食
一
呉の境から退いて、司馬懿が洛陽に留っているのを、時の魏人は、この時勢に閑を偸むものなりと非難していたが、ここ数日にわたってまた、
(孔明がふたたび祁山に出てきた。ために、魏の先鋒の大将は幾人も戦死した)
という情報が、旋風のように聞えてくると、仲達への非難はぴったりやんでしまった。やはり司馬懿仲達は凡眼でないと、謂わず語らず、その先見にみな服したかたちであった。
どんな時にも、何かに対して、誹謗やあげつらいの目標を持たなければ淋しいような一種の知識人や門外政客が洛陽にもたくさんいる。それらの内からは今度は向きをかえて、
「いったい総兵都督はいるのか、いないのか。曹真は何をしているか」
という非難がごうごうと起ってきた。
曹真は魏の帝族である。それだけに叡帝は心を悩ました。帝は、司馬懿を召して、対策を下問した。
「怖るべきは蜀と呼ばんよりむしろ孔明そのものの存在である。どうしたらよいであろう」
「さほどご宸念には及ばないでしょう」
仲達はおっとり答えた。
「――自然に、蜀軍をして、退くのほかなからしめればよいのですから」
「そんな最上な方法があるだろうか」
「ございます。臣が量るに、孔明の軍勢は、およそ一ヵ月ぐらいな兵糧しか持たないに違いござりませぬ。なぜならば、季節は雪多く、道は山嶮です。故に、彼の望むところは速戦即決にありましょう。我のとる策は長期持久です。朝廷から使いを派して、総兵都督へその由を仰せつけられ、諸所の攻め口を固くして、めったに曹真が戦わないようにお命じあることが肝要です」
「いかにも。さっそくさような方針をとらせよ」
「山嶮の雪解ける頃ともなれば、蜀兵の糧も尽きて、いやでも総退却を開始しましょう。虚はそのときにあります。追撃を加えて大捷を獲ることまちがいございませぬ」
「それほど卿に先見があるならば、なぜ卿みずから陣頭に出て計策をなさないのか」
「仲達はまだ洛陽に老いを養うほどな者でもありませんが、さりとてまた、生命を惜しんでいるわけでもござりませぬ。要は、呉のうごきがまだ見とおしをつきかねるからです」
「呉はなお変を計ろうか」
「もちろん、油断もすきもなりますまい。なぜならば、呉は呉に依ってうごくものに非ず、一に蜀の動静をにらみ合わせているものです」
以後、数日のあいだにも、曹真の軍から来る報告は、ことごとく魏に利のないことのみであった。そしてようやく曹真は、その自信まで失ってきたものの如く、
「とうてい、現状のままでは、守りにたえません。ひとえに、聖慮を仰ぐ」
と、暗に魏帝の出馬なり、司馬懿の援助を求めてきた。けれど仲達は、何か思うところあるらしく容易に起たない。そして魏帝にむかっては、
「このときこそ、総兵都督の頑張るべきときです。お使いをもって、丁寧にいましめられ、孔明の虚実にかかるな、深入りして重地に陥るなと、くれぐれも、持久をおとらせなさるように」
と、献言ばかりしていた。
そうした仲達の態度には、自分が総都督たるならば大いに格別、さもなくては働けないとしているような腹蔵があるのではないかと考えられるふしもある。何しても孔明の正面に立った曹真の苦戦は思いやられるものがある。
朝廷では、韓曁を使いとして、曹真にそれらの方針を伝えさせることになった。すると司馬仲達はその韓曁をわざわざ洛外の城下はずれまで見送りに行って、その別れに臨み、
「云い忘れたが、これは曹真総兵都督の功をねがうために、ぜひ注意してあげておいてくれ。それは蜀勢が退くとき、決して、性質の短慮な者や狂躁な人物に追わせてはいけない。軽々しく追えば必ず彼の計に陥る。――このことを、朝廷の命として、付け加えておいてもらいたい」
