溯江

 遷都以後、日を経るに従って、長安の都は、おいおいに王城街の繁華を呈し、秩序も大いにあらたまって来た。
 董卓の豪勢なることは、ここへ遷ってからも、相変らずだった。
 彼は、天子を擁して、天子の後見をもって任じ、位は諸大臣の上にあった。自ら太政相国と称し、宮門の出入には、金花の車蓋に万の簾を垂れこめ、轣音揺々と、行装の綺羅と勢威を内外に誇り示した。
 ある日。
 彼の秘書官たる李儒が、彼に告げた。
「相国」
「なんじゃ」
「先頃から、袁紹公孫瓚とが、盤河を挟んで戦っていますが」
「ム。そうらしいな。どんな形勢だ」
袁紹のほうが、やや負け色で、盤河からだいぶ退いたようですが、なお、両軍とも対陣のまま、一ヵ月の余も過しております」
「やるがいい、両軍とも、わしに叛いたやつだ」
「いや、ここ久しく、朝廷におかれても、遷都後の内政にいそがしく、天下の事は抛擲した形になっていますが、それでは、帝室のご威光を遍からしめるわけにゆきません」
「なにか、策があるのか」
「相国から奏上して、天子の詔をうけ、勅使を盤河へつかわして、休戦をすすめ、両者を和睦させるべきかと存じます」
「なるほど」
「両方とも、おびただしい痛手をうけて、戦い疲れている折ですから、和睦の勅使を下せば、よろこんで承知するでしょう。――そしてその恩徳は、自然、相国へ対して、帰服することとなって来ましょう」
「大きにもっともだ」
 董卓は、早速、帝に奏して、詔を奏請し、太傅馬日磾、趙岐のふたりを勅使として関東へ下した。
 勅使馬太傳は、まず袁紹の陣へ行って、旨を伝え、それから公孫瓚の所へ行って、董相国の和解仲裁の意をもたらした。
袁紹さえ異存なくば」
 と、一方がいえば、一方も、
「彼が兵を退くならば」
 との云い分で、両方とも、渡りに舟とばかり、勅命に従った。
 そこで馬太傳は、盤河橋畔の一亭に、両軍の大将をよんで、手を握らせ、杯を交わしあって、都へ帰った。
 袁紹も、公孫瓚も、同日に兵馬をまとめて、おのおの帰国したが、その後、公孫瓚は、長安へ感謝の表を上せて、そのついでに、劉備玄徳を、平原の相に封じられたいという願いを上奏した。
 朝廷のゆるしは間もなく届いた。公孫瓚は、それを以て、
「貴下に示す自分の微志である」と、玄徳に酬いた。
 玄徳は、恩を謝して、平原へ立つことになったが、その送別の宴が開かれて、散会した後、ひそかに、彼の宿舎を訪れて来た者がある。趙雲子龍であった。
 子龍は、玄徳の顔を見ると、
「もう、今宵かぎり、お別れですなあ」
 と、いかにも名残り惜しげに、眼に涙すらたたえて云った。
 そして、いつまでも、話しこんで帰ろうともしなかったが、やがて思いきったように、子龍は云いだした。
「劉兄。――明日ご出発のみぎりに、それがしも共に平原へ連れて行ってくれませんか。こう申しては押しつけがましいが、私は、あなたとお別れするに忍びない。――それほど心中に深くお慕い申しているわけです」
 と鬼をあざむく英傑が、処女の如く、さしうつ向いていうのであった。

 玄徳もかねてから、趙子龍の人物には、傾倒していたので、彼に今、別離の情を訴えられると、
「せっかく陣中でよい友を得たと思ったのに、たちまち、平原へ帰ることになり、なにやら自分もお別れしとうない心地がする」と、いった。
