火中の栗

――一同、その一沓音にふりかえって、誰かと見ると、零陵泉陵の産、黄蓋、字は公覆といって、いま呉の糧財奉行、すなわち大蔵大臣の人物だった。
 ぎょろりと、大堂を見わたしながら、天井をゆするような声で、
「諸公はいったい何しとるんかっ。孔明先生は当世第一の英雄じゃ。この賓客にたいし、愚問難題をならべ、無用な口を開いていたずらに腸を客に見するなど、呉の恥ではないか。主君のお顔よごしでもある。慎まれいっ」
 そして孔明に向っては、きわめて慇懃に、
「最前からの衆臣の無礼、かならずお気にかけて給わるな。主君孫権には、はやくより清堂を浄めて、お待ちしておりまする。せっかくな金言玉論、どうかわが主君にお聴かせ下さい」
 と、先に立って、奥へ案内して行った。
 ばかな目を見たのは、むきになって討論に当った諸大将であった。もとよりこれは黄蓋が叱ったわけではない。誰か孫権へ告げた者があって、孫権の考えから、賓客のてまえ、こう一同にいわざるを得なくなり、黄蓋が旨をふくんできたものにちがいない。何にせよ、それからの鄭重なことは国賓を迎えるようであった。黄蓋と共に、魯粛も案内に立ち、粛々、中門まで通ってくると、開かれたる燦碧金襴の門扉のかたわらに、黙然、出迎えている一名の重臣があった。
「おお……」
「おお……」
 孔明は、はたと足をとめた。
 その人も、凝然と、彼を見まもった。
 これなん、呉の参謀、孫権が重臣、そして孔明にとって実の兄たる諸葛瑾であった。
 久しいかな、兄弟相距ち、また相会うこと。
 幼い者が手をつなぎあって、老いたる従者や継母などと一緒に、遠く山東の空から南へ流れ流れて来た頃の、あの時代のお互いのすがたや、惨風悲雨の中にあった家庭のさまが、瞬間、ふたりの胸にはこみあげるように思い出されていたにちがいない。
「亮。この国へ見えられたか」
「主命をおびてまかり越しました」
「見ちがえる程になった」
「家兄にも……」
「呉へ来たなら、なぜ早く、わしの邸へ訪ねてくれなかったか。旅舎からちょっと沙汰でもしてくれればよかったのに」
「このたびの下江は、劉予州のお使いとして来ましたので、わたくしの事は、すべて後にと控えていました。ご賢察くださいまし」
「それも道理。――いやいずれ後でゆるりと会おう。呉君にもお待ちかねであらせられる」
 諸葛瑾は、呉の臣に返って、うやうやしく賓客を通し、飄として、立ち去った。
 豪壮華麗な大堂がやがて孔明の目前にあった。欄玉階、彼の裳は、一歩一歩のぼってゆく。
 やおら身を掻い起して、それへ立ち迎えに出てきたのは、呉主孫権であるこというまでもない。
 孔明は、ひざまずいて再拝した。
 孫権は鷹揚に、半礼を返し、
「まず……」
 と、座へ請じた。
 その上座をかたく辞して、孔明は横の席へ着いた。
 そして玄徳からの礼辞を述べた。声音すずやかで言葉にもむだがない。対する者をして何かしら快い感じを抱かせるような風が汲みとられる。
「遠路、おつかれであろう」
 孫権はねぎらう。
 文武の大将は遠く排列して、ただひそやかに一箇の賓客を見まもっている。
 孔明の静かなひとみは、時折、孫権の面にそそがれた。
 孫権の人相をうかがうに碧瞳紫髯――いわゆる眼は碧にちかく髯は紫をおびている。漢人本来の容貌や形態でない。
 また腰かけていると、その上躯は実に堂々と見えるが、起つと腰から下がはなはだ短い。これも彼の特徴であった。
 孔明は、こう観ていた。
(これはたしかに一代の巨人にはちがいない。しかし感情昂く、内は強情で、精猛なかわりに短所も発し易い。この人を説くには、わざとその激情を励ますのがよいかも知れぬ)

