黒風白雨

 今は施すすべもない。なにをかえりみているいとまもない。業火と叫喚と。
 そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押し出していた。
 火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。
 玄徳も逃げた。
 けれど、いつのまにか、彼はただ一騎となっていた。
 小沛から遠く落ちて、ただの一騎となった身に、気がついた時、玄徳は、
「ああ、恥かしい」と思った。
 もう一度、城へ戻って戦おうかと考えた。小沛の城には老母がいる、妻子が残してある。
「――何で、われ一人、このまま長らえて落ちのびられよう」
 慚愧にとらわれて、しばし後ろの黒煙をふり向いていたが、
「いや待て。――ここで死ぬのが孝の最善か。妻子への大愛か。――呂布もみだりに老母や妻子を殺しもしまい。今もどって、いたずらに呂布を怒らすよりはむしろ呂布に完全な勝利を与えて、彼の心に寛大な情のわくのを祈っていたほうがよいかもしれぬ」
 玄徳は、そう思慮して、悄然とひとり落ちて行った。
 彼のその考えは後になってみると賢明であった。
 呂布は、小沛を占領すると糜竺をよんで、
「玄徳の妻子は、そちの手に預けるから、徐州の城へ移して、固く守っておれ。擒虜の女子供をあなどって、みだりに狼藉する兵でもあったら、これを以て斬り捨ててさしつかえない」
 と、自身の佩いていた剣をといて授けた。
 糜竺は拝謝して、玄徳の妻子を車にのせ徐州へ移った。
 呂布はまた、高順張遼の両名を、この小沛の城に籠めて自身は、山東兗州の境にまで進み、威を振って敗残の敵を狩りつくした。
 関羽
 張飛
 孫乾など。
 諸将の行方を追及することも急だったが、彼らは山林ふかく身を寓せて、呂布の捜索から遁れていたので、遂に、網の目にかからなかった。
 玄徳は、許都へ志した。思えばそういう中をただ一騎、無事に落ちのびられたのは、奇蹟といってもよい。
 山に臥し、林に憩い、惨たる旅をつづけてゆくうちに、
「わが君。わが君っ――」
 と或る谷あいで追いついてくる数十騎の者があった。見ると、孫乾であった。
「ようこそご無事に」と、孫乾は、玄徳のすがたを見ると、声をあげて哭いた。
「嘆いている場合ではない。とにかく許都へ上って、曹操に会い、将来を計ろう」
 主従は道をいそいだ。
 わびしき山村が見えた。玄徳以下、飢えつかれた姿で、村にたどり着いた。
 すると、誰が伝えたわけでもないのに、
小沛の劉玄徳様が、戦に負けて、ここへ落ちてござられたそうな」
「あの、劉予州様かよ」
「おいたわしい事ではある」
 と、そこらの茅屋から村の老幼や、女子どもまで走りでて、路傍に坐り、彼の姿を拝して、涙をながした。
 田夫野人と呼ばれる彼らのうちには、富貴の中にも見られない真情がある。人々は、物を持って来て玄徳に献げた。またひとりの老媼は、自分の着物の袖で、玄徳の泥沓を拭いた。
 無智といわれる彼らこそ、人の真価を正しく見ていた。日頃の徳政を通して、彼らは、
「よいご領主」
 と、玄徳の人物を、夙に知っていたのであった。

 その夜は猟師の家に宿った。
 猟師という主の男は、感涙をながして、
「こんな山家にご領主をお泊め申すことは勿体ないやら有難いやらで、どうおもてなし致していいかわかりません」と、拝跪していった。
 玄徳は見て、
「主は、以前からこの村に住居しておる者か」と、たずねた。
 猟師にしては、どこか骨柄の秀でたところが見えたからである。
 主は、破れ床に平伏して、
「お恥かしい次第ですが、祖先は漢家のながれをくみ、劉氏の苗裔で、自分は劉安と申すものでございます」と、答えた。
 その晩、劉安は肉を煮て玄徳に饗した。
 飢えぬいていた玄徳主従は、歓んで箸を取った。そして「何の肉か」と、たずねると、
「狼の肉です」という劉安の返辞だった。
 ところが、翌朝出発に際し、孫乾が馬を引出そうとして、何気なく厨をのぞくと、女の死骸があった。
 おどろいて、主の劉安に、
「いかなるわけか」
 と質すと、劉安は泣いて、
「わたくしの愛妻ですが、ご覧のごとく、家貧しく殿へ饗すべき物もありませんので、実は、妻の肉を煮ておもてなしに捧げたわけでございます」と、初めて打明けた。
 孫乾からそれを聞いて、玄徳は感傷してやまなかった。で、劉安にこうすすめた。
「どうだ、都へのぼって任官をしては」
 すると、劉安は顔を振って、
「思し召はありがとうぞんじますが、手前が都へ行っては、ひとりの老母を養う者がありません。老母は、動かせない病人ですから、どうもその儀は」
 と、断った――という。

