土貸借問題は、両国の国交上、多年にわたる癌であったが、ここにようやく、その全部とまではゆかないが、一部的解決を見ることができた。
そこで、三郡の領土接収が無事にすむと、呉と蜀とは、初めて修交的な関係に入り、呉は、大軍を出して、陸口(漢口上流)附近に屯し、
「まず、魏の※城を取って、つづいて合淝を攻めん」
と、大体の作戦方針をそうきめた。
しかし※城の攻略は、決して楽でなかった。
呉としては、呂蒙、甘寧の二大将を先手とし、蒋欽、潘璋の二軍を後陣に、しかも中軍には、孫権みずから、周泰、陳武、徐盛、董襲なんどの雄将と智能を網羅した優勢をもってそれに臨んだのであるが、それにしても※城ひとつ落すために払った犠牲はかなりなものであった。
満城の血潮もまだ乾かぬ中で、孫権は、占領の日、旺な宴をひらき、
「戦はこれからだ。しかも幸先はいい」と、士気を鼓舞していた。
ところへ、余杭の地から、遅れ馳せに、凌統が着いて、中途から宴に加わった。
「残念なことをした。もう二日も早く着いていたら、この一戦に間に合ったものを」
と、凌統が左右の人々に語っていると、
「いやいや、まだ先には、合淝の城がある。合淝を攻めるときは、それがしの如く、一番乗りをし給え」と、上座のほうから慰め顔にいった者がある。
見ると、甘寧であった。
甘寧は、こんどの※城陥落の際、一番乗りをしたので、きょう祝賀の宴に、呉侯孫権から錦の戦袍を拝領し、座中第一の面目をほどこして、いちばん酔いかがやいていたのである。
「……ふふん。甘寧か」
凌統は、鼻さきで笑った。さっきから上機嫌な甘寧の容子は、たれの眼にも武功自慢に見えた。――のみならず凌統は、彼と眸を見あわせたとたんに、亡父のことを思い出していた。むかし甘寧に討たれて死んだ父のことがふと胸を掠めた。
(……うぬ)と思ったせいか、甘寧のほうでも、
(この青二才が)
といわぬばかりな眼光を与えて、
「凌統。何を嘲うか」
と、色を変えた。――いや、凌統が無意識に手をかけた剣の柄を、咎めるように睨めつけた。
凌統はハッとした。まったく時も場所がらも忘れて、剣にかけていた自分の手に、気がついたからだった。
「――あいや、私にはまだ武勲がないので、せめて座興に、剣の舞でも舞って、諸兄の労をお慰め申さんかと存じまして」
いいながら彼はすぐ起って、剣舞をしはじめた。甘寧もさてはと、うしろの戟をとるや否、
「いや面白い。君が剣をもって舞うなら、それがしは戟をもって興を添えん」
と、両々たがいに閃々たる光を交え、舞うと見せて、実は、心中の遺恨を刃にふくんで、隙あらば父の仇を果たさん、隙あらば返り討ちに斬り捨てんと――虚実を尽くし合っていた。
「やあ、ちと面白すぎる。まるで炎と炎のようだ。俺が水を差してやろう」
すわ、大事と見たので、呂蒙が楯を持って、ふたりの間へ飛びこんだ。そして巧みに、戟の舞と、剣の舞を、あしらいつつ、舞い旋り舞い旋り、ようやく事なくその場を収めた。
初めは、何気なく見えていたが途中から孫権も気づいて、酔も醒めんばかりな顔していた。しかし呂蒙の機転に、ふたりとも血を見ずに、座へもどったので、彼はほっとしながら、
「さてさて、鮮やかに舞ったな。ふたりとも優雅なものだ。杯を与える。揃って、わが前へ来い」
と、さしまねき、両手の杯を、同時にふたりの手に授けて、
「いまや、呉は初めて、魏の敵地を踏んだところだ。呉の興亡を担うている御身らには、毛頭私心などあるまいと思うが、わたくしの旧怨などは、互いに忘れてくれよ。いいか、ゆめ思うな」
と、くれぐれ諭した。