と、いかにも真情らしく言伝を頼んだ。そのくせ、それほどの魏軍の苦境を知りながら、彼は車をめぐらして、悠々、洛陽へもどるのであった。
二
大常卿韓曁は、やがて総兵都督本部に着き、曹真に、魏廷の方針をもたらした。
曹真は謹んで詔詞を奉じ、韓曁の帰るを送ったが、後、この由を副都督の郭淮に語ると、
「それは朝廷のご意見でも何でもない。すなわち司馬懿仲達の見ですよ」
と、穿って笑った。
「誰の見でもよいが、この見解の可否はどうだ」
「悪くはありません。よく孔明の兵を観ています」
「が、もし、蜀の勢が、こちらの思うように退かなかった場合は」
「王双に計をさずけ、小道小道の往来を封じさせれば、いやでも蜀軍の兵糧は途絶えて、退かざるを得なくなるにきまっています」
「そうゆけばしめたものだが」
「なお、それがしに、別に妙策がひとつあります」
郭淮は、洛陽の使いがもたらした司馬懿の方針には、充分感心していたが、さりとてその通りに行っているのも、この総司令部に人なきようでいやだった。彼のささやいた彼自身の一策は、これまた曹真を動かすに足りた。曹真も何かで連戦連敗の汚名からまぬかれたいのである。――で、その計画は徐々に実行されだしていた。
事実、蜀軍の大なる欠陥は、大兵を養う「食」にあることは万目一致していた。いまや日を経るに従って彼が「食」の徴発に奔命しつつあるは必定であるから、敵の求めるそれを好餌に用いて、罠にかけようというのが郭淮の着想だった。
それから一ヵ月ほど後。
すなわち魏の孫礼は、兵糧を満載したように見せかけた車輛を何千となく連れて、祁山の西にあたる山岳地帯を蜿蜒と行軍していた。
(陳倉の城と、王双の陣へ、後方から運輸してゆくもの)とは一見誰でもわかる。
けれど車輛の上にはみな青い布がかぶせてあって、その下には硫黄、焔硝、また油や柴などがかくしてあった。これが郭淮の考えた蜀軍を釣る餌なのである。
一面。その郭淮は、箕谷と街亭の二要地へ大兵を配して、自身その指揮に臨み、また張遼の子張虎、楽進の子楽綝、このふたりを先鋒として、あらかじめある下知を附しておいた。
さらになお、陳倉道の王双軍とも聯絡をとって、蜀軍みだるるときの配置を万全にしておいたことはいうまでもない。
「隴西から祁山の西を越えて、数千輛の車が、陳倉道へ兵糧を運んでゆく様子に見えまする」
蜀の物見は、鬼の首でも取ったように、これをすぐ孔明の本陣へ達した。
蜀軍の将は、聞くとみな、
「なに、兵糧の車輛か」
と、はやその好餌に目色をかがやかした。
蜀軍の糧は、各方面の間道国道から、極めて微々たる量を、しかも艱難辛苦してこれへ寄せている状態だったし、その予備量もすでに一ヵ月分となかったところなので無理はない。
だが、孔明は、まったく別なことを左右に訊ねていた。
「兵糧隊の敵将は、誰だといったな?」
「物見の言葉では、孫礼字は徳達だといいましたが」
「孫礼の人物を知るものはないか」
「されば彼は、魏王にも重んぜられている上将軍です」と、むかし魏にいて精通していた一将が話した。
「かつて魏王が大石山に狩猟をなしたとき、一匹の大きな虎がたちまち魏王へ向って飛びかかって来たのを、孫礼が、いきなり楯となって、大虎に組みつき、剣をもって、ついにその虎を刺し殺したことから非常に魏王の信寵をうけて今日に至った人物です」
「そうか……」と孔明は謎のとけたように笑って、さて諸将へいうには、
「兵糧を運送するに、それほどな上将をつけるわけはない。思うに車輛の被いの下には、火薬、枯れ柴などが積んであるだろう。嗤うべし、わが胃へ火を喰わせんとは」
