西蜀四十一州図
一
覇者は己れを凌ぐ者を忌む。
張松の眼つきも態度も、曹操は初めから虫が好かない。
しかも、彼の誇る、虎衛軍五万の教練を陪観するに、いかにも冷笑している風がある。曹操たる者、怒気を発せずにはいられなかった。
「張松とやら。いま汝は、蜀は仁政を以て治めるゆえ、兵馬の強大は要らんとか申したが、もし曹操が西蜀を望み、この士馬精鋭をもって押しよせたときは如何。蜀人みな鼠の如く、逃げ潜む術でも自慢するか」
「はははは。何を仰せられる」
張松は口を曲げて答えた。
「聞説。魏の丞相曹操は、むかし濮陽に呂布を攻めて呂布にもてあそばれ、宛城に張繍と戦うて敗走し、また赤壁に周瑜を恐れ、華容に関羽に遭って泣訴して命を助かり、なおなお、近くは渭水潼関の合戦に、髯を切り、戦袍を捨てて辛くも逃げのがれ給いしとか。さるご名誉を持つ幕下の将士とあれば、たとい百万、二百万、挙げて西蜀に攻め来ろうとも、蜀の天嶮、蜀兵の勇、これをことごとく屠るに、なんの手間暇が要りましょうや。丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。おそらくふたたび銅雀台にお還りの日はないでしょう」
どっちが威圧されているのか分らない。ずいぶん他国の使臣には会ったが、曹操のまえでこれほど思いきったことをいった男はかつて一人もない。
当然、曹操は赫怒した。楊修に向って、
「言語道断な曲者。その首を、塩桶に詰めて、蜀へ送り返せ」と、身をふるわせて罵った。
楊修は極力弁護した。不遜な言は吐くが、張松の奇才は実に測り知れない。どうか寛大なご処置を垂れてください。私の身に代えてもと嘆願した。
「いかん。断じてならん」
曹操はきかない。しかし、荀彧まで出て、かかる奇能の才を殺すことは、やがて天下に聞えると、必ず丞相の不徳を鳴らす素因の一つに数えられましょう。殺すことだけはお止めになったほうがよろしい。そういってともども諫めた。
「しからば、百棒を加えて、場外へ叩き出せ」
こんどは、兵に命じた。
張松はたちまち大勢の兵に囲まれて遮二無二、練兵場の外に引きずり出された。そして鉄拳を浴び、足蹴をうけ、半死半生にされて突き出された。
「無念」
張松はすぐに本国へ帰ろうと思った。しかし、つらつら思うに、自分が魏に来た心の底には、蜀はとうてい、いまの暗愚な劉璋では治まらない。いずれ漢中に侵略される運命にある。で、こんどの使命を幸いに、もし曹操の人物さえよかったら、魏の国に蜀を合併させるか、属国となすか、いずれにせよ、蜀は曹操に取らしてもよい考えでいたのである。
「よしっ。この報復には、きっと彼に後悔をさせてみせるぞ。自分も、国を出るとき、諸人の前で大言を放って来たてまえ、空しくこんな辱を土産にしては帰れない」
彼は、腫れあがった顔に、療治を加えると、すぐ翌る日、相府にも断わらず、従者を連れて許都を去ってしまった。
「蜀の小男が、よけい小さくなって、蜀へ帰って行った」
都の者は、笑っていたが、なんぞ知らん、彼は途中から道をかえて、荊州のほうへ急いでいたのだった。そして、郢州の近くまで来ると、彼方から一隊の軍馬が、整然と来て、
「そこへ参られたは、蜀の別駕張松どのではなきや」
と、先なるひとりの大将がいう。張松が、然り、と答えると、その武将はひらりと馬を降りて、礼をほどこし、
「それがしは、荊州の臣、趙雲子龍。主人玄徳の命をうけ、これまでお出迎えに参りました。遠路、難所を越えられ、さだめしお疲れでしょう。いざあれにてご休息を」
導いた一亭には、酒を整え、茶を煮、洗浴の設けまでしてあった。
二