 子龍は、沈んだ顔をして、
「実は、それがしは、ご存じの如く、袁紹の旗下にいた者ですが、袁紹洛陽以来の仕方を見るに、不徳な行為が多いので、ひるがえって、公孫瓚こそは、民を安める英君ならんと、身を寄せた次第です。――ところが、その公孫瓚も、長安董卓から仲裁の使いをうけると、たちまち、袁紹と和解して、小功に甘んじるようでは、その器もほどの知れたもので、とうてい、天下の窮民を救う英雄とも思われません。まずまず、袁紹とちょうどよい相手といってよいでしょう」
 こう嘆いてから、彼は、玄徳に向って、自分の本心を訴えた。
「劉大兄。お願いです。それがしを平原へお伴い下さい。あなたこそ、将来、為すある大器なりと、見込んでのお願いです。……どうぞ、それがしを家臣として行く末までも」
 子龍は、床にひざまずいて、真実を面に、哀願した。
 玄徳は、瞑目して、考えこんでいたが、
「いや、私はそんな大才ではありません。けれど、将来において、また再会のご縁があったら、親しく今日の誼をまた温めましょう。――今は時機ではありません。私の去った後は、なおのこと、どうか公孫瓚を助けてあげて下さい。時来るまで、公孫瓚の側にいて下さい。それが、玄徳からお願い申すところです」
 諭されて、子龍もぜひなく、
「では、時を得ましょう」と、涙ながら後に留まった。
 翌日。
 玄徳は、張飛関羽などの率いる一軍の先に立って、平原へ帰った。――即ち、その時から彼は平原の相として、ようやく、一地方の相たる印綬を帯びたのだった。
      ×     ×     ×
 ここに、南陽の太守で、袁術という者がある。
 袁紹の弟である。
 かつては、兄袁紹の旗下にあって、兵糧方を支配していた男だ。
 南陽へ帰ってからも、兄からはなんの恩禄をくれる様子もないので、
「怪しからぬ」と、不平でいっぱいだった。
 彼は、書面を送って、
「先頃からの賞として、冀北の名馬千匹を賜わりたい。くれなければ考えがある」
 と兄へ申入れた。
 袁紹は、弟の強請がましい恩賞の要求に、腹を立てたか、一匹の馬も送ってよこさないばかりか、それについての返辞も与えなかった。
 袁術は大いに怨んで、それ以来、兄弟不和となっていたが、兵馬の資財はすべて兄のほうから仰いでいたので、たちまち、経済的に苦しくなって来た。
 で、荊州劉表へ使いをやって、兵糧米二万斛の借用を申しこむと、劉表からも態よく断られてしまった。
「こいつも兄の指し金だな」
 袁術は、憤怒を発して、とうとう自暴自棄の兆をあらわした。
 彼の密使は、暗夜ひそかに、呉へ渡って、呉の孫堅へ一書を送った。
 文面は、こうであった。

異日、印を奪わん為、洛陽の帰途を截ち、公を苦しめたるものは袁紹の謀事なり。今また、劉表と議し、江東を襲って、公の地を掠めんと企つ。いうに忍びず、ただ、公は速やかに兵を興して荊州を取れ。われもまた兵を以て助けん。公荊州を得、われ冀州を取らば、二讐一時に報ずるなり。誤ち給うなかれ。

 ここは揚子江支流の流域で、城下の市街は、海のような太湖に臨んでいた。孫堅のいる長沙城(湖南省)はその水利に恵まれて、文化も兵備も活発だった。
 程普は、その日旅先から帰ってきた。
 ふと見ると、大江の岸にはおよそ四、五百艘の軍船が並んでおびただしい糧や武器や馬匹などをつみこんでいるのでびっくりした。
