北斗七星旗

 青貝の粉を刷いたような星は満天にまたたいていたが、十方の闇は果てなく広く、果てなく濃かった。陰々たる微風は面を撫で、夜気はひややかに骨に沁む。
「なるほど、妖気が吹いてくる――」
 仲達は眸をこらして遠くを望み見ていた。陰風を巻いて馳け来る一輛の車にはそれを囲む二十八人の黒衣の兵が見える。髪をさばき、剣を佩き、みな跣足であった。北斗七星の旗はその先頭に馳け、また炎の飛ぶが如き赤装束の騎馬武者が全軍を叱咤してくる。
孔明だ」
 仲達はなお見まもっていた。四輪の車は鳴り奔ってくる。車上、白衣簪冠の人影こそ、まぎれなき諸葛孔明にちがいなかった。夜目にも遠目にも鮮やかである。
「あはははは」
 突然仲達は大笑した。そして旗本以下屈強な兵二千をうしろからさしまねいて、直ちに号令した。
「鬼面人を嚇すというやつだ――妖しむことはない。恐れることもない。破邪の剣を揮って馳け崩してみろ。化けた孔明も跣足になって逃げ出すだろう。汝らが迅速なれば、その襟がみをつかんで、彼奴を捕虜となすこともできる。――それっ、近づいてきた。かかれっ」
 二千の鉄騎は励み合って、わあっと、武者声を発しながら驀進した。すると孔明の車は、ぴたりととまり、二十八人の黒衣兵も、七星の旗も、赤装束の騎馬武者もすべてにわかに後ろを見せて、しずしずと引き退いて行く様子である。
「早くも逃げ始めたぞ。のがすな」と、魏の鉄騎隊は鞭打った。
 ところが、不思議や、追えども追えども追いつかない。
 妖しき霧が吹き起って、白濛々黒迷々、彼方の車は目の前にありながら、馬は口に泡を噛み、身は汗に濡るるばかりで、少しも距離は短縮されないのであった。
「奇怪奇怪。おれたちはもう三十余里も馬を飛ばして来ているのに?」
孔明の車はあのように急ぎもせず徐々と行くのに?」
「これで追いつけないとはどういうわけだろう」
 呆れ返って、魏の勢はみな馬をとどめ、茫然、怪しみに打たれていた。
 すると孔明の車とその一陣はまた此方へ向って進んでくる。魏兵はそれを望むと、
「おのれ、こんどこそは」
 喚いて攻めかかったが、こっちで奔ると、彼方の影は再び後ろを見せている。しかも悠々とさわがず乱れず逃げてゆく。
 またも追うこと二十余里。鉄騎二千はみな息をきらしたが、孔明の車との隔りは、依然すこしも変っていない。
「これはいよいよ凡事ではない」
 迷いにとらわれて、一つ所に人馬の旋風を巻いていた。そこへ後ろから馬を飛ばしてきた仲達が、口々にいう嘆を聞いて、さてはと悟り顔に、
「察するにこれは、孔明のよくなす八門遁甲の一法、六甲天書のうちにいう縮地の法を用いたものであろう。悪くすると冥闇必殺の危地へ誘いこまれ、全滅の憂き目にあうやも測り難い。もはや追うな。もとの陣地へ退け」と、にわかに下知をあらためて、急に馬首を向けかえた。
 すると不意に西方の山から鼓が鳴った。愕然と、闇をすかして望み見ると、星あかりの下を、一彪の軍馬が風の如く馳けてきた。たちまちその中から二十八人の黒衣の兵と、北斗七星の旗と、火焔の如き騎馬の大将があらわれて、真先に進んでくる。
 近づくを見れば、黒衣の兵はみな髪をふり乱し、白刃をひっさげ、素はだしの態である。四輪車のうえの白衣簪冠の人もまた前に追いかけた者と少しもちがわない。
「や、や。ここにもまた孔明がいる?」
 仲達は味方の怯むをおそれて、自身先に立って追いかけてみた。二十里、三十里と、追いかけ追いかけ鞭打ったが、どうしてもこれに近づき得ないことも、前の時と同じだった。
「奇怪だ。これは実に不思議極まる」
 と、彼すらへとへとになって引っ返してくると、また一方の山の尾根から、七星の旗と黒衣の怪兵二十八人が、同じ人を乗せた四輪車を押し進めてきた。