魏に使いして、使いを果たさず、失意と辱を抱いて落ちてきた客が、かくばかり鄭重な出迎えをうけようとは、張松も、意外であったらしい。
「どうして、劉皇叔には、このように張松を篤くお迎え下さるのか」
訊くと、趙雲は、
「いや、ご辺のみに、こうなされるのではありません。総じて、わが主君は客を愛すお方ですから」と、答えた。
そこからは趙雲の案内で、途中の不自由も不安もなく進んだ。
日をかさねて、荊州の境に入る。そして黄昏れごろ、駅館へ着いた。
すると、門外に、百余人の兵が、二行にわかれて整列していた。
張松のすがたを見ると、一斉に鼓を打ち鉦を鳴らして歓迎したので、張松が、びっくりして立ち止まると、たちまち、長髯長躯の大将が、彼の馬前に来て、
「賓客、ようこそご無事で」
と、にこやかに、出迎えの礼をなし、自身、馬の口輪をとって導いた。
張松はあわてて馬を降り、
「あなたは、関羽将軍ではありませんか」と、たずねた。
「さよう。此方は羽です。どうぞお見知りおきを」
「恐縮恐縮。知らぬこととは申せ、つい馬上にて受礼。おゆるし下さい」
「なんの、此方はあなたの出迎えを命ぜられた皇叔の一臣に過ぎません。国賓たるご辺に、さようなご遠慮を抱かせては此方の役目不つつかに相成る。どうか、何なりと御用あれば仰せ下さるように」
館中に入ると、関羽は、客のために、夜もすがらもてなし、その接待は懇切を極めた。
次の日はいよいよ荊州城市へ入った。見ると、城市の門まで、道は塵もとめず掃き清められ、たちまち、彼方から錦幡五色旗をひるがえして、一簇の人馬がすすんで来る。
嚠喨として喇笛が吹奏され、まっ先にくる鞍上の人を見れば、これなん劉玄徳。左右なるは、伏龍孔明、鳳雛龐統の二重臣と思われた。
張松は驚いて、馬を降り、あわてて路上に拝跪の礼をとろうとすると、すでに玄徳も馬を降りて、その手を取り、
「かねて、大夫のご高名は、雷のごとく承っていましたが、雲山はるかに隔てて、教えを仰ぐこともできなかった。しかるに今日、お国へ還りたもうと聞き、慈母を待つごとく、お待ちしていました。しばしなと、渇仰の情をのべさせて下さい。私の城へ来て」
「垢じみたこの貧客に、ご家中まで遣わされ、かつ今日は、過分なお出迎え。張松ただただ恐縮のほかございません」
曹操のまえでは、あのように不遜を極めた張松も、玄徳のまえには、実に、謙虚な人だった。
人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。
城中の歓迎は、豪奢ではないが、雲山万里の旅客にとっては、温か味を抱かせた。
その際玄徳は、世上一般の四方山ばなしに興じているだけで、蜀の事情などは少しも訊ねなかった。
かえって、張松のほうから、話題に飽いて、こんな質問をし出した。
「いま、皇叔の領せられる土地は、荊州を中心に、何十州ありますか」
孔明がそばから答えた。
「州都もすべて借り物です。われわれはご主君に、これを奪って領有することが、何の不義でもないことを力説していますが、わがご主君は物堅く、呉の孫権の妹君を夫人にしておられる関係に義を立てて、いまなお真にご自身の国というものをお持ちになっておりません」
龐統も、口をそろえて、
「わが主玄徳は、人みな知るとおり、漢朝の宗親でありながら、少しも自分というものを強く主張しようとなさらんのです。……今、その漢朝にあって、位人臣を極め、専政をほしいままにしている者のごときは、もともと、匹夫下郎にもひとしいのですが」
と、いかにも歯がゆそうに云って、張松へ杯をさした。
三
「そうです。そうです」と何度もうなずいて、張松は杯を受けながら、共鳴を誇張した。
