徐庶とその母
一
河北の広大をあわせ、遼東や遼西からも貢ぎせられ、王城の府許都の街は、年々の殷賑に拍車をかけて、名実ともに今や中央の府たる偉観と規模の大を具備してきた。
いわゆる華の都である。人目高いその都門へ、赤裸同然な態たらくで逃げ帰ってきた曹仁といい、またわずかな残兵と共にのがれ帰った李典といい、不面目なことはおびただしい。
「呂曠、呂翔の二将軍は帰らぬ」
「みな討死したそうだ」
「三万の兵馬が、いったい何騎帰ってきたか」
「あまりな惨敗ではないか」
「丞相のご威光を汚すもの」
「よろしくふたりの敗将を馘って街門に曝すべしだ」
などと都雀は口やかましい。
ましてや丞相の激怒はどんなであろうと、人々はひそかに語らっていたが、やがて曹仁、李典のふたりが、相府の地に拝伏して、数度の合戦に打ち負けた報告をつぶさに耳達する当日となると、曹操は聞き終ってから、一笑のもとにこういった。
「勝敗は兵家の常だ。――よろしい!」
それきり敗戦の責任については、なにも問わないし、咎めもしなかった。
ただ一つ、彼の腑に落ちなかったことは、曹仁という戦巧者な大将の画策をことごとく撃砕して、鮮やかにその裏をかいた敵の手並のいつにも似ない戦略ぶりにあった。
「こんどの戦には、始終玄徳を扶けてきた従来の帷幕のほかに、何者か、新たに彼を助けて、計を授けていたような形跡はなかったか」
彼の問いに曹仁が答えて、
「されば、ご名察のとおり、単福と申すものが、新野の軍師として、参加していたとやら聞き及びました」
「なに、単福?」
曹操は小首を傾けて、
「天下に智者は多いが、予はまだ、単福などという人間を聞いたことがない。汝らのうちで誰かそれを知る者はいるか」
扈従の群星を見まわして訊ねると、程昱がひとり呵々と笑いだした。
曹操は視線を彼に向けて、
「程昱。そちは知っておるのか」
「よく知っています」
「いかなる縁故で」
「すなわち潁上の産ですから」
「その為人は?」
「義胆直心」
「学は?」
「六韜をそらんじ、よく経書を読んでいました」
「能は?」
「この人若年から好んで剣を使い、中平年間の末、人にたのまれて、その仇を討ち、ために詮議にあって、面に炭の粉をぬり、わざと髪を振り乱し、狂者の真似して町を奔っていましたが、ついに奉行所の手に捕わるるも、名を答えず、ために、車の上に縛られて、市に引きだされ――知る者はなきか――と曝し廻るも、みな彼の義心をあわれんで、一人として奉行に訴える者がなかったといわれております」
「うむ、うむ……」
曹操は、聞き入った。非常な興味をもったらしく、程昱のくちもとを見つめていた。
「――しかもまた、日ごろ交わる彼の朋友たちは、一夜、結束して獄中から彼を助けだして、縄をといて、遠くへ逃がしてやったのです。これによって、以後苗字をあらため、一層志を磨き、疎巾単衣、ただ一剣を帯びて諸国をあるき、識者につき、先輩に学び、浪々幾年かのあげく、司馬徽の門を叩き、司馬徽をめぐる風流研学の徒と交わっているものと聞きおよんでおりました。――その人は、すなわち潁上の産れ徐庶字は元直――単福とは、世をしのぶ一時の変名にすぎません」
二
徐庶の生い立ちを物語って、程昱のはなしは、まことにつまびらかであった。曹操は、それの終るのを待ちかねていたように、すぐ畳みかけて質問した。
「では、単福というのは、徐庶の仮名であったか」
「そうです、穎上の徐庶といえば、知る人も多いでしょうが、単福では、知る者もありますまい」
「聞けば聞くほど、ゆかしいもの。士道――借問するが、程昱、そちの才智と徐庶とを比較したら、どういえるか」
「到底、それがしの如きは、徐庶の足もとにも及びません」
「謙遜ではないのか」
「徐庶の人物、才識、その修業を十のものとして、たとえるならば、それがしの天稟はその二ぐらいにしか当りますまい」
「ウーム。そちがそれほどまで称えるところを見れば、よほどな人物に違いない。曹仁、李典が敗れて帰ってきたのはむしろ道理である。……ああ」と、曹操は嘆声を発して、
「惜しい哉、惜しい哉、そういう人物を今日まで知らず、玄徳の帷幕に抱えられてしまったことは。かならずや、後に大功を立てるであろう」
「丞相。そのご嘆声はまだ早いかと存ぜられます」
