北客

 ようやく許都に帰りついた曹操は帰還の軍隊を解くにあたって、傍らの諸将にいった。
「先頃、安象で大敵に待たれた時、見つけない一名の将が手勢百人たらずを率い、予の苦戦を援けていたが、さだめし我に仕官を望む者であろう。いずれの隊伍に属しておるか、糺してみよ」
 命に依って、幕僚の一名は、将台に立って、その由を、全軍の上に伝えた。
 すると、隊列の遥か後ろのほうから声に応じて、一かどの面だましいを備えた武将が、槍を小脇にさしはさんで進み出で、
「此方であります」
 と、曹操の前にかしこまった。
 曹操は、一瞥して、
「如何なる素姓の者か」と、たずねた。
「はっ、或いはなお、ご記憶にありはせぬかと存じますが。――自分はかつて、黄巾賊の乱にもいささか功をたて、一時は鎮威中郎将の栄職にありましたが、その後、思うところあって、故郷汝南に帰っていました。――李通字を文達と申す者であります」
 旧交はないが、夙に名は聞いている。曹操は拾い物をしたように、
「よく機をつかんで、予の急を救け、予に近づいたのも、一方の将たるに足る才能である。神妙のいたりだ。郷土にもどって、汝南の守りにつくがいい」
 と、稗将軍建功侯に封じた。
 また、その日ではないが。
 許都に留守届していた荀彧が、曹操の帰還を祝したあとで、ふと訊ねた。
「いつぞや、私より早馬をもってご帰途の途中に向けて劉表張繍の両軍が嶮をふさいで待ちかまえている由をお報らせしたところ、丞相のご返簡には、――案じるな、我には必ず破るの計がある。――とございましたが、丞相にはどうして、そんな先の確信がおありだったのですか」
 曹操は、答えて、
「ああ、あの時か。――あの時は、疲労困憊の極に達していたわれわれに対して、劉表張繍は必殺の備えをして待ちかまえていた。これ、死一道の覚悟をわれらに与えたものである。ために味方の将士は、のがれぬ所と捨身になって凄い戦闘を仕かけた。――人間の逆境も、あれくらいまで絶体絶命に押しつけられると、死中自ら活路ありで――その道理から予も、とっさに、勝つと確信をもったわけである」と、笑っていった。
 そのことばを人々、伝え合って、
「丞相の如きこそ、真の孫子の玄妙を体得した人というのだろう」
 と、大敗して帰った彼に対して、却って一そう心服を深めたということである。
 しかし、さすがに今年の秋は、去年のような祝賀の祭もなかった。
 とはいえ去燕雁来の季節である。洛内の旅舎は忙しい。諸州から秋の新穀鮮菜美果などおびただしく市にはいってくるし、貢来の絹布や肥馬も輻輳して賑わしい。
 その中に、従者五十人ばかりを連れ、羈旅華やかな一行が、或る時、駅館の門に着いた。
冀州袁紹様のお使者として来た大人だそうだよ」
 旅舎の者は、下へもおかないあつかいである。
 この都でも、冀州袁紹と聞けば、誰知らぬ者はない。天下の何分の一を領有する北方の大大名として、また、累代漢室に仕えた名門として、俗間の者ほど、その偉さにかけては、新興勢力の曹操などよりははるかに偉い人――という先入主をもっていた。