「ただ徳ある人に依ってのみ、天下はよく保たれる。すなわちまた、諸民の安心楽土もそこにしかない。不肖思うに劉皇叔は、漢室の宗親。仁徳すでに備わり、おのずから四民もその高風を知っていますから、一荊州を領し給うにとどまらず、正統を受け継いで、帝位につかれたところで、誰も非難することはできないでしょう」
玄徳は、耳なきごとく、あるごとく、ただ、手を交叉したまま、穏やかに顔を横に振っていた。そして、
「先生のご過賞は、ちと当りません。なんで玄徳にそのような天資と徳望がありましょう」
とのみいって笑った。
逗留三日、張松はこの城中にもてなされて、しかも一日でも一刻でも、不愉快なことは覚えなかった。
四日目、張松は別れを告げて、蜀へ立った。玄徳は名残りを惜しみ、十里亭まで、自身送ってきた。
ここに少憩してささやかな別宴をひらき、共に杯を挙げて、前途の無事を祈りながら、玄徳は眼に涙をふくんで、
「先生と交わりをむすぶこと、わずか三日、またいつの日か、お教えを仰ぐことができましょう。人生多事、蜀へ帰られてはお忙しいでしょうが、折にふれ、荊州に玄徳ありと思い出して下さい。鴻雁西へ行くときには、仰いで玄徳も、西蜀に先生あることを胸に呼びかえしているでしょう」
と、いった。
張松はこのとき胸に誓った。蜀に迎えて、蜀の新天地を創造する人は、正にこの人以外にはないと。
「いや、この度は、三日の間、朝暮ご恩に甘え、何らのお報いもなさず、今お別れに際して慚愧にたえません。ただ、皇叔のために、ここで一言申しのこすならば、荊州の地は決してあなたの永住に適する領土でありますまい。南に孫権があって、常に鯨呑の気を示し、北に曹操があって、虎踞の象を現しています」
「先生。玄徳もそれを知らぬのではありませんが、如何にせん、他に身を安んずる所がないのです」
「乞う。眼を転じて、西蜀の地を望み給え。そこは、四方みな嶮岨といえ、ひとたび峡水をこゆれば、沃野千里、民は辛抱づよく国は富む。いまもし荊州の兵をひきい、ここを占むれば、大事を興さんこと目前にありといえましょう」
「いうをやめよ先生。それも知らないではないが、蜀の劉璋は、これもまた、漢室のながれを汲む家。血すじにおいて、わが同族。なんでその国家を犯してよいものぞ」
「いやいや。そのお考えは、小義を知って大義に晦いものと申さねばならん。元来、劉璋は暗弱の太守、無能の善人、いかにこの時代の大きな変革期を乗りきれましょうや。現状のままでは、明日にも漢中の張魯に侵されて五斗米の邪教軍に蹂躙されてしまうしかありません。――如かず、魏の曹操に蜀を取らせ、張魯の侵略を防いで、蜀の民を守らんにはと――このたび張松が上洛の心中には、そうした決意があったのです。いわば蜀の国をわざわざ彼に献じに出向いたものなのでした」
「…………」
「しかるにです。ひとたび、許都の府に足を入れるや、私は眉をひそめました。そこの都市文化はあまりに早、爛熟を呈し、人は驕り、役人は賄賂を好み、総じて唯物的風潮がみなぎっている。果たせる哉。曹操の人物を見るに及んでも、その軍隊の教練を見ても、事大主義で恫喝的で、私はいたずらに、反感をそそられるばかりでした。――思うに、将来久しからずして、彼曹操かならず漢朝に大きな禍いをするでしょう。……皇叔、決して、おだてるのではありません。媚るのでもありません。どうかご自重、また大志を抱き、かつ天下万民のため、小義にとらわれないで下さい」
張松は従者を呼んだ。
そして馬の背の荷物のうちから一箇の筥を取寄せた。
蓋を開いて、これを展じれば、千山万水、峨々たる山道、沃野都市部落、一望のうちに観ることができる。すなわち、彼が蜀を立つときから携え歩いていた「西蜀四十一州図」の一巻だった。
