梨の木

 戦陣に在る日は、年を知らない曹操も凱旋して、すこし閑になずみ、栄耀贅沢をほしいままにしていると、どこが痛む、ここが悪いと、とかく体のことばかり訴える日が多かった。
 いかんせん彼もすでに今年六十五という老齢である。体のままにならないのは自然だったが、自分ではまだそう思わないらしい。「どうもこう近頃のように勝れないのは、関羽の霊でも祟っているのではあるまいか――」などと時々気に病んでいたりした。
 ある時、側臣たちが、
「この洛陽の行宮も、もうずいぶん殿宇が古くなっていますから、自然怪異のことが多うございます。居は気をかえると申しますから、べつに新殿を一宇お建てになられては如何ですか」
 と、すすめた。
 その前から曹操は、建始殿と名づける大楼を建造したいという望みを抱いていたが、ただ彼の求めるような良工がまだ見つからなかった。で、今もそのことをいうと侍側のひとりが、
洛陽に蘇越という建築の名工がいます。これならきっとお気に入るにちがいありません」
 と、いった。
 賈詡に命じて、すぐ蘇越へその儀を達せよ、となった。蘇越は召されて後、賈詡の手を経て、設計図をさし出した。曹操が見ると、九間の大殿が中心となって、南楼北楼を連ね、奥の建始殿の構想など最も気に入ったらしかった。
 けれど九間の大殿には、おそらくそんな長い棟木があるまいと思われたので、蘇越をよんで、
「そちの図はまことに良いが、画いた良さだけでは仕方がない。どこから、そんな巨きな材木を探してくるか」と、問うた。
 蘇越は答えていう。
洛陽から三十里、躍龍潭の淵に、一つの祠があります。そこにある梨の木は高さ十余丈、千古の神木です。これを伐って棟梁といたしましては如何でしょうか」
「なに、梨の木。それは珍しい。天下に二つとない建築物になろう」
 老いても奇を好む習癖は失せないらしい。曹操は直ちに大勢の人を派して伐らせた。ところがその神木の幹は、鋸の刃も斧もてんで受けつけないということで、幾日経っても、材木は運ばれてこなかった。
 曹操は聞いて、必定それは、人夫どもが祠の神木だという伝説に恐怖を抱いているせいだろう。自分がそこへ臨んで、彼らの迷信の蒙をひらいてやる、車の用意をせよ、と命じて、急に数百騎の供をつれ、躍龍潭へ出かけて行った。
 車をおりて、梨の木を仰ぐと、梢は雲に接し、根は百龍のごとく淵に蟠っている。
 曹操は根もとへ寄って、
「普天の下、われに怪をなすものはない。いま汝を伐って、わが建始殿の棟梁とする。汝、精あらば後生の冥加を歓んでよかろうぞ」
 剣を抜いて、ちょうっと一颯、梨の幹へ、一伐を加えた。
 するとそれを眺めていた土地の老翁や神官などが、みなあッと、声を放って哭いた。その声と共に、震々、梨の木は葉をふりこぼし、幹は血のごとき樹液をほとばしらせた。
「すでに予が斧初めの刃を入れた。もし木の精が祟るなら曹操へ祟るだろう。もう心配はないから恐れずに伐れ」
 彼は、工匠の蘇越や人夫どもへそう告げて、すぐ洛陽へ立ち帰った。
 しかしその車を宮門で降りたときは、すでに彼の顔色は常でなかった。すこし気分が悪いと呟いてすぐ寝殿へ入ってしまったのである。
 間もなく、あたふたと、侍医がそこから退がってきて、
「どうも、お熱が高い」と、眉をひそめながら薬寮へ入って行った。
 時々、寝殿の帳から、譫語が洩れてきた。そのたびに、侍臣が駈けこんで、枕頭をうかがっていると、曹操は眦をあげて、
「梨の木の怪神はどこへ行った」とじろじろ見まわした。
 侍臣が、そんな者はおりませんというと、曹操はつよく首を振って、
「いや、真っ白な衣を着た怪神が、梨の精だと名乗って、幾たびも予の胸を圧した。探してみろ」
 と、云い張って肯かなかった。

 翌る日はなお頭痛を訴えてやまない曹操であった。時折、梨の木の怪を口走ることも前夜と同じなのである。
 侍医はあらゆる薬餌を試みたが、病人の苦悩は少しも減じない。そして日の経るに従って、曹操の面には古い壁画の胡粉が剥落してゆくように、げっそりと窶れが見えてきた。
 めずらしく今朝はすこし気分が快いらしく、曹操は、見舞に来た華歆とはなしこんでいた。華歆は、
「侍医の百計も、験がないと御意遊ばすなら、いま金城に住居すると聞く華陀をお召しになってごらんなさい。華陀は天下の名医です」
 と、しきりにすすめているのだった。
 病人も意をうごかして、
名医華陀の名はつとに聞いていた。沛国譙郡の産で、以前、呉の周泰を療治した者ではないか」
「よくご存知でいらっしゃいます。仰せの通りの人物で、彼の手にかかって癒らない病人はない程にいわれておりまする。臓を患い、腹腑を腐らしたような重病人も、麻肺湯を飲ますと、須臾の間に昏睡して、仮死の状態になります由で、すなわち彼は、刀をとって、腹を解剖き、臓腑を薬洗して、たちまち元のように収め、糸をもって傷口を縫うに、二十日を経ずして、まったく快癒した例などもあるそうでございまする」
「ふふむ……そんな荒療治をいたすのか」
「いやいや、その間、病人は少しも痛みを覚えないと申しまする。またこんな例も聞きました。甘陵の相夫人ですが、妊娠して六月目の頃、どうしたのかひどく腹痛がして苦悶三日三晩に及んだのを、華陀に診てもらったのです。華陀は脈をみるとすぐ、ああこれは惜しい、孕まれたのはせっかく男子らしいが、毒にあたってすでに腹中で絶命している。いま癒さなければ母命も危ういところだろうと、すなわち、調薬して病人に与えると、果たして男胎が下り、夫人は七日を経てもとの体にかえったそうです」
「そんなに神効があるものなら呼んでみよう。早速、計らってくれい」
 病人は眸に希望をかがやかしてそう命じた。華歆は早速使いを走らせ、魏王の名とその勢力をもって、遠く金城の地から夜を日に次いで華陀を洛陽へ招きよせた。
 華陀は到着すると、その日のうちに登殿して、曹操の病間へ伺候した。そして慎重に眼瞼や脈をしらべて、
「これは風息の病にちがいございません」と、診断した。
 曹操はうなずいて、
「そうあろう、予の持病は、偏頭風とか申して、それが発作すると、無性に頭が痛み、数日は飲もできなくなるのが常だ。せっかく名医に来て貰ったことだから、なんとか、その持病を根治する方法はないだろうか」
「さよう……」
 と、華陀はちょっと難しい顔をして考えこんでいたが、ややあって、
「ないこともありません。けれど非常に難しい手術を要します。ご持病の病根は、脳袋のうちにあるので、薬を召しあがっても、所詮、病に何の効もないのです。ただ一つの方法は、麻肺湯を飲んで、仮死せるごとく、昏々と意識も知覚もなくしておいてから、脳袋を解剖き、風涎の病根を切り除くのでござります。さすれば十中の八、九は、根治するやも知れません」
「もし、十中の一でも、巧くゆかなかったら、どうなるか」
「畏れながら、ご命数と、お諦め遊ばすしかございませぬ」
 曹操は勃然と怒って、
「これ、やぶ医者。汝は予のいのちを、医刀の試みに用いるつもりか」
「はははは。私には自信がありますが、あえて謙遜して申しあげたのです。かつて荊州関羽が毒矢にあたって苦しまれていた時も、手前が行って、その臂を切り、骨を削り、さしもの毒も取り除いて、全治させておりまする。何で大王には、それしきの手術を恐れて、華陀の医術をお疑い遊ばすか」
「だまれ、臂と脳袋と、同じにいえるか。ははあ、さては汝は、関羽と親しい間がらの者であるな、察するに、予の病を絶好の機として近づき、関羽の仇を報ぜんとするのであろう。――者ども、者どもっ。この曲者を搦め捕って、獄へほうりこめ」
 病人はがばと起き、阿修羅のごとく指さして罵った。

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