 今しがた禁裏を退出した曹操は、丞相府へもどって、ひと休みしていた。
 そこへ郭嘉が、
「お取次いたします」と、牀下に拝礼した。
「なんだ。書簡か」
「はい、袁紹の使いが、はるばる、都下の駅館に到着いたして、丞相にこれをご披露ねがいたいとのことで」
「――袁紹から?」
 無造作にひらいて、曹操は読み下していたが、秋の日に萱が鳴るように、からからと笑った。
「虫のいい交渉だ。――先ごろ、この曹操が都をあけていた折はあわよくば洛内に軍を進めんとうかがったりしながら、この書面を見れば、北平公孫瓚と国境の争いを起したによって、兵糧不足し、軍兵も足りないから、合力してくれまいか――という申入れだ。しかも、文辞傲慢、この曹操を都の番人とでも心得ておるらしい」
 不快となると、はっきり不快な色を面上にみなぎらせる。それでも足りないように、曹操は書簡を叩きつけた。
 そして、郭嘉に向って、なお、余憤をもらした。
袁紹の尊傲無礼はこの事ばかりではない。日ごろ帝の御名をもって政務の文書を交わしても、常に不遜の辞句を用い、予を一吏事のごとく見なしておる。――いつかはそのおごれる鼻をへし折ってくれんものと、じっと隠忍しておるがいかんせん、冀州一円にわたる彼の旧勢力も、まだなかなか……自己の力の不足をかえりみ、独り嘆じている程なのに、この上北平を攻めるものだから兵力を貸せ、糧を貸せとはどこまで予を与しやすしと思っているのか底の知れぬ横着者ではある」
「……丞相」
 郭嘉は彼の激色がうすらぐのを待って静かにいった。
童子も知っていることを改めて申すようですが、むかし漢の高祖が項羽を征服した例を見るに、高祖は決して項羽よりも強いのではありません。強さにかけては項羽のほうがはるかに上でしょう。にもかかわらず、高祖に亡ぼされたのは勇をたのんで、智を軽んじたせいです。それと、高祖の隠忍がよく最後の勝ちを制したものと思います」
「そのとおりだ」
「わたくしごときが、丞相を批評しては、罪死に値しますが、忌憚なく申しあげれば、袁紹の人物と丞相とを比較してみますと、わが君には十勝の特長があり、袁紹には十敗の欠点があります」
 といって、郭嘉は指を折りながら、両者の得失をかぞえあげた。

一……袁紹は時勢を知らない。その思想は、保守的というより逆行している。

が――君は、時代の勢いに順い、革新の気に富む。

二……袁紹は繁文縟礼、事大主義で儀礼ばかり尊ぶ。

が――君は、自然で敏速で、民衆にふれている。

三……袁紹は寛大のみを仁政だと思っている。故に、民は寛に狎れる。

が――君は、峻厳で、賞罰明らかである。民は恐れるが、同時に大きな歓びも持つ。

四……袁紹は鷹揚だが内実は小心で人を疑う。また、肉親の者を重用しすぎる。

が――君は、親疎のへだてなく人に接すること簡で、明察鋭い。だから疑いもない。

五……袁紹は謀事をこのむが、決断がないので常に惑う。

が――君は、臨機明敏である。

六……袁紹は、自分が名門なので、名士や虚名をよろこぶ。

が――君は、真の人材を愛する。

「もうよせ」
 曹操は、笑いながら急に手を振った。
「そうこの身の美点ばかり聞かせると、予も袁紹になるおそれがある」

 その夜――
 彼は、独坐していた。
「右すべきか、左すべきか。多年の宿題が迫ってきた」
 袁紹という大きな存在に対して深い思考をめぐらそうとする時、さすがの彼も眠ることができなかった。
「恐るるには足らない」
 心の奥では呟いてみる。
 しかし、そのそばから、
「侮れない――」とも、すぐ思う。
 袁紹と自分とを、一個一個の人間として較べるなら郭嘉が、
(君に十勝あり。袁紹に十敗あり)
 と、指を折って説かれるまでもなく、曹操自身も、
「自分のほうがはるかに人間は上である」と、充分自信はもっているが、単にそれだけを強味として相手を鵜呑みにしてしまうわけにもゆかなかった。
 袁一門の閥族中には、淮南袁術のような者もいるし、大国だけに賢士を養い、計謀の器、智勇の良臣も少なくない。
 それに、何といっても彼は名家の顕門で、いわば国の元老にも擬せられる家柄であるが、曹操一宮内官の子で、しかもその父は早くから郷土に退き、その子曹操は少年から村の不良児といわれていた者にすぎない。
 袁紹洛陽の都にあって、軍官の府に重きをなしていた頃、曹操はまだやっと城門を見廻る一警吏にすぎなかった。
 袁紹は風雲に追われて退き、曹操は風雲に乗じて躍進を遂げたが、名門袁紹にはなお隠然として保守派の支持があるが、新進曹操には、彼に忠誠なる腹心の部下をのぞく以外は嫉視反感あるのみだった。
 天下はまだ曹操の現在の位置を目して、「お手盛りの丞相」と、蔭口をきいていた。その武力にはおそれても、その威に対しては心服していないのである。
 そういう微妙な人心にくらい曹操ではない。彼はなお自分の成功に対して多分に不満であり不安であった。
 敵は武力で討つことはできるが、徳望は武力でかち得ないことは知っている。
 こういう際、「袁紹と事を構えたら?」と、そこに多分な迷いが起ってくる。
 今、地理的に。
 この許都を中心として西は荊州、襄陽の劉表張繍を見ても、東の袁術、北の袁紹の力をながめても、ほとんど四方連環の敵であって、安心のできる一方すら見出せない。
「――だが、この連環のなかにじっとしていたら、結局、自分は丞相という名だけを持って、窒息してしまう運命に立到るであろう。自分の位置は、風雲によって生れたのであるから、天下の全土を完全に威服させてしまうまでは、寸時も生々躍動の前進を怠ってはならない。打開を休めてはならない。旧態の何物をも、ゆるがせに見残しておいてはならない」
 曹操の意志は、大きな決断へ近づきだした。
「そうだ。――打開にはいつも危険が伴うのはあたりまえだ。――袁紹何ものぞ。すべて旧い物は新しい生命と入れ代るは自然の法則である。おれは新人だ、彼は旧勢力の代表者でしかない。よし! やろう」
 肚はすわった。
 彼はそう決意して眠りについたが、翌日になると、なお、もう一応自己の信念をたしかめてみたくなったか、丞府の吏に、
荀彧を呼びにやれ」と、いいつけた。