四
「ごらんなさい。蜀の図です」
「ああ。これは精密なもの。行程の遠近、地形の高低、山川の険要、府庫、銭粮、戸数にいたるまで……まるでいながら観るようである」
玄徳は眸を離さなかった。
「皇叔。速やかに思し召をここに立て給え」と張松はそばから熱心に彼の意をふるい促した。
「――私に深く交わる心友がふたりいます。法正、字は孝直。もう一名は孟達、字を子慶といいます。他日、そのふたりが訪ねて参ったときは、諸事わたくし同様に、ご相談あっても、たしかな人物ですから、どうかご記憶にとめておいて下さい」
「青山老イズ緑水長ク存ス。いつか先生の芳志に報うことができるかも知れない」
「この西蜀四十一州図の一巻は、他日、入蜀の道しるべ。また、今日のお礼として、お手許に献上します。どうかお納めおき下さるように――」
かくて、彼は、先へ立った。
玄徳は十里亭から戻ったが、関羽、趙雲などは、なお数十里先まで張松を送って行った。
× × ×
益州。それは巴蜀地方の総称である。漢代から蜀は益州、或いは巴蜀とひろく呼ばれていた。
実に遠い旅行だった。張松は日を経て、ようやく故国益州へ帰ってきた。
すでに首都の成都(四川省・成都)へ近づいてきた頃、道のかたわらから、
「やあ、ようこそ」
「ご無事で何よりだった」
と、二人の友が早くも迎えに出ていて、その姿を見るなり近づいてきた。
「おお、孟達か。法正も来てくれたのか」
張松は馬を降りて、こもごも、手を握り合った。
「久しく、蜀の茶の味に渇いていたろう。そう思って、彼方の松下に、小さい炉をおいて、二人で茶を煮て待っていた。すこし休息して行き給え」
友は彼をさそって、松の下へ来た。茶を喫し、道中の話などにふけったが、そのうちに、張松は、
「君たちも、現状のままでは、必然、蜀が亡ぶしかないことは知っているだろうが、もしそうとしたら、この蜀に、たれを起死回生の主君と仰ぎたいかね」と、ふたりに訊ねた。
法正は、怪訝な顔して、
「そのために君は、遠く使いして、魏の曹操に会ってきたのじゃないか。曹操との交渉に、何かまずいことでもあったのかね」
「まずい。甚だまずい結果になった。で、実は、君達だけに打明けるが、おれは途中から気持が変った。蜀へ曹操などを入れたら、蜀の破滅を意味するだけで、蜀の民の幸福にはならん」
「では、誰を迎えるのか」
「だから今、君たちに、そっと意中を訊いてみたわけさ。忌憚ないところをいってくれ給え」
「それはほんとか」
「たれが君らを欺こう」
「ふーむ……」と、法正はうめいて、「わしならば、荊州の劉玄徳とむすびたいと思うが」
孟達の顔を見ると、孟達も、ひとみをかがやかして、
「そうだ、曹操へ蜀を献じるくらいなら、玄徳を主と仰いだほうがはるかにいい。本来、初めから玄徳へ使いすべきであったよ」
聞くと、張松は、莞爾として「実は……」と、あたりを見まわした。そして二人の顔へ、顔を寄せて、許都を去ってから荊州へ立ち寄った事情やら、玄徳とある黙契をむすんで来た事実を打明けた。
「そうか。では偶然、三人の考えが、一致したわけだ。よし、そうなれば大いに張合いもある。張兄、抜かるな」
「万事は胸にある。もし、この儀について、劉璋から君たちに召出しがあったら、君らこそ抜からずに頼むぞ」
「よいとも」
三人は、血盟して別れた。
次の日張松は、成都に入り、劉璋に謁して、使いの結果をつぶさに復命した。
もちろん、曹操のことは、極力悪ざまにいった。彼には早くから蜀を奪う下心があったので、こちらの交渉など耳にもかけないばかりか、かえって張魯の先を越して、蜀へ攻め入ってくるような気配すら見えたと告げた。