=読者へ
 作家として、一言ここにさし挟むの異例をゆるされたい。劉安が妻の肉を煮て玄徳に饗したという項は、日本人のもつ古来の情愛や道徳ではそのまま理解しにくいことである。われわれの情美感や潔癖は、むしろ不快をさえ覚える話である。
 だから、この一項は原書にはあっても除こうかと考えたが、原書は劉安の行為を、非常な美挙として扱っているのである。そこに中古支那の道義観や民情もうかがわれるし、そういう彼我の相違を読み知ることも、三国志の持つ一つの意義でもあるので、あえて原書のままにしておいた。
 読者よ。
 これを日本の古典「鉢の木」と思いくらべてみたまえ。雪の日、佐野の渡しに行き暮れた最明寺時頼の寒飢をもてなすに、寵愛の梅の木を伐って、炉にくべる薪とした鎌倉武士の情操と、劉安の話とを。――話の筋はまことに似ているが、その心的内容には狼の肉の味と、梅の花の薫りくらいな相違が感じられるではないか。

 閑話休題。
 玄徳は次の日、そこを立って梁城の附近に到ると、彼方から馬けむりをあげてくる大軍があった。
 これなん、曹操自身が、許都の精猛を率いて、急ぎに急いできた本軍であった。
 地獄で仏に。
 玄徳は、計らずも曹操にめぐり会って、まったくそんな心地であった。
 曹操は始終を聞いて、
「乞う。安んじ給え」
 と、彼をなぐさめ、なお、前の夜玄徳が泊った宿の主、劉安の義侠を聞いて、金若干を与え、
「老母を養うべし」と、使いにいわせた。

 曹操の本軍が済北に到着すると、先鋒の夏侯淵は片眼の兄を連れて、
「ご着陣を祝します」と、第一に挨拶に来た。
夏侯惇か、その眼はどうしたのだ」
 曹操の訊ねをうけて夏侯惇は片眼の顔を笑いゆがめて、
「先の戦場において喰べてしまいました」
 と、仔細をはなした。
「あははは。わが眼を喰った男は人類はじまって以来、おそらく汝ひとりであろう。身体髪膚これ父母に享くという。汝はまた、孝道の実践家だ。――暇をつかわすゆえ、許都へ帰って眼の治療をするがいい」
 曹操は大いに笑ったが、次々と挨拶にくる諸将を引見して、
「ところで、呂布のほうはどんな情勢にあるか」と、おのおのの意見を徴した。
 ひとりがいう。
呂布はあせっております。自己の勢力を拡大すべく味方となる者なら強盗であろうと山賊であろうと党を選ばず扶持して、軍勢に加え、いたずらにその数を誇示し、兗州その他の境を侵して、ともかく軍の形容だけは、このところ急激に膨脹して、勢い隆々たるものがあります」
小沛の城は」
「目下、呂布の部下、張遼高順の二将がたて籠っております」
「ではまず、玄徳の復讐のために、小沛を攻めて、奪回しろ」
 一令の下に、諸将は、各〻の陣所につき、中軍のさしずを待ちかまえた。
 曹操は、玄徳と共に、山東の境へ突出して、はるか蕭関のほうをうかがった。
 その方面には――
 泰山の強盗群、孫観、呉敦、尹礼、昌豨などの賊将が手下のあぶれ者、三万余を糾合して、
「山岳戦ならお手のものだ。都の弱兵などに負けてたまるか」
 と、威を張り、陣を備えて、賊党とはいえ、なかなか侮りがたい勢いだった。
許褚。突きすすめ」
 曹操は、けしかけるように、許褚へ先駆を命じた。
 許褚は、
「仰せ、待っていました」とばかり手勢をひいて敵中へ突撃した。泰山の大盗孫観、呉敦をはじめ、馬首をそろえて、彼へ喚きかかってきたが、一人として許褚の前に久しく立っていることはできなかった。
 山兵は、つなみの如く、蕭関へさして逃げくずれた。
「追えや。今ぞ」
 曹操の急追に、山兵の死骸は、谷をうずめ、峰を紅く染めた。
 その間に、幕下の曹仁は、手勢三千余騎をさずけられて、間道を縫い、目ざす小沛の城へ、搦手から攻めかけていた。
 小沛から徐州へ――
 ひんぴんとして伝令は馳けた。
 呂布は、徐州に帰っていた。
 兗州から帰って、席あたたまるいとまもなく、眉に火のつくような伝令また伝令のこの急場に接したのであった。
小沛徐州の咽喉だ。自身参って、防ぎ支えねばならん」
 彼は、陳大夫陳登の父子をよんで、防戦の策を計り、陳登は、われに従え、陳大夫は残って徐州を守れと命じた。
「心得ました」
 父子は、呂布の前をさがると、城中人馬の用意に物騒がしい中を、いつも密談の場所としてある真っ暗な一室にかくれて、ささやき合っていた。
「父上、呂布の滅亡も近づきましたな」
「ウム。いよいよわしら父子の待ってる日が来た」
「幸いに、私は、彼に従って、小沛へ行きますから、戦の出先で、ある妙計を施します。――その結果、呂布曹操に追われて、徐州へ逃げてくるかも知れませんが、その時こそ、父上は城門を閉じて、呂布を断じてこの城へ入れないで下さい。よろしゅうございますか」
 陳登は、かたく念を押したが、陳大夫は、すぐうんとはうなずかなかった。