「いったい、どこにそんな大戦が起るというのか」
 従者をして、船手方の者にただしてみると、よく分らないが、孫堅将軍の命令が下り次第に、荊州揚子江沿岸)の方面の戦争にゆくらしいとのことだった。
「はてな」
 程普はにわかに、私邸へ帰るのを見合わせて、途中から登城した。そして同僚の幕将たちにわけを聞いていよいよ驚いた。
 彼はさっそく太守の孫堅に謁して、その無謀を諫めた。
「承れば、袁術と諜し合わせて、劉表袁紹を討とうとの軍備だそうですが、一片の密書を信じて、彼と運命を共にするのは、危ない限りではありますまいか」
 孫堅は笑って、
「いや程普、それくらいなことは、自分も心得ておるよ。袁術はもとより詐り多き小人だ。――しかし、予は彼の力をたのんで兵を興すのではない。自分の力をもってするのだ」
「けれど、兵を挙げるには、正しい名分がなければなりません」
袁紹は先に、洛陽において、わしをあのように恥かしめたではないか。また、劉表はそのさしずをうけて、予の軍隊を途中で阻み、さんざんにこの孫堅を苦しめた。今、その恥と怨みとをそそぐのだ」
 程普も、それ以上、諫言のことばもなく、自らまたすすんで軍備を督励した。
 吉日をえらんで、五百余艘の兵船は、大江を発するばかりとなった。――早くもこの沙汰が、荊州劉表へ聞えたので、劉表は、
「すわこそ」と、軍議を開いて、その対策を諸将にたずねた。
 時に、蒯良という一将がすすみ出て、意見を吐いた。
「なにも驚き騒ぐほどな敵ではありません。よろしく江夏城の黄祖をもって、要害をふせがせ、荊州襄陽の大軍をこぞって、後軍に固く備えおかれれば、大江を隔てて孫堅もさして自由な働きはできますまい」
 人々も皆、
「もっともな説」と、同意して、国中の兵力をあつめ、それぞれ防備の完璧を期していた。
 湖南の水、湖北の岸、揚子江の流域はようやく波さわがしい兆しをあらわした。
 さて、ここに。
 孫堅方では、その出陣にあたって、閨門の女性やその子達をめぐって、家庭的な一波紋が起っていた。
 彼の正室である呉氏の腹には、四人の子があった。
 長男の孫策、字は伯符
 第二子孫権、字は仲謀
 第三男、孫翊。
 第四男、孫匡。
 などの男ばかりだった。
 また、呉氏の妹にあたる孫堅の寵姫からは、孫朗という男子と、仁という女子との二人が生れていた。
 また、兪氏という寵妾にも、ひとりの子があった。孫韶、字は公礼である。
 ――明日は出陣。
 と聞えた前夜のこと。その大勢の子らをひきいて、孫堅の弟孫静は、なにか改まって、兄孫堅の閣へたずねて来た。

「舎弟か、――やあ大勢で揃って来たな。明日は出陣だ。みんなして門出を祝いに来たか」
 孫堅は、上機嫌だった。
 弟の孫静は、
「いや兄上」と改まって、
「あなたのお子たちをつれて、こう皆して参ったわけは、ご出戦をお諫めにきたので、お祝いをのべに来たのではありません」
「なに。諫めに?」
「はい。もし大事なお身に、間違いでもあったら、この大勢の公達や姫たちは、どうなされますか。このお子たちの母たる呉夫人も、呉姫も、兪美人も、どうか思い止まって下さるようと、私を通じてのおすがりです」
「ばかをいえ、この期になって――」
