鴛鴦陣
一
喬国老の邸では、この大賓をふいに迎えて、驚きと混雑に、ごった返した。
「えっ。皇叔と呉妹君との結婚の談があったのですって?」
初耳とみえて、喬国老は、桃のような血色を見せながら、眼をまろくした。
「しかし、それは何にしても、大慶のいたりだ。この女性なら皇叔の正室となされても、決して悔いはあるまい。……ところで、呉城の宮中へは、今日ご着船の由を、お届け召されたかの」
玄徳が、上陸早々、ご訪問申したので、まだ呉城へは告げないというと、
「それは、いかん、早速にも」と、すぐ家臣を走らせ、また家族たちに命じては、玄徳の一行を心から歓待させて、「ともあれ、わしも一応、宮中へ伺ってくる」と白馬に乗って登城した。
殿中でも大奥でも、国老は出入自在である。呉侯の老母、呉夫人に会って、すぐ慶びをのべた。
すると呉夫人は、けげんな顔をして、
「なんじゃと、あの玄徳が、権の妹を娶いにきたのですって。……まああつかましい」
と、舌を鳴らした。
喬国老は、あわてて手を振りながら、
「ちがう、ちがう。呉侯のほうから呂範を婚姻の使いにやって、切に望んだので、はるばる、玄徳も呉へやって来たわけじゃ」
「嘘、嘘。国老はわらわをかついで笑おうと召さるの」
「ほんとです。嘘と思し召すならば、街へ人をやってごらんなさい」
呉夫人は、まだ信じない顔で、家士の一名に、城下の見聞をいいつけた。
その者は、街を見て帰ると、すぐ呉夫人の前へ来て語った。
「なるほど、大変に賑やかです。河口には十艘の美船が着き、玄徳の随員だの、五百の兵士は、物珍しげに、市中を見物して歩きながら、豚、酒、土産物の種々など、しきりに買物しながら、わが主劉皇叔には、この度、呉侯のお妹姫と婚礼を挙げるのじゃと、彼方此方で自慢半分にしゃべったものですから、ご城下ではもう慶祝気分で寄るとさわるとそのお噂ですよ」
呉夫人は、哭き出した。
たちまち彼女は、わが子の呉侯孫権のいる閣へと、顔を袖でおおったまま走って行った。
「母公、どうなさいましたか」
「おお権か。いかに老いても、わらわは御身の母ですぞ」
「何を仰っしゃいます、今さら」
「それ程、親を親と思うなら、なぜわらわに無断で、女子の大事な生涯を決めました」
「わけが分りません。なんのことですか、いったい」
「それその通り、わらわを偽こうとするではないか。汝の妹にせよ、彼女はわらわの子。玄徳へ嫁がすことなどいつ許しましたか」
「あっ。誰が、そんなことをお耳へ入れましたので」
「国老に訊いてご覧なさい」
と、母公は眼できめつけた。
呉夫人のうしろへ来て立っていた喬国老は、
「そう御母子のお仲で争うことはないでしょう。もう国中の人民も知っていることですから。わしもそのため、お慶びを申しあげに来たわけじゃ」
と、うららかに胸を伸ばして万歳の意を表した。
孫権は、難渋した顔いろで、
「いや、そのことなら、実はすべて周瑜の謀略なのだ。いま荊州を取らんには、またぞろおびただしい軍費と兵力を消費せねばならん。偽って婚礼と号し、玄徳をわが国へ呼び入れて、これを殺せば、荊州は難なく呉のものとなる。それゆえに、呂範をやって……」
云いかける口をおさえて、
「聞く耳は持ちません!」
と、呉夫人は前にも増して怒り出した。そして口を極めてその計を誹った。
「憎や、周瑜ともある者が、匹夫にも劣る考え。おのれ、呉の大都督として、八十一州の兵を閲、君の大禄をいただきながら、荊州を攻め取るぐらいなこともできず、わらわの最愛な息女を囮にして玄徳を誘い、騙し討ちに殺して事を成そうとは……ええ、なんたる無能ぞ。わらわの生きている間は、決して彼女をそんな謀略の囮に用いることは許しません」