彼はこれを全く無視したが、しかし、ただ無視し去ることはしなかった。たちまち帷幕に将星を集め、敵の計を用いて敵を計るの機をつかみにかかった。
三
情報があつめられた。
風のごとく物見が出入りした。
その帷幕のうちから孔明の迅速な命令は次々に発せられていた。馬岱が真先に、三千の軽兵をひきいてどこかへ走った。次に、馬忠と張嶷が各〻五千騎を持って出動した。呉班、呉懿らの軍も何か任を帯びて出た。そのほか関興、張苞などもことごとく兵をひきいて出払い、しかも孔明自身もまた床几を祁山のいただきに移し、しきりと西の方面を望んでいた。
魏の車輛隊の行軍は、すこぶる遅々であった。
二里行っては、物見を放ち、五里行っては物見を放った。
さながら、蜀魏の間諜戦でもあったわけだ。
魏の物見は告げた。
「孔明の本陣は動きだしました」
「まぎれもなく、この兵糧輸送を嗅ぎつけて、これを奪えと、手分けにかかったようにうかがわれます」
「馬岱、馬忠、張嶷など、続々と蜀陣を出ました」
等々の情報である。
孫礼は、得たりと思って、直ちにこの旨を、曹真の陣へ急報した。曹真はまた張虎、楽綝の先鋒へ向って、
「こよい、祁山の西方に炎々の火光を見る時こそ、蜀兵がわが火計にかかって、その本陣を空虚にした時である。空赤く染まる時を合図として、孔明の拠陣へ向って突っ込め」と、激励した。
すでにその日も暮れようとして、祁山の西に停まった孫礼の運送部隊は、夜営の支度にかかるとみせて、実は千余輛の火攻め車を、あなたこなたに屯させて、蜀兵を焼き殺す配置をおえていた。
発火、埋兵、殲滅の三段に手筈を定めて、全軍ひそと、仮寝のしじまを装っていると、やがて果たして、人馬の音が、粛々と夜気を忍んでくる様子だった。
折節、西南の山風がつよい。孫礼は、
「――敵来たらば」
と、手に唾して待っていた。
ところが、未だ魏軍の起たないうちに、その風上から、火を放った者がある。何ぞはからん、敵の蜀兵だ。
孫礼は初め味方の手ちがいかと狼狽したのであったが、さはなくて蜀兵自身が火を放ったものと知ると、しまったと叫んで、
「孔明はすでに看破しているぞ、我が事破る」
と、躍り上がって無念がった。
千余の車輛を焼き立て焼き立て、すでにして蜀兵は二手に分れて矢を送り石を飛ばして来た。鼓角夜空にひびき、火光天を焦がし、魏兵の混乱ぶりは一方でない。
風上から攻め来るもの、蜀の張嶷、馬忠などである。風下から同じく馬岱の一軍が鼓噪して攻めかかった。
自ら設けた火車の死陣の中に魏兵は火をかぶって戦うほかなかった。のみならず魏勢は谷間や山陰の狭路に埋伏していたので、その力は分裂しているし、主将の命令は各個に一貫していない。
火の光の中に、討たれる数もおびただしかったが、踏み迷い、逃げまどい、自ら焼け死ぬ者や、火傷を負って狂う者数知れなかった。――かくてこの一計は、見事、魏の失敗に終ったのみならず、自ら火を以て自ら焼け亡ぶの惨禍を招いたのであったが、当夜、かかる不測が起っているとも知らず、ただ空を焦がす火光を望んで、
「時こそ到る」
と、いたずらに行動を開始してしまったのは、曹真から命ぜられていた楽綝、張虎の二隊だった。
危ういかな、盲進して、孔明の本陣へ、突入してしまったのである。敵影はない。――これは予期したところだが、須臾にして、陣営のまわりから、突然、湧いて出たような蜀軍の鬨の声が起った。蜀の呉班、呉懿の軍だ。――釜中の魚はまさに煮られる如く逃げまどった。
ここでも、魏勢は残り少なに討たれた上、さんざんの態で逃げ崩れてくる道を、さらに、関興、張苞の二軍に、完膚なきまで、痛撃された。
夜明けと共に曹真の本陣に、西から南から北からと、落ち集まってきた残軍と敗将のすがたこそ見るかげもないものだった。