「なぜか」
「徐庶が玄徳に随身したのは、ごく最近のことと思われますから」
「それにしても、すでに軍師の任をうけたとあれば」
「かれが、玄徳のために大功をあらわさぬうちに、その意を一転させることは、さして、至難ではありません」
「ほ。その理由は?」
「徐庶は、幼少のとき、早く父をうしない、ひとりの老母しかおりません。その老母は、彼の弟徐康の家におりましたが、その弟も、近ごろ夭折したので、朝夕親しく老母に孝養する者がいないわけです。――ところが徐庶その人は、幼少より親孝行で評判だったくらいですから、彼の胸中は、今、旦暮、老母を想うの情がいっぱいだろうと推察されます」
「なるほど――」
「故にいま、人をつかわして、ねんごろに老母をこれへ呼びよせ、丞相より親しくおさとしあって、老母をして子の徐庶を迎えさせるようになすったら、孝子徐庶は、夜を日についで都へ駈けて参るでしょう」
「むむ。いかにも、おもしろい考えだ。さっそく、老母へ書簡をつかわしてみよう」
日を経て、徐庶の母は、都へ迎えとられて来た。使者の鄭重、府門の案内、下へも置かない扱いである。
けれど、見たところ、それは平凡な田舎の一老婆でしかない。まことに質朴そのものの姿である。幾人もの子を生んだ小柄な体は、腰が曲がりかけているため、よけい小さく見える。人に馴れない山鳩のような眼をして、おどおどと、貴賓閣に上がり、あまりに豪壮絢爛な四壁の中におかれて、すこし頭痛でも覚えてきたように迷惑顔をしていた。
やがてのこと、曹操は群臣を従えて、これへ現れたが、老母を見ると、まるでわが母を拝するようにねぎらって、
「ときに、おっ母さん、あなたの子、徐元直はいま、単福と変名して、新野の劉玄徳に仕えておるそうですな。どうしてあんな一定の領地も持たない漂泊の賊党などに組しておるのですか。――可惜、天下の奇才を抱きながら」
と、ことばもわざと俗に噛みくだいて、やんわりと問いかけた。
三
老母は、答を知らない。相かわらず、山鳩のような小さい眼を、しょぼしょぼさせて、曹操の顔を仰いでいるだけだった。
無理もない――
曹操は、充分に察しながら、なおもやさしく、こういった。
「のう、そうではないか、徐庶ほどな人物が、何を好んで、玄徳などに仕えたものか。まさか、おっ母さんの同意ではあるまいが。――しかも玄徳は、やがて征伐される運命にある逆臣ですぞ」
「…………」
「もし、あなたまでが同意で奉公に出したなら、それは掌中の珠をわざわざ泥のうちへ落したようなものだ」
「…………」
「どうじゃな、おっ母さん。あんたから徐庶へ手紙を一通書かれたら? ……。わしは深くあなたの子の天質を惜しんでおる。もしあなたが我が子をこれへ招きよせて、よき大将にしたいというなら、この曹操から、天子へ奏聞いたして、かならず栄職を授け、またこの都の内に、宏壮な庭園や美しい邸宅に、多くの召使いをつけて住まわせるが……」
すると、――老母は初めて唇をひらいた。何かいおうとするらしい容子に、曹操はすぐ唇をとじて、いたわるようにその面を見まもった。
「丞相さま。この媼は、ごらんの通りな田舎者、世のことは、何もわきまえませぬが、ただ劉玄徳というお方のうわさは、木を伐る山樵でも、田に牛を追う爺でも、よう口にして申しておりまするが」
「ほ。……何というているか」
「劉皇叔こそ、民のために生れ出て下された当世の英雄じゃ、まことの仁君じゃと」
「はははは」――曹操はわざと高く笑って、
「田野の黄童や白叟が何を知ろうぞ。あれは沛郡の匹夫に生れ、若くして沓を売り、莚を織り、たまたま、乱に乗じては無頼者をあつめて無名の旗をかざし、うわべは君子の如く装って内に悪逆を企む不逞な人物。地方民をだましては、地方民を苦しめて歩く流賊の類にすぎん」
「……はてのう。媼が聞いている世評とは、たいそう違いすぎまする。劉玄徳さまこそ、漢の景帝が玄孫におわし、尭舜の風を学び、禹湯の徳を抱くお方。身を屈して貴をまねき、己を粗にして人を貴ぶ。……そうたたえぬものはありませぬがの」
「みな玄徳の詐術というもの。彼ほど巧みな偽君子はない。そんな者にあざむかれて、万代に悪名を残さんよりは、今もいうた通り、徐庶へ手紙を書いたがよかろう。のう老母、ひと筆書け」