二
母公にとっては、孫権よりも、その妹のほうが、可愛くて可愛くて、たまらないものらしいのである。
また、なんといっても、このわがままな老女性には、敵国を謀るなどという問題には興味もなかった。それよりは、ひとり息女の盲愛のほうが、遥かに遥かに大きかった。
だから、かりそめにも、その息女を生贄として遂げようとする謀略と聞いては、それが呉国の為であるとかないとかなどは問題でなく、頭から老いの感傷と怒りをふるわせて、
「なりません、なりません。誰がなんといおうと、むすめの一生を誤まらすようなことは、わらわの眼の黒いうちは断じてなりません。そんなことをもし周瑜がすすめたのなら、周瑜は自分の功のために、主家のむすめを売る憎い人間じゃ。わらわが命じる。すぐ周瑜を斬っておしまい!」
という権まくであった。
(手がつけられない――)
と、痛嘆を嚥んでいるものの如く、孫権はただ老母の血相に黙然としていた。
しかも喬国老までが母公と同意見で、
「いやしくも呉侯呉妹のご兄妹が、婚礼に事よせて、玄徳を殺したなどと聞えては、たとい天下を取ろうと、民心は服しまい。呉の国史に泥を塗るだけじゃ」と、周瑜の計に反対し、それよりも、この際やはり玄徳を婿と定めて、彼の帝系たる家筋とその徳望を味方に加え、常に呉の外郭にその力を用いたほうが賢明ではあるまいかと、思うところを述べた。
ところが、母公としては、それも気のすすまない顔で、
「聞けば、劉玄徳とやらは、年も五十路というではないか。なんでまだ世の憂き風も知らぬあのむすめを、他国のそんな所へ、しかも後添えになどやれましょうぞ」
と、いってみたが、喬国老が、しきりに、
「いやいや、よく考えてごらんあれ。年齢の少ない者にも老人があるし、年はとっても壮者をしのぐ若さの人もある。劉皇叔は、当代の英雄、その気宇はまだ青春です。凡人なみに、年の数で彼を律することは当りません」と、説いたので、やや心をうごかし、それでは明日、その玄徳を一目見て、もし自分の心にかなったら、むすめの婿としてもいいが――と云い出した。
孫権はもとより孝心の篤い人なので、心のうちでは煩悶したが、老母の意志には少しも逆らうことができない。その間に、母公と喬国老とは、明日の対面の場所や時刻まできめてしまった。
場所は城西の名刹甘露寺。――喬国老はいそいそ邸へ帰ると、すぐ使いを出して、玄徳の客館へ旨を伝えにやった。
事、志とちがってきたので、孫権は一夜煩悶したが、ひそかにこれを呂範へ相談すると、呂範は事もなげに片づけて云った。
「なにも、それならそれで、よろしいではありませんか。そっと、大将賈華へお命じなさい。甘露寺の回廊の陰に、屈強な力者や剣客の輩を選りすぐって、三百人も隠しておけば大丈夫です。――そしてよい機に」
「む、む。絶好な場所だ。そうしよう。……だが呂範、もし母上と玄徳と対面中に、母上が、彼の人物を見て心にそまぬようだったら、すぐ殺ってくれ」
「もし、母公のお心にかなったようなご容子のときは」
「そんなことはないと思うが……もしそう見えたら……そうだな、時をおいて、母上のお気持が彼に対して変るまで待とう」
次の日――早朝。
呂範は、媒人役として、当然、玄徳の客館へ、その日の迎えに出向いた。
玄徳は、細やかな鎧の上に、錦の袍を着、馬も鞍も華やかに飾って、甘露寺へおもむいた。