「父上。なぜ、ご返辞がないのですか」
「でも……。いくらわしが、この城の守りに残っていても、城中には、呂布の一族妻子などが大勢いるではないか。――呂布が城門まで逃げ帰ってきたのを見たら、わしが開けるなといっても、一族の輩が承知するはずはない」
「ですから、それも私が、一策を講じてよいようにして行きます」
 暗黒の密室にかくれて、父子が諜し合わせていると、隣の武器庫で、
陳大夫はどうしたのだろう」
陳登の姿も見えぬが」と、ほかの大将が話していた。
 父子は眼を見合せて、しばし息をこらしていたが、隙を見て、別れ別れに出て行った。
「何しておったか」
 呂布は、それへ来た陳登のすがたを見ると、一喝した。
 無理はない。もう出陣の身支度も終って、閣の外に、勢揃いしていたところである。
 陳登は悪びれず、彼の床几の前に拝伏して、
「実は、父があまりにも、お留守の大役を案じるので、励ましていたものですから」と言い訳した。
 呂布は眉をひそめて、
徐州の留守が、どうしてそんな心配になると、陳大夫はいうのか?」
「何分こんどは、今までの一方的な戦争とちがって、曹軍の大勢は、この徐州の四面を遠くから包囲してきております。もし、万が一にも、事態が急に迫った時は、城中のご一族、金銀兵糧なども、にわかにはほかへ移しようもございません。――老人の取越し苦労といいましょうか、老父はひどくそれを案じておりました」
「ああ、なる程。その憂いも一理あるな」
 呂布は急に糜竺を招いて、
「そちは陳大夫と共に城に残ってわが妻子や金銀兵糧などを、すべて下邳の城のほうへ移しておけ。よろしいか」と、いいつけた。
 彼は、後方の万全を期したつもりで、勇躍、徐州城から馬をすすめて行ったが、何ぞ知らん、その糜竺も、疾くから陳大夫父子と気脈を通じて、呂布の陥穽を掘っていた一人だったのである。
 ――が。呂布はなお気づかなかった。
 小沛の危急を救うつもりで、途中まで来ると、
蕭関が危ない」と聞えてきた。
 呂布は、気が変って、
「さらば、蕭関から先に喰い止めよう」と、急に道をかえた。
 陳登は、諫めた。
「将軍は、お後から徐々と、なるべくお急ぎなくお進みなさい」
「なぜ、急ぐなというか」
蕭関の防ぎには、お味方の陳宮や臧覇も向っていますが、多くは泰山の孫観とか呉敦などの兵です。彼らはもともと山林の豺狼、利に遭えば、いつ寝返りを打つかも知れません。まずそれがしが先に数十騎をひきいて蕭関をのぞみ、陣中の気ぶりを見た上でお迎えに馳け戻ってきましょう」
「よく気がついた。わが命を守って、細やかな心くばり。そちの如き者こそ、真の忠義の士というのだろう。早く行け」
「では、殿にはお後から」と、陳登は先に馳けた。
 そして蕭関の砦へ来ると、味方の陳宮、臧覇に会見して、戦いのもようを問い、
「時に、呂将軍は、なぜか容易にこれへお進みがない。――なにかご辺たちは、殿から疑われるような覚えはござらぬか」と、ささやいた。
「……はてな? そんな覚えはないが」
 陳宮、臧覇は、顔を見合わせた。けれど、なんの覚えはなくとも、敵と対峙している前線にあって、後方の司令部から疑惑されていると聞いては、不安を抱かずにいられなかった。
 その夜のことである。
 独りひそかに、砦の高櫓へのぼって行った陳登は、はるか曹操の陣地とおぼしき闇の火へ向って、一通の矢文を射込み、何喰わぬ顔をしてまた降りてきた。

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