四
食うか食われるか、戦の様相はつねに苛烈である。この苛烈を肝に銘じていながら曹真の軽挙はふたたび重ね重ねの惨敗を自軍に見てしまった。
彼の落胆は、恐怖に近づいた。いまは郭淮の献策をうらむこともできない。彼は総兵大都督である。
「以後は、かならずみだりにうごくな、敵の誘いにのるな。ただ守れ、固く守備せよ」
以後の警戒は非常なものである。むしろ度の過ぎるほど堅固に堅固を取った。ために、祁山の草は幾十日も兵に踏まるることなく、雪は解けて、山野は靉靆たる春霞をほの紅く染めて来た。
霞を横切る一羽の鳥がある。孔明は日々悠久なる天地をながめ、あたかも霞を喰うて生きている天仙か地仙のごとく物静かに日々を黙して送っていたが、一日、書をしたためて、ひそかに陳倉道にある魏延の陣へ使いを出した。
楊儀があやしんで訊ねた。
「魏延の陣へ、お引揚げを命ぜられたそうですが、なぜですか」
「そうだ。陳倉道のほうばかりでなく、ここの陣地も引き払おうと思う」
「そして、どこへ進発なさいますか」
「いや、進むのではない、漢中へしりぞくのだ」
「はて。それがてまえには解せません」
「なぜな?」
「でも、かくの如く、蜀は勝っているところを、しかも万山の雪は解け、いよいよ士気旺盛たろうとしている矢先ではございませんか」
「さればこそ今を退く時と思うのである。魏がいたずらに守って、戦わないのは、わが病を深く知らないからだ。わが病とはほかでもない兵糧の不足。如何ともなし難い重患だが、幸いにも、敵はただその涸渇を待っていて、積極的に、わが通路を断とうとしない。――これなおわが余命のある所以だ。もし今のうちに療養に還らなければ、この大軍をして、救い難い重態に墜すであろう」
「その点は、われわれも絶えず腐心しているところですが、先頃の大捷に、だいぶ戦利品も加えましたから、なおしばらくは支えられないこともありません。そのうちに勝ち続けて、自然活路に出れば、敵産をもって、長安に攻め入るまで、食い続けられないこともないと思いますが……」
「否とよ。草は食えるが、敵の死屍は糧にならない。ここ魏の陣気をはるかにうかがうに、おそらく大敗のこと、洛陽に聞えて、敵は思いきった大軍をもって、ここを援けにくるにちがいない。……さもあらばまた、彼は新手、彼は後方にいくらでも運輸の道を持つ大軍。いかにして、わが勝利をなお保ち得よう。――敗れて退くにあらず、勝って去るのである。退くとは戦いの中のこと、去るとは作戦による行動にほかならない。さように歯がみして無念がるな」
楊儀の口をもって、諸将の不満へもいわせようとするのであろう、孔明の諭示は噛んで含めるようだった。
「――しかし、魏延へやった使いも、一計をさずけてつかわしてあるから、引揚げるといっても、無為に退くわけではない。見よ、やがてあすこにある魏の王双の首は、魏延のよい土産となるであろう」
孔明はそうも言った。
関興、張苞などの若手組は、案のごとく、この陣払いにたいして、不満を表示したが、それも楊儀になだめられて、着々ここを引揚げにかかりだした。
とはいえ勿論、それはひそかに行われたものであることはいうまでもない。水の乾くように、徐々兵数を減じて、後退させていた。そして最後にいたるまで、鉦鼓の者は残して、常と変るところなく、調練の螺を吹き時の鉦を鳴らし、旗々はなお大軍そこにとどまるものの如く装っていた。
――一方、魏の曹真は、その後、守るに専念して、とみに気勢も昂らずにいたが、折から、左将軍張郃が洛陽から一軍をひきいて来て味方の陣に参加した。
曹真は、彼を見ると、訊ねた。
「貴所は都を立つとき、司馬懿には、お会いにならなかったのか」