「でも、敗れて後、戟をおさめるよりはましでしょう」
「不吉なことを申すな」
「すみません、しかし兄上、これが、天下の乱にのぞんで億民の救生に起つという戦なら、私はお止めいたしません。たとえ三夫人の七人のお子がいかにお嘆きになろうとも、孫静が先に立ってご出陣を慶します。――けれどこんどの軍は、私怨です。自我の小慾と小義です。その為、兵を傷つけ、百姓を苦しめるようなお催しは、絶対にお見合せになったほうがよいと考えられますが」
「だまれ、おまえや女子供の知ったことじゃない」
「いや、そう仰っしゃっても」
「黙らぬかっ。――汝は今、名分のない戦といったが、誰か、孫堅の大腹中を知らんや。おれにも、救世治民の大望はある。見よ、今に天下を縦横して、孫家の名を重からしめてみせるから」
「ああ」
 孫静は、ついに黙ってしまった。
 すると、呉夫人の子の長男孫策は、ことし紅顔十七歳の美少年だったが、つかつかと前へ進んで、
「お父上が出陣なさるなら、ぜひ私も連れて行ってください。七人の兄弟のうちでは、私が年上ですから」と、いった。
 にがりきっていた孫堅は、長男の健気なことばに、救われたように機嫌を直した。
「よくいった。幼少からそちは兄弟中でも、英気すぐれ、物の役にも立つ子と、わしも見込んでいただけのものはあった。明日、わしの立つまでに、身仕度をしておるがよい」
 孫堅は、さらに、大勢の子と、弟とを見まわして、
「次男の孫権は、叔父御の孫静と心をあわせて、よく留守を護っておれよ」と、云い渡した。
 次男の孫権は、
「はい」と、明瞭に答えて、父の面に、じっと訣別を告げていた。
 孫策の母の呉夫人は、叔父と共に諫めに行った長男が、かえって父について戦に征くと聞いて、
「とんでもない。あの子を呼んでおくれ」
 と、侍女を迎えにやったが、それがまだ夜も明けない頃だったのに、長男の孫策は、もう城中にいなかった。
 孫策は、もし母が聞いたら、必ず止めるであろうと、あらかじめ察していたし、また、彼は鷹の子の如く俊敏な気早な若武者でもあったから、父の出陣の時刻も待たず、
「われこそ一番に」と、まだ暗いうちに大江の畔へ出て、早くも軍船の一艘に乗込み、真っ先に船をとばして、敵の鄧城(河南省・鄧県)へ攻めかかっていたのであった。

 黎明と共に、出陣の鼓は鳴った。長沙の大兵は、城門から江岸へあふれ、軍船五百余艘、舳艫をそろえて揚子江へ出た。
 孫堅は、長男の孫策が、すでに夜の明けないうち、十艘ばかり兵船を率いて、先駆けしたと聞いて、「頼もしいやつ」と、口には大いにその健気さを賞したが、心には初陣の愛児の身に万一の不慮を案じて、
孫策を討たすな」と、急ぎに急いで、敵の鄧城へ向った。
 劉表の第一線は、黄祖を大将として、沿岸に防禦の堅陣を布いていた。
 孫策は、父の本軍より先に来て、わずかな兵船をもって、一気に攻めかかっていたが、陸上から一斉に射立てられて、近づくことさえできなかった。
 その間に、味方の五百余艘が、父孫堅の龍首船をまん中にして、江上に船陣を布き、
孫策、はやまるな」
 と、小舟をとばして伝令して来たので、孫策もうしろへ退いて、父の船陣の内へ加わった。
 孫堅は、充分に備え立て、各船の舳に楯と射手をならべ、弩弓の弦を満々とかけて、
「いざ、進め」と、白浪をあげながら江岸へ迫った。