 香の高い茶が饗された。
 孫権は、孔明にすすめながら、共に茶をすすって、
新野の戦はどうでした。あれは先生が劉予州を扶けて戦った最初のものでしょう」
「敗れました。兵は数千に足らず、将は五指に足りません。また新野は守るに不適当な城地ですから」
「いったい曹操の兵力は――実数はです――どのくらいのところが本当でしょう」
「百万はあります」
「そう号しているのですな」
「いや、確実なところです。北の青州兗州を亡ぼした時、すでに四、五十万はありました。さらに、袁紹を討って四、五十万を加え、中国に養う直属の精鋭は少なくも二、三十万を下るまいと思われます。私が百万と申しあげたのは、この国の方々が、曹操の実力百五、六十万もありといったら驚かれて気も萎えてしまうであろうと、わざと少なく評価してお答えいたしたのです」
「それにのぞむ帷幕の大将は」
「良将二、三千人。そのうち稀代の智謀、万夫不当の勇など、選りすぐっても四、五十人は数えられましょう」
「先生の如き人は?」
「私ごときものは、車に積み、桝で量るほどいます」
「いま、曹操の陣容は、どこを攻めるつもりであろうか」
「水陸の両軍は、江に添って徐々南進の態勢にあります。呉を図らんとする以外、どこへあの大量な軍勢の向け場がありましょうや」
「呉は、戦うべきか、戦わないがよいか」
「は、は、ははは」
 ここで孔明は軽く笑った。
 ぽいと、かわされたかたちである。孫権は気がついたもののごとく、急に慇懃の辞をかさねて、
「――実は、魯粛が先生の徳操をたたえること非常なもので、予もまた、久しくご高名を慕うていたところなので、ぜひ今日は、金玉の名論に接したいと考えていたのです。願わくば、この大事に当ってとるべき呉の大方向をご垂示にあずかりたい」
「愚存を申しあげてもよいと思いますが、しかしおそらく将軍のお心にはかないますまい。お用いなき他説をお聴きになっても、かえって迷う因ではありませんか」
「ともあれ拝聴しましょう」
「では忌憚なく申しあげる。――四海大いに乱るるの時、家祖、東呉を興したまい、いまや孫家の隆昌は、曠世の偉観といっても過言ではありません。一方、わが劉予州の君におかれても、草莽より身を起し、義を唱え、民を救い、上江遠からず曹操の大軍と天下をあらそっています。これまた史上未曾有の壮挙にあらずして何でしょう。然るに、恨むらくは、兵少なく、地利あらず、いま一陣にやぶれて、臣孔明に万恨を託され、江水の縁を頼って、呉に合流せんことを衷心ねがっているわけであります。――もし閣下が、偉大なる父兄の創業をうけて、その煌々たるお志をもつがんと欲するなれば、よろしくわが劉予州と合して、呉越の兵をおこし、天下分け目のこの秋にのぞんで、即時、曹操との国交をお断ちなさい。……またもしそのお志なく、到底、曹操とは天下を争うほどな資格はないと、ご自身、諦めておいでになるなら、なおほかに一計がなきにしもあらずです。それは簡単です」
「戦わずに、しかも国中安穏にすむ、良い計策があるといわるるか」
「そうです」
「それは」
「降服するのです」
「降服」
「そのお膝をかがめて、曹操の眼の下に、憐みを乞えば、これは呉の諸大将が閣下へすすめている通りになる。甲を脱ぎ、城を捨て、国土を提供して、彼の処分にまかせる以上、曹操とても、そう涙のないことはしないでしょう」
「…………」
 孫権は、黙然と首を垂れていた。父母の墳にぬかずく以外には、まだ他人へ膝をかがめたことを知らない孫権である。――孔明はじっとその態を見つめていた。