「さあ? ……それは」
「何を迷う。わが子のため、また、そなた自身の老後のために。……筆、硯もそこにある。ちょっと認めたがいい」
「いえ。いえ」
老母は、にわかにきつくかぶりを振った。
「わが子のためじゃ。――たといここに生命を落そうと、母たるこの媼は、決して筆はとりませぬ」
「なに。嫌じゃと」
「いかに草家の媼とて、順逆の道ぐらいは知っておりまする。漢の逆臣とは、すなわち、丞相さま、あなた自身ではないか。――何でわが子を、盟主から去らせて、暗きに向わせられようか」
「うむ、婆! この曹操を逆臣というたな」
「云いました。たとい痩浪人の母として、世を細々としのごうとも、お許のごとき悪逆の手先にわが子を仕えさすことはなりませぬ」
きっぱりと云いきった。そして、さっきから目の前に押しつけられていた筆を取るやいな、やにわに庭へ投げ捨ててしまった。当然曹操が激怒して、このくそ婆を斬れと、呶号して突っ立つと、とたんに、老母の手はまた硯をつかんで、はっしと、曹操にそれを投げつけた。
四
「斬れっ、婆の細首をねじ切って取り捨てろっ」
曹操の呶号に、武士たちは、どっと寄って、老母の両手を高く拉した。
老母は自若としてさわがない。曹操はいよいよ業を煮やして、自ら剣を握った。
「丞相、大人げないではありませんか」
程昱は、間に立って、なだめた。
彼はいう。
「ごらんなさい。この老母の自若たる態を。――老母が丞相をののしったのは、自分から死を求めている証拠です。丞相のお手にかかって殺されたら、子の徐庶は、母の敵と、いよいよ心を磨いて、玄徳に仕えましょうし、丞相は、かよわき老母を殺せりと、世上の同情を失われましょう。――そこに老母は自分の一命を価値づけ、ここで死ぬこそ願いなれと、心のうちでホホ笑んでいるにちがいありません」
「ううム、そうか。――しからばこの婆をどう処分するか」
「大切に養っておくに限ります。――さすれば徐庶も、身は玄徳に寄せていても、心は老母の所にあって、思うまま丞相に敵対はなりますまい」
「程昱、よいように計らえ」
「承知しました。老母の身は、私が大切に預かりましょう。……なお一策がありますが、それはまた後で」
彼は自分の邸へ、徐庶の母をつれて帰った。
「むかし同門の頃、徐庶と私とは兄弟のようにしていたものです。偶然あなたを家に迎えて、何だか自分の母が還ってきたような気がします」
程昱は、そういって朝夕の世話も実の母に仕えるようだった。
けれど、徐庶の母は、贅美をきらい、家族にも遠慮がちに見えるので、別に近くの閑静な一屋へ移して、安らかに住まわせた。
そして折々に珍しい食物とか衣服など持たせてやるので、徐庶の母も、程昱の親切にほだされて、たびたび、礼の文など返してきた。
程昱は、その手紙を丹念に保存して、老母の筆ぐせを手習いしていた。そしてひそかに主君曹操としめし合い、ついに巧妙なる老母の偽手紙を作った。いうまでもなく、新野にある老母の子徐庶へ宛てて認めた文章である。
単福――実は徐元直はその後、新野にあって、士大夫らしい質朴な一邸を構え、召使いなども至って少なく、閑居の日は、もっぱら読書などに親しんで暮していた。
すると或る日の夕べ、門辺を叩く男がある。母の使いと、耳に聞えたので、徐庶は自身走り出て、
「母上に、何ぞ、お変りでもあったのか」と、訊ねると、使いの男は、
「お文にて候や」と、すぐ一通の手紙を出して徐庶の手にわたし、
「てまえは他家の下僕ですから、何事も存じません」と、立ち去ってしまった。
自分の居間にもどるやいな、徐庶は燈火をかきたてて、母の文をひらいた。孝心のあつい彼は母の筆を見るともう母のすがたを見る心地がして、眼には涙が溜ってくる――
庶よ、庶よ。つつがないか。わが身も無事ではいるが、弟の康は亡くなってしもうたし、孤独の侘しさといってはない。そこへまた、曹丞相の命で、わが身は許都へさし立てられた。子が逆臣に与したという科で、母にも縲紲の責めが降りかかった。が、幸いにも程昱の情けに扶けられ安楽にはしているが、どうぞ、そなたも一日も早く母の側に来てたもれ。母に顔を見せて下され――
ここまで読むと徐庶は、潸然と流涕して燭も滅すばかり独り泣いた。