 そして、射かける間に、各親船から小舟をおろし、戟、剣の精鋭を陸へ押しあげて、一気に沿岸の防禦を突破しようという気勢であった。
 しかし、敵もさるものである。
 防禦陣の大将黄祖は、かねて手具脛ひいて待っていたところであるから、
「怨敵ござんなれ」と、鳴りをしずめたまま、兵船の近づくまで、一矢も放たなかった。
 そして、充分、機を計って、
「よしっ」
 と、黄祖が、一令を発すると、陸上に組んである多くの櫓や、また、何町という間、布き列ねてある楯や土塁の蔭から、いちどに飛箭の暴風を浴びせかけた。
 両軍の射交わす矢うなりに、陸地と江上のあいだは矢の往来で暗くなった。黄濁な揚子江の水は岸に激して凄愴な飛沫をあげ、幾度かそこへ、小舟の精兵が群れをなして上陸しようとしたが、皆ばたばたと射殺されて、死体はたちまち、濁流の果てへ、芥のように消えて行った。
「退けや、退けや」
 孫堅は、戦不利と見て、たちまち船陣を矢のとどかぬ距離まで退いてしまった。
 彼は、作戦を変えた。
 夜に入ってからである。さらに、附近の漁船まで狩りだして、それに無数の小舟を列ね、赤々と、篝火を焚かせて、あたかも夜襲を強行するようにみせた。
 江上は、真っ暗なので、その火ばかりが物すごく見えた。陸上の敵は、
「すわこそ」と、昼にもまして、弩弓や火箭を射るかぎり射てきた。
 しかしそれには、兵は乗っていなかったのである。舟をあやつる水夫だけであった。孫堅の命令で、水夫は、敵にいたずらな矢数をつかい果たさせるため、暗澹たる江上の闇で、ただ、わあわあっと、声ばかりあげていた。
 夜が明けると、小舟も漁船も、敵に正体を見られぬうちに、四散してしまった。そして、夜になるとまた、同じ策を繰返した。
 こうして七日七夜も、毎夜、空船の篝で敵を欺き、敵がつかれ果てた頃、一夜、こんどはほんとに強兵を満載して、大挙、陸上へ馳けのぼり、黄祖の軍勢をさんざんに追い乱した。

 船手の水軍は、すべて曠野へ上がって、雲の如き陸兵となった。
 鄧城へ逃げこんだ敵の黄祖は、張虎、陳生の両将を翼として、翌日ふたたび猛烈に撃退しにかかって来た。
 そして、乱軍となるや、「孫堅を始め、一人も生かして帰すな」とばかり、張虎、陳生らは、血眼になって馳けまわり、孫堅の本陣へ突いてくると、大音で罵った。
「汝ら、江東の鼠、わが大国を犯して、なにを求めるかっ」
 聞いて、孫堅は、
「口はばったい草賊めら、あの二人を討て」と、左右へ下知した。
 幕下の韓当は、
「われこそ」と、刀を舞わして、張虎へ当り、戦うこと三十余合、火華は鏘々と、両雄の眸を焦いた。
 陳生、それを見て、
「助太刀」と、呼ばわりながら、張虎を扶けて韓当を挟み撃ちに苦しめた。
 さしもの韓当もすでに危うしと見えた時である。――父孫堅の傍らにあった孫策は、従者の持っていた弓を取りあげて、キリキリと箭を眦へ当ててふかく引きしぼり、
「おのれ」と、弦を切って放った。
 箭は、ぴゅっと、味方の上を越えて、彼方なる陳生の面に立った。
 陳生は、物すごい叫びをあげて、どうと鞍から転び落ちる――
「や、やっ」
 張虎は、怖れて、にわかに逃げかけた。やらじと追いかけて、韓当はそのうしろから、張虎の盔の鉢上をのぞんで重ね討ちに斬りさげた。
 ――二将すでに討たる!