 やがて、荀彧は召しによって府へ現れた。
 曹操は、特に人を遠ざけて、閣のうちに彼を待っていた。
荀彧か。きょうはそちに、取りわけ重大な意見を問いたいため呼んだわけだが、まず、これを一見するがよい」
「書簡ですか」
「そうだ。昨日、袁紹の使いが着いて、はるばる齎してきたもの。即ち、袁紹の自筆である」
「……なるほど」
「これを読んで、そちはどう感じるな」
「一言で申せば、辞句は無礼尊大であるし、また、書面でいってきたことは、虫のよい手前勝手としか思われません」
「そうだろう。――袁紹の無礼には、積年、予は忍んできたつもりだが、かくまで愚弄されては、もはや堪忍もいつ破れるか知れぬ気がする」
「ごもっともです」
「――ただ、どう考えても、袁紹を討つには、まだいささか予の力が不足しておる」
「よくご自省なさいました。その通りであります」
「しかし、断じて予は彼を征伐しようと思う。そちの意見は、どうだ?」
「必ず行うてよろしいでしょう」
「賛成か」
「仰せまでもございません」
「予は勝つか」
「ご必勝、疑いもありません。わが君には四勝の特長あり、袁紹には四敗の欠点がありますから」
 と、荀彧は、きのう郭嘉がのべた意見と同じように、両者の人物を比較して、その得失を論じた。
 曹操は、手を打って、大いに笑いながら、
「いや、そちの意見も、郭嘉のことばも、まるで割符を合わせたようだ。予も、欠点の多いことは知っている。そういいところばかりある完全な人間ではないよ」
 と、彼の言をさえぎってからまた、真面目に云い直した。
「しからば、袁紹の使いを斬って、即時、彼に宣戦してもよいか」
「いや! その儀は?」
「いけないか」
「断じて、今は」
「なぜ」
呂布をお忘れあってはなりません。常に、都をうかがっている後門の虎を。――それに、荊州方面の物情もまだ決して安んじられません」
「では、なお将来まで、袁紹の無礼に忍ばねばならんか」
「至誠をもって、天子を輔け、至仁をもって士農を愛し、おもむろに新しい時勢を転回して、時勢と袁紹とを戦わせるべきです。――ご自身、戦う必要のないまでに、時代の推移に、袁紹の旧官僚陣が自壊作用を起してくるのを待ち、最後の一押しという時に、兵をうごかせば、万全でしょう」
「ちと、気が長いな」
「何の、一瞬です。――時勢の歩みというものは、こうしている間も、目に見えず、おそろしい迅さでうごいている。――が、植物の成長のように、人間の子の育つように、目には見えぬので、長い気がするのですが、実は天地の運行と共に、またたくうちに変ってゆくものです。――何せよ、ここはもう一応、ご忍耐が肝要でしょう」
 郭嘉荀彧ふたりの意見が、まったく同じなので曹操も遂に迷いを捨て、次の日、袁紹の使者を丞相府に呼んで、
「ご要求の件、承知した」
 と、曹操から答えて、糧米、馬匹、そのほか、おびただしい軍需品をととのえて渡した。そして、使者には、盛大な宴を設けてねぎらい、また、その帰るに際しては特に、朝廷に奏請して、袁紹大将軍太尉にすすめ、冀州青州幽州并州の四州をあわせて領さるべし――と云い送った。

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