「閣下。おそらくあなたのお心には」――孔明はなおいった。孫権のうつ向いている上へ、云いかぶせるようにいった。
「大きな誇りをお持ちでしょう。またひそかには、男児と生れて、天下の大事を争うてみたいという壮気も疼いておられましょう。……ところが呉の宿将元老ことごとく不賛成です。まず安穏第一とおすすめ申しあげておる。閣下の胸中も拝察できます。――けれど事態は急にしてかつ重大です。もし遅疑逡巡、いたずらに日をすごし、決断の大機を失い給うようなことに至っては、禍いの襲いくること、もう遠い時期ではありませんぞ」
「…………」
 孫権はいよいよ黙りこむ一方であった。孔明はしばらく間をおいてまた、
「何よりも、国中の百姓が、塗炭の苦しみをなめます。閣下のお胸ひとつのために。――戦うなら戦う、これもよし。降参するならする、これもまたよしです。いずれとも、早く決することです。同じ降参するなら、初めから恥を捨てたほうが、なお幾分、あなたに残されるものが残されるでしょう」
「……先生っ」と、孫権は面をあげた。内に抑えつけていた憤懣が眼に出ている、唇に出ている、色に出ている。
「先生の言を聞いておると、他人の立場はどうにでもいえる――という俗言が思い出される。いわるる如くならば、なぜ先生の主、劉予州にも降服をすすめられぬか。予以上、戦っても勝ち目のない玄徳へ、その言そのままを、献言されないか」
「いみじくも申された。むかし斉の田横は、一処士の身にありながら、漢の高祖にも降らず、ついに節操を守って自害しました。いわんやわが劉予州は、王室の宗親。しかもその英才は世を蓋い、諸民の慕うこと、水に添うて魚の遊ぶが如きものがある。勝敗は兵家のつね、事成らぬも天命です。いずくんぞ下輩曹操ごときに降りましょうや。――もし私が、閣下へ申しあげたような言をそのままわが主君へ進言したら、たちどころに斬首されるか、醜き奴と、生涯さげすまれるにきまっております」
 云い終らないうちである。
 孫権は急に顔色を変えて、ぷいと席を起ち、大股に後閣へ立ち去ってしまった。
 小気味よしと思ったのであろう。屏立していた諸大将はぶしつけな眼や失笑を孔明に投げながらぞろぞろと堂後へ隠れた。
 ひとり魯粛はあとに残って、
「先生。何たることです」
「何がですか」
「あれほど私が忠告しておいたのに、私があなたに寄せた同情はだいなしです。あんな不遜な言を吐かれたら孫将軍でなくても怒るにきまっています」
「あははは。何が不遜。自分はよほど慎んで云ったつもりなのに。――いやはや、大気な人間を容れる雅量のないおひとだ」
「では別に何か先生には、妙計大策がおありなのですか」
「もちろん。――なければ、孔明のことばは、空論になる」
「真に大計がおありならば、もう一応、主君にすすめてみますが」
「気量のものを容れる寛度をもって、もし請い問わるるならば、申してもよい。――曹操が百万の勢も孔明からいわしめれば、群がれる蟻のようなものです。わが一指をさせば、こなごなに分裂し、わが片手を動かさば、大江の水も逆巻いて、立ちどころに彼が百船も呑み去るであろう」
 烱々たる眸は天の一角を射ていた。魯粛は、その眸を、じっと見て、狂人ではないことを信念した。
 孫権のあとを追って、彼は後閣の一房へ入った。主君は衣冠をかえていた。魯粛はひざまずいて、再度すすめた。
「ご短慮です。まだ孔明は真に腹蔵を吐露してはおりません。曹操を討つ大策は、軽々しくいわぬといっています。そしてまた、何ぞ気量の狭いご主君ぞと、大笑していました。……もう一度、彼の胸を叩いてごらん遊ばしませ」