 と聞えて、全軍敗色につつまれ出したので、黄祖は狼狽して、蜘蛛の子のように散る味方の中、馬を打って逃げ走った。
黄祖を擒れ」
「生擒りにせよ」
 若武者孫策は、槍をかかえて彼を追うこと急だった。
 幾たびか、孫策の槍が、彼のすぐ後ろまで迫った。
 黄祖は、盔も捨て、ついには、馬までおりて、徒歩の雑兵たちの中へまぎれこんで、危うくも、一つの河をわたり、鄧城の内へ逃げ入った。
 この一戦に、荊州の軍勢はみだれて、孫堅の旗幟は十方の野を圧した。
 孫堅は、ただちに、漢水まで兵をすすめ、一方、船手の軍勢を、漢江に屯させた。
      ×     ×     ×
黄祖が大敗しました」
 早馬の使いから、次々、敗報をうけて、劉表は色を失っていた。
 蒯良という臣が云った。
「この上は、城を固めて、一方、袁紹へ急使をつかわし、救いをお求めなされるがよいでしょう」
 すると、蔡瑁は、
「その計、拙し」と反対して、「敵すでに城下に迫る。なんで手をつかねて生死を他国の救いに待とうぞ。それがし不才なれど、城を出て、一戦を試みん」と豪語した。
 劉表も、それを許した。
 蔡瑁は、一万余騎をひきいて、襄陽城を発し、峴山(湖北省・襄陽の東)まで出て陣を張った。
 孫堅は、各所の敵を席捲して、着々戦果を収めて来た勢いで、またたちまち、峴山の敵も撃破してしまった。
 蔡瑁は、口ほどもなく、みじめな残兵と共に、襄陽城へ逃げ帰って来た。

 大兵を損じたばかりか、おめおめ逃げ帰って来た蔡瑁を見ると、初めに、劉表の前で、卑怯者のようにいい負かされた蒯良は、
「それみたことか」と、面罵して怒った。
 蔡瑁は、面目なげに、謝ったが蒯良は、
「わが計事を用いないで、こういう大敗を招いたからには、責めを負うのが当然である」
 と、軍法に照らして、その首を刎ねん――と太守へ申し出た。
 劉表は、困った顔して、
「いや今は、一人の命も、むだにはできない場合だから」
 と、なだめて、ついに、彼を斬ることは許さなかった。
 ――というのは、蔡瑁の妹は絶世の美人であって、近ごろ劉表は、その妹をひどく愛していたからであった。
 蒯良も、ぜひなく黙ってしまった。大義と閨門とはいつも相剋し葛藤する――。が、今は争ってもいられない場合だった。
「頼むは、天嶮と、袁紹の救援あるのみ」
 と、蒯良は、悲壮な決心で、城の防備にかかった。
 この襄陽の城は、山を負い、水をめぐらしている。
 荊州の嶮。
 と、いわれている無双な要害であったから、さすが寄手の孫堅軍も、この城下に到ると、攻めあぐんで、ようやく、兵馬は遠征の疲労と退屈を兆していた。
 するとある日。
 ひどい狂風がふきまくった。
 野陣の寄手は、砂塵と狂風に半日苦しんだ。ところが、どうしたことか、中軍に立っている「帥」の文字をぬいとってある将旗の旗竿が、ぽきんと折れてしまった。
「帥」の旗は、総軍の大将旗である。兵はみな不吉な感じにとらわれた。わけて幕僚たちは眉をくもらせて、
「ただ事ではない」と、孫堅をかこみ、そしておのおの口を極めていった。
「ここ戦もはかばかしからず、兵馬もようやく倦んできました。それに、家郷を遠く離れて、はや征野の木々にも冬の訪れが見えだしたところへ――朔風にわかにふいて、中軍の将旗の旗竿が折れたりなどして、皆不吉な予感にとらわれています。もうこの辺で、いちど軍をお退きになられてはいかがでしょうか」
 すると孫堅
「わははは。其方どもまで、そんな御幣をかついでいるのか」と、哄笑した。
 彼は、気にもかけていなかった。しかし、士気に関することであるから、孫堅も、真面目になって云い足した。
「風はすなわち天地の呼吸である。冬に先立って、こういう朔風がふくのは冬の訪れを告げるので旗竿を折るためにふいてきたのではない。――それを怪しむのは人間の惑いに過ぎん。もうひと押し攻めれば、落ちるばかりなこの城だ。掌のうちにある敵城をすてて、なんでここから引っ返していいものか」
 いわれてみれば、道理でもあった。諸将は二言なく、孫堅の説に服して、また、士気をもり返すべく努めた。
 翌日から、寄手はまた、大呼して城へ迫った。水を埋め、火箭鉄砲をうち浴せ、軽兵は筏に乗って、城壁へしがみついた。
 しかし、襄陽の城は、頑としていた。
 霜が降りてくる。
 霙が夜々降る。
 蕭々たる戦野の死屍は、いたずらに、寒鴉を歓ばすのみであった。

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