趙雲は、五百の兵をつれて、それに随行した。甘露寺では、国主の花聟として、一山の僧衆が数十人の大将と迎えに立ち、呉侯孫権をはじめ、母公、喬国老など、本堂から方丈に満ち満ちて待ちうけていた。
三
玄徳の態度は実に堂々としていた。温和にして諂わず、威にして猛からず、儀表俗を出て、清風の流るるごとく、甘露寺の方丈へ通った。
「さすがは」と、一見して、呉侯孫権も、畏敬の念を、禁じ得なかった。
争えないものは、人間と人間との接触による相互の感情である。ひと目見て、孫権以上、彼に傾倒したのは母公であった。
その喜悦のいろをうかがうと、喬国老は、母公へささやいた。
「どうです。人物でしょう。こんなよい婿が求めたってありましょうか」
母公はただもうほくほく慶びぬいている。孫権はわれとわが心を圧しつぶして、玄徳に対して起る尊敬や畏れを強いて戒めていた。
「さあ、くつろぎましょう。婿君よ、威儀いかめしいものの、内輪ばかりじゃ、心おきなく杯をあげられい。喬老、そなたも、佳賓におすすめ申しあげて賜も」
母公のご機嫌は一通りでない。きのうの彼女とは人がちがうようだった。やがて大宴となる。呉海呉山の珍味は玉碗銀盤に盛られ、南国の芳醇は紅酒、青酒、瑪瑙酒など七つの杯に七種つがれた。
喨々たる奏楽は満堂の酔をしてさらに色に誘った。母公はふと、玄徳のうしろに屹立している武将に眼をそそいで、
「誰か」と、たずねた。
玄徳が、これはわが家臣、常山の趙子龍と答えると、母公はまた、
「では、当陽の戦いに、長坂で和子の阿斗を救ったというあの名誉の武将か」と、いった。
「そうです」とうなずくと、母公は、彼に酒を賜えとすすめた。趙雲は拝謝して杯をいただきながら、玄徳の耳へ、そっとささやいた。
「ご油断はなりませんぞ。廻廊の陰に、大勢の伏兵が隠れている気配です」
「…………」
玄徳はしばし素知らぬ顔をしていたが、母公の機嫌のいよいよ麗わしい頃を見て、急に杯をおいて、憂い沈んだ。
母公は怪しんで、理を訊くと、玄徳は鳳眼にかなしみをたたえて、
「もし私の生命をちぢめんと思し召すなら、どうか明らさまに剣をお与え下さい。廻廊の外や、縁の下には、ひしひしと、殺気をもった兵が隠れているようで、恐ろしくて杯も手に触れられません」と、小声で訴えた。
母公は、愕然として、
「呉侯。あなたですか。そんな企みをいいつけたのは」
と、孫権を顧みて、たちまちけんもほろろに叱った。
孫権は、狼狽して、
「いや、知りません。呂範でしょう」
「呂範をこれへお呼び」
「はい」
しかし、呂範も、強情を張って知らないで通した。そして、
「賈華かもしれません」と、云いのがれた。
賈華は、母公の前に立たせられた。彼は、知らないといわなかったが、また、自分の所為であるともいわなかった。ただ黙然と首を垂れていた。母公の怒りは極度にたかぶった。
「喬老。武士たちに命じて、賈華を斬りすてておしまいなさい。わが佳婿がねの見ていらっしゃる前で」と、罵った。
玄徳はあわてて命乞いをした。ここに血を見ては慶事の不吉と止めた。孫権は直ちに賈華を追い出した。喬国老は廻廊の外や縁の下の者どもを叱りとばした。鼠のように頭をかかえてそこから大勢の兵が逃げ散って行った。
かくて酒宴は夜に及び、玄徳は大酔して外へ出た。ふと庭前を見ると、そこに巨きな岩がある。玄徳はじっと見ていたが、何思ったか、天に祈念をこらし、剣を抜いて振りかぶった。
「……?」