 人か鬼か、実か幻か、魏の勢は駭然と慄えあがり、敢えて撃とうとする者もない。
「退けや、退けや」
 と、司馬懿も今は、胆も魂も身に添わず、逃げ奔る一方だった。
 するとまたまた、行く手の闇の曠野に、颯々たる旗風の声と車輪の音がしてきた。仲達は驚倒して眼をみはった。車上の人はたしかに孔明であり、左右二十余人の黒衣白人の影も、北斗七星の旗も、初めに見たものと寸分の相違もない。
「いったい孔明は何人いるのか? この分では蜀軍の数も量り知ることができない」
 彼と数千の鉄騎は、ほとんど、悪夢の中を夜どおし駈け歩いたように疲れ果てて、朝頃、ようやく上※の城へ逃げ帰ってきた。
 その日、ひとりの蜀兵が捕虜になって来た。調べてみると、青麦を刈って鹵城へ運送していた者だという。
「さてはあの隙に、多量の麦を刈り取られていたか」
 とさとって、仲達がなおその兵を自身で吟味してみると、昨夜の怪しい妖陣のうちの一陣はたしかに孔明の車であったに違いはないが、あと三陣の隊伍と車は、姜維、魏延、馬岱などが偽装していたもので、孔明の影武者であったに過ぎないということが分った。
「ああそれで縮地の法の手段が読めた。同装同色同物の隊伍を四つ編制しておいて、追われて逃げる時は、曲り道の山陰や、丈高き草の道などで、近きが隠れ、遠きが現われ、いわゆる身代りの隠顕出没によって、追う者の眼を惑わし惑わし逃げていたのだ。……さすがは諸葛亮。さりとは智者なるかな」
 彼は正直に孔明を惧れた。そしていよいよ守るを主としていた。
「鹵城にある蜀兵を、深く探ってみましたところ、案外少数です。大軍と見せていたは孔明の軍立てによる用兵の妙で、味方の兵力をもって包囲すれば、おそらく袋の鼠でしょう」
 郭淮はしきりに主張した。良策もなきまま以後、消極的に堕し過ぎていたことを自身も反省していた仲達は、彼に説かれて、
「では、動かずと見せて、急に前進し、一挙に鹵城を包囲してしまおう。それが成功すれば、後の作戦はいくらでも立つ」
 夕陽西へ沈む頃、ここの大軍はいちどに発足した。鹵城はさして遠くない。夜半までには難しいが、未明には着ける予定である。
 途中の湿地帯と河原と山とを除くほかは、すべて熟れたる麦の畑だった。蜀の斥候兵は点々と一町おきにその中に隠れていた。
 一条の縄から縄が鹵城のすぐ下までつながっていた。一兵がその鳴子を引くと、次の兵から次の兵へ鳴子を伝え、電瞬の間に、(魏の襲撃あり)――は蜀軍のうちへ予報されていた。
 で、孔明は、来るべき敵に対して、策を立て、配備をなし、なお充分、手具脛ひいているほどな暇を持っていた。
 もとより地方の一城なので、塀は低く、濠は浅い。取りつかれては最後である。姜維馬岱馬忠、魏延などの諸隊はおおむね逸早く城外へ出ていた。
 城外は一望麦野であった。潜むには絶好である。深夜の風は麦の穂を波立てていた。
 音なき怒濤のごとく魏の大軍は迫ってきた。――敵はまだ覚らず――と思ったか全軍を分散して、城の東西南北に分ち始めた。と思うまに城の上から数千の弩がいちどに弦を切って乱箭を浴びせてきた。さては敵も知ったるぞ、この上は一揉みに踏みつぶせ――と濠をこえて城壁へかかると大石巨木が雪崩れ落ちてきた。浅い濠はたちまち屍で埋まった。
「少々苦戦」と司馬懿はなお励ましていたが、一瞬の後、その少々は大々的に変った。すなわち背後の麦畑がみな蜀兵と化したのである。いかに精鋭な魏軍も乱れざるを得なかった。
 暁の頃。司馬仲達は一つの丘に馬を立てて唇を噛んでいた。見事夜来の一戦も敗れたのである。損害を数えると、死傷約千余を出しているという。