「なに、予のことを、気量の狭い主君だといっていたか」
 孫権は、王帯を佩きながら、ふと面の怒気をひそめていた。

 重大時期だ。国土の興亡のわかれめだ。孫権は、努めて思い直した。
魯粛。もう一度、孔明にその大策を質してみよう」
「ああ、さすがは。――よくぞご堪忍がつきました」
「どこにおる」
「賓殿にあのままでいます」
「誰も来るな」
 随員をみな払って、孫権はふたたび孔明の前へ出た。
「先生、ゆるし給え。弱冠の無礼を」
「いや自分こそ、国主の威厳を犯し、多罪、死に値します」
「ふかく思うに、曹操が積年の敵と見ているものは、わが東呉の国と、劉予州であった」
「お気づきになりましたか」
「しかし、わが東呉十余万の兵は、久しく平和に馴れて、曹操の強馬精兵には当り難い。もし敢然、彼に当るものありとすれば、劉予州しかない」
「安んじたまえ。劉予州の君、ひとたび当陽に敗れたりとはいえ、後、徳を慕うて、離散の兵はことごとくかえっております。関羽がひき連れてきた兵も一万に近く、また劉琦君が江夏の勢も一万を下りません。ただし、閣下のご決意はどうなったのですか。乾坤一擲のこの分れ目は、区々たる兵数の問題でなく、敗れを取るも勝利をつかむも、一にあなたのお胸にあります」
「予の心はすでに決まった。われも東呉の孫権である。いかで曹操の下風につこうか」
「さもあらば大事を成すの機今日にあり! です。彼が百万の大軍もみな遠征の疲れ武者、ことには、当陽の合戦に、あせり立つこと甚だしく、一日三百里を疾駆したと聞く。これまさに強弩の末勢。――加うるにその水軍は、北国そだちの水上不熟練の勢が大部分です。ひとたび、その機鋒を拉がんか、もともと、荊州の軍民は、心ならずも彼の暴威に伏している者ばかりですから、たちまち内争紛乱を醸し、北方へ崩れ立つこと、眼に見えるようなものです。この賊を追わば、荊州へ一挙に兵を入れ給うて、劉予州と鼎足のかたちをとり、呉の外郭をかため、民を安んじ、長久の治策を計ること、それはまず後日に譲ってもよいでしょう」
「そうだ。予はふたたび迷わん。――魯粛魯粛
「はっ」
「即時、兵馬の準備だ。曹操を撃砕するのだ。諸員に出動を触れ知らせい」
 魯粛は、駈け走った。
 孔明に向っては、ひとまず客舎へもどって、休息し給えと云いのこして、孫権は力づよい跫音を踏みしめながら東郭の奥へ入った。
 おどろいたのは、各所に屯していた文武の諸大将や宿老である。
「開戦だっ。出動。出動の用意」という触れを聞いても、
「嘘だろう?」と、疑ったほどであった。
 それもその筈で、つい今し方、賓殿の上で、孔明の不遜に憤った主君は、彼を避けて、奥へかくれてしまったと、愉快そうに評判するのを聞いていたばかりのところである。
「間違いだろう、何かの」
 がやがやいっている所へ、魯粛は意気ごみぬいて、触れて廻ってきた。やはり開戦だという。人々は急にひしめきあった。色をなして、開戦反対の同志をあつめた。
孔明に出しぬかれた! いざ来い、打ち揃って、直ぐさま君をご諫止せねばならん」
 張昭を先に立て、一同気色ばんで、孫権の前へ出た。――孫権も、来たな、という顔を示した。
「臣張昭、不遜至極ながら、直言お諫めしたい儀をもって、これへ伺いました」
「なんだ」
「おそれながら、君ご自身と、河北に亡んだ袁紹とを、ご比較遊ばしてみて下さい」
「…………」
「あの袁紹においてすら、あの河北の強大をもってすら、曹操には破られたではございませぬか。しかもその頃の曹操はまだ、今日のごとき大をなしていなかった時代です」
 張昭の眼には涙が光っていた。

