二度祁山に出づ

 漢中滞陣の一ヵ年のうちに、孔明は軍の機構からその整備や兵器にまで、大改善を加えていた。
 たとえば突撃や速度の必要には、散騎隊武騎隊を新たに編制して、馬に練達した将校をその部に配属し、また従来、弩弓手として位置も活用も低かったものを、新たに孔明が発明した偉力ある新武器を加えて、独立した一部隊をつくり、この部将を「連弩士」とよんだ。
 連弩というのは、まったく彼が発明した新鋭器で、鉄箭八寸ほどの短い矢が、一弩を放つと、十矢ずつ飛ぶのである。
 また大連弩は、飛槍弦ともいい、これは一槍よく鉄甲も透し、五人掛りで弦を引いて放つ。べつに、弾を撃つ弩もある。
 輜重には、木牛流馬と称する、特殊な運輸車が考案され、兵の鉄帽(鉄かぶと)から鎧にいたるまで改良された。
 そのほか、孔明の智嚢から出たと後世に伝わっている武器は数かぎりなくあるが、何よりも大きなものは、彼によってなされた兵学の進歩である。八陣の法そのほか、従来の孫呉や六韜にも著しい新味が顕わされ、それは後代の戦争様相にも劃期的な変革をもたらした。
 ところで。
 郝昭のこもった陳倉小城は、わずか三、四千の寡兵をもって、その装備ある蜀の大軍に囲まれたのであるから、苦戦なこというまでもない。
 にもかかわらず、容易に抜かせなかったのは、実に、主将郝昭の惑いなき義胆忠魂の働きであり、また名将の下に弱卒なしの城兵三千が、一心一体よくこれを防ぎ得たものというほかない。
「――かくて魏の援軍が来ては一大事である」
 孔明はついに自身陣頭に出て、苛烈なる総攻撃を開始した。
 雲梯衝車の新兵器まで押し出して用いた。雲梯――雲の梯――とは、高さあくまで高い梯子櫓である。
 櫓の上は、楯をもって囲み、その上から城壁の中を見おろして、連弩弩を撃ちこみ、敵怯むとみれば、その上からまた、べつの短い梯子を無数に張り出して、ちょうど宙に橋を架けるような形を作り、兵は、猿の如く渡って、城中へ突入してゆく。――そういう器械であった。
 また、衝車というのは、それを自由に押す車である。この車にはまた、起重機のような鈎がついている。台上の歯車を兵が三人掛りで廻すと、綱によって、地上の何でも雲梯の上に運び得る仕掛になっていた。
 これが何百台となく、城壁の四方から迫ってきたのを見て、郝昭は立ちどころに、火箭を備えて待っていた。
 そして、鼓を合図に、たちまち火箭を放ち、油の壺を、投げ始めた。
 そのため、雲梯も衝車も、ことごとく、焔の柱となってしまい、蜀兵の焼け死ぬこと酸鼻を極めた。
「この上は、壕を埋めろ」
 孔明は、下知して、土を掘らせ、昼夜わかたず、壕埋めにかからせた。
 すると、城兵もまた、その方面の城壁を、いやが上にも高く築いた。
「さらば、地の底から」
 地下道を掘鑿させて、地底から城中へ入ろうとすると、郝昭もまた、それを覚って、城中から坑道を作り、その坑を横に長く掘って、それへ水を流し入れた。
 さしもの孔明も攻めあぐねた。およそ彼がこれほど頭を悩ました城攻めは前後にない。
「すでに二十日になる」
 攻めこじれた城をながめ、われながらこう嘆声を発しているところへ、前方から早馬で急