孫権は木蔭から見ていた。
四
終日、歓宴の中に酔っても、玄徳の胸には、前途の茫々たる悩みがあった。彼はふと、人なき庭園へ出て、酔を醒まさんとしながら、発作的に、天を仰いでから祈念したのであった。
「わが覇業成らぬものなら、この岩は斬れじ、わが生涯の大望、成るものならば、この岩斬れよ!」
発矢、振り下ろした剣は、火華をとばし、見事、その巨岩を両断していた。
物蔭から人が歩いてきた。
「皇叔。何をされたのです?」
「おお、呉侯でおわすか。……実は、こうです。貴家の一門となって、共に曹操を亡ぼし得るなら、この岩斬れよ。然らずんば、この剣折れん――と天に念じて斬ったところ、この通り斬れました」
「ほ。……なるほど。では予も試みてみよう」
孫権も、剣を抜いた。同じように天へ祈念をこらして、大喝一声すると、剣石ともに響いた。
「やっ……斬れた」
「オオ。斬れましたな」
この奇蹟は、後世の伝説となって、甘露寺の十字紋石とよばれ、寺中の一名物になったという。
「どうです。皇叔、方丈へもどって、さらに杯を重ねようじゃありませんか。長夜の宴です」
「いや、座にたえません。あまり大酔したものですから」
「では、ひと醒まししてからまた」
袖を連ねて、門外へ逍遥に出た。
月小さく、山大きく、加うるに長江の眺め絶佳なので、玄徳は思わず、
「ああ、天下第一の江山」と嘆賞した。
後世、甘露寺の門に「天下第一江山」の額が掛けられたのは、彼の感嘆から出たものと云い伝えられている。
玄徳はまた、月下の江上を上下してゆく快舸を見て、
「なるほど、北人はよく馬に騎り南人はよく舟を走らすと世俗の諺にもありましたが、実に、呉人は水上を行くこと平地のようですね」と、いった。
孫権は、どう勘ちがいしたか、
「なに、呉の国にも、良い馬もあり、上手な騎手もいます。ひと鞍当てましょうか」
たちまち、二頭の駿馬をひき、ふたり轡をならべて、江岸の坡まで駈けた。玄徳もよく走り、孫権もさすが鮮やかだった。そして、相かえりみて、快笑した。
呉の土民がここを後に「駐馬坡」と称んだわけは、この由緒に依るものだとか。
こんな事もあったりして、玄徳はつい逗留十数日を過した。その間、試されたり、脅かされたり、しかも日々夜々歓宴、儀礼、見物、招待ずくめで、心身も疲れるばかりだった。
趙雲子龍も心配顔だし、喬国老も案じてくれた。国老はそのためしばしば呉の宮中に通って母公をうごかし、孫権をなだめ、遂に吉日を卜して、劉玄徳と呉妹君との婚礼を挙げるところまで漕ぎつけてしまった。
華燭の典の当日まで、趙子龍は主君の側を離れず喬国老に頼んで五百の随員――実は手勢の兵も呉城に入れることの許可を得、間断なく玄徳の身を護っていたが、婚礼の夜いよいよ後堂の大奥へ花婿たる玄徳が入ることになると、さすがにそこから先の禁門には入れもしなかったし、入れてくれとも頼めなかった。
女宮の深殿に導かれた玄徳は、気も魂もおののいた。
なぜなら閨室の廊欄には燈火をつらね、そこに立ちならぶ侍女から局々の女たちまで、みな槍薙刀をたずさえて、閃々眼もくらむばかりだったからである。
「ホ、ホ、ホ、ホ。貴人。何もそのように怖れ給うことはありません。呉妹君はお幼き頃から、剣技をお好み遊ばし、騎馬弓矢の道がお好きなのです。決して貴人に危害を加えるためではありません」
房の内外を司る管家婆という役目の老女が、こういって、玄徳の小心を笑った。
玄徳はほっとして、老女侍女など千余人の召使いに、莫大な金帛を施した。