すると彼は答えた。
「いや、会わないどころではありません。それがしが加勢に下ってきたのも、ひとえに司馬仲達の計らいによるものです」
五
「ほほう。……では、やはり仲達のはからいで来られたわけか」
「いや、洛陽の上下でも、先頃以来、だいぶ当地の敗戦を心痛しています」
「まことに予の不徳のいたすところだ。国内に対して面目もない」
「勝敗は兵家のつね。敗るるも次の勝ちを期しておればご苦慮にも及びません。……が、この頃の戦況はどうですか」
張郃にこう問われると、曹真は初めて少しにこっとして、
「この数日は、大いに戦況が味方の有利に転回してきた。以後まだ大合戦はないが、諸所において、いつも味方が勝ちつつある」
「……あっ。それはいかん」
「な、なぜだ?」
「そのことも、それがしが離京の際に、司馬仲達がくれぐれも警戒せよといっていました」
「なに。味方の勝つのはいけないといったのか」
「そうした意味ではありませんが。……つまり、こう申されたのです。……蜀軍はたとえ兵糧が欠乏しだしても、決して軽々しくは退くまい。だが、彼の兵がしばしば小勢で出没してそのたび負けて逃げるような時は、大いに機微を見ていないといけない。反対に、彼が大軍をうごかすか、大いに強味のあるときは、まだ退陣の時は遠いと見ていてまちがいない。この辺が、兵家の玄妙であるから、よくよく曹真閣下におつたえしておくがいいと附言された次第です」
「……ははあ、なるほど。すると過日からの味方の勝ち色はあまりあてにならんかしら」
何か思い当るものがあるらしく、曹真は急に間諜の上手な者数名を放って、孔明の本陣をうかがわせた。
間諜は帰ってきて報告した。
「祁山の上にも下にも、敵は一兵もおりません。ただ備えの旗と囲いだけが残っているだけであります」
次に帰ってきた者もいった。
「孔明は、漢中さして、総引揚げを行ったようです」
曹真は頭を掻いて後悔した。
「また、彼奴に騙されていたのだ」
聞くや否、張郃はすぐ新手の勢をもって、孔明のあとを急追してみたが、時すでに甚だ遅かった。
また、陳倉道の口に残って、久しい間、魏の猛将王双をそこに支えていた魏延は、孔明の書簡に接すると、これもたちまち、陣払いを開始していた。
当然、それはすぐ王双の知るところとなり、王双はいとまをおかず追撃した。
そして、蜀兵に近づくや、
「魏延、いずこに帰るぞ、王双これにあり、返せ返せ」
と馬の上から呼ばわりつつあくまで追った。
蜀兵の逃げ足も早かった。王双の追うこと余りに急なので、彼の周囲には、ようやく旗本の騎馬武者二、三十騎しか続いて来られなかった。
すると、後から駈けてきた一騎が、
「わが大将、ちと急ぎ過ぎましたぞ、敵将魏延はまだうしろのほうにいる」と、注意した。
「そんなはずはないが?」
と、振り向くと、どうしたことか、陳倉城外にある自分の陣営から黒煙が上がっている。
「さては、うしろへ出たか」と、あわてて引っ返して、途中の有名な嶮路陳倉峡口の洞門まで来ると、上から大岩石が落ちてきて、彼の部下、彼の馬、みな挫きつぶされた。
「王双、どこへ行く」
突如、彼のうしろに、一彪の軍が見え、その中に、魏延の声がした。
いちど、馬上からもんどり打ったため、王双は逃げきれず、またその武力もあらわすにいとまなく、ついに魏延の大剣に、その首を委してしまった。
魏延はその首を、高々と槍のさきに掲げさせて、悠々、漢中への引揚げを仕果した。
――王双の死が、曹真の本営へ知らされてからいくばくもなく、陳倉城の守将郝昭の死がまた報じられてきた。郝昭は病死であったが、曹真にとり、また魏にとっては、重ね重ねの凶事ばかりだった。