「伏して、ご賢慮を仰ぎまする。――ゆめ、孔明ごとき才物の弁に、大事を計られ、国家を誤り給わぬように」
 張昭のあとについて、顧雍も諫めた。ほかの諸大将も極言した。
「玄徳はいま、手も足も出ない状態に落ちている。孔明を使いとしてわが国を抱きこみ、併せて、曹操に復讐し、時至らば自己の地盤を拡大せんとするものでしかない」
「そんな輩に語らわれて、曹操の大軍へ当るなど、薪を負うて猛火の中へ飛びこむようなものです」
「君! 火中の栗をひろい給うなかれ!」
 この時、魯粛は堂外にいたが、様子を見て、
「これはいかん」と苦慮していた。
 孫権はやがて、諸員のごうごうたる諫言に、責めたてられて、耐えられじと思ったか、
「考えておく。なお考える」といって、奥なる私室へ急ぎ足にかくれた。
 その途中を、廊に待って、魯粛はまた、自分の主張を切言した。
「彼らの多くは文弱な吏と、老後の安養を祈る老将ばかりです。君に降服をおすすめするも、ただただ、家の妻子と富貴の日を偸みたい気もち以外に何もありはしません。決して、左様な惰弱な徒の言に過られ給わぬように、しかと、ゆるがぬ覚悟をすえて下さい。家祖孫堅の君には、いかなるご苦労をなされたか。また御兄君孫策様のご勇略はいかに。おふた方の血は正しくあなた様の五体にも脈々ながれているはずではございませぬか……」
「離せ」
 ふいに、孫権は袂を払って、室の中へ身をひるがえしてしまった。後堂前閣の園をここかしこに、
「戦うべしだ」
「いや、戦うべからず」
 と喧々囂々、議論のかたまりを持って流れ歩いてくる一組が、すぐ近くの樹陰にも見えたからであった。
 何せよ、議論紛々だった。一部の武将と全部の文官は、開戦に反対であり、一部の少壮武人には、主戦論が支持されていた。それを数の上から見れば、ちょうど七対三ぐらいにわかれている。
 私房にかくれた孫権は、病人のように手を額に当てていた。寝も忘れて懊悩悶々と案じ煩っていた。東呉の国、興ってここに三代、初めての国難であり、また人間的には、彼という幸福に馴れた世継ぎが、生れて初めてここに与えられた大きな試煉でもあった。
「……どうしたのです?」
 事もとらないというので、呉夫人が心配して様子を見に来た。
 孫権は、ありのまま、つぶさに話した。当面の大問題。そして藩内の紛乱が、不戦主戦、二つに割れていることも告げた。
「まだまだ、そなたは坊っちゃまですね、そんなことでご飯もたべなかったのですか、何でもないではありませんか」
「この解決案がありますか」
「ありますとも」
「ど、どうするんですか」
「忘れましたか。そなたの兄孫策が、死にのぞんで遺言されたおことばを」
「……?」
「――内事決せずんばこれを張昭に問え。外事紛乱するに至らばこれを周瑜に計るべし――と仰っしゃったではなかったか」
「ああ……そうでした。思い出せば、今でも兄上のお声がする」
「それごらんなさい。日頃も父や兄を忘れているからこんな苦しみにいたずらな煩悶をするのです。――内務はともかく、外患外交など、総じて外へ当ることは、周瑜の才でなくてはなりますまい」
「そうでした! そうでした!」
 孫権は夢でもさめたように、そう叫んで、急にからりと面を見せた。
「早速、周瑜を召して、意見を問いましょう。なぜ今日までそれに気がつかなかったのだろう」
 たちまち彼は一書を認めた。心ききたる一名の大将にそれを持たせ、柴桑からほど遠からぬ鄱陽湖へ急がせた。水軍都督周瑜はいまそこにあって、日々水夫軍船の調練にあたっていた。

前の章 赤壁の巻 第14章 次の章
Last updated 1 day ago