 以来また彼は上※城の殻に閉じ籠る臆病なやどかりになっていた。郭淮は無念にたえず、日夜智慧をしぼって、次の一策を仲達へすすめた。その計は奇想天外であって、ようやく仲達の眉を晴れしめるに足りた。

 鹵城は決して守るにいい所ではないが、魏軍の動向は容易に測り難いものがあるので、孔明もじっと堅守していた。
 しかし彼は、この自重も決して策を得たものとはしていない。なぜならば近頃、司馬懿は雍涼に檄文を飛ばして、孫礼の軍勢を剣閣に招いているふうが見える。ひとたび魏がその尨大な兵力を分けて、蜀境の剣閣でも襲うことになろうものなら、帰路を断たれ、運輸の連絡はつかなくなり、ここの陣地にある蜀軍数万は孤立して浮いてしまう。
「――余りに動かざるは、かえって、大いなる動きあるに依るともいう。どうも近ごろ魏軍の静かなのは不審だ。姜維と魏延とは、各一万騎をつれて、剣閣へ加勢に赴け。何となく心許ないのはあの要害である」
 姜維と魏延とは、彼の命をうけて、即日軍勢をととのえ、剣閣へ向って行った。
 それから後のことである。長史楊儀は孔明の前へ出て、
「さきに漢中を立たれる際、丞相は、軍を二つに分けて、百日交代で休ませると宣言なされたでしょう。どうも弱ったことであります」
「楊儀。何を困ったというか」
「もはやその百日の日限がきたのです。前線の兵と交代する漢中の軍はもう彼の地を出発したといって参りました」
「すでに法令化した以上、一日も違えてはならん。早々この兵は漢中へ還せ」
「いまここに八万の軍があります。どう交代させますか」
「四万ずつ二度にわけて還すがいい」
 諸軍はこれを聞いて大いに歓び、それぞれ帰還の支度をしていた。
 ところへ剣閣から早馬が来た。魏の大将孫礼が、雍涼の勢を新たに二十万騎募って、郭淮と共に剣閣へ猛攻してきたというのである。
 それさえあるにまたまた、司馬仲達が時を同じゅうして、全魏軍に総攻撃の命を発し、今しもこの所へ押し襲せてくるとも伝えてきた。
 全城の蜀軍が愕きおそれたことはいうまでもない。楊儀は倉皇と孔明に告げていた。
「こうなっては交代どころではありません。帰還のことは、しばらく延期して、目前の敵の強襲を防がせねばなりますまい」
「いやいや、そうでない」孔明はつよく面を横に振っていった。
「わが師を出して、多くの大将を用い、数万の兵をうごかすも、みな信義を本としていることである。この信義を失うては、蜀軍に光彩もなく、大きな力は出せなくなる。また彼らの父母妻子も、すでに百日交代の規約を知っているゆえ、みな家郷にあって指折り数え、わが子、わが良人の帰りを門に待っているであろう。たとい今いかなる難儀におよぶとも、予はこの信義を捨てることはできない」
 楊儀は、早速、孔明のことばをそのまま蜀軍の兵に告げた。
 それまでは、種々に臆測して、多少動揺を見せていた兵も、孔明の心をこうと聞くと、みな涙をながして、
「丞相はそれほどまで、吾々を思っていて下されたのか」
「かくのごときご恩にたいして、何で吾々として、丞相の危急を見ながら、ここを去り得ようか」
 彼らはこぞって、楊儀を通じ、孔明に願い出てきた。
「願わくは命を捨てて、丞相の高恩に報ぜん」
 孔明はなお還れとすすめたが、彼らは結束して踏み止まった。そして目に余るほどな魏の大軍に反撃を加え、遂には、先を争って城外へ突出し、雍涼勢の新手をも粉砕して、数日の間に、さしもの敵を遠く退けてしまった。
 けれど一難去ればまた一難。全城凱歌に沸き満ちているいとまもなく、永安城にある味方の李厳から計らずも意外な情報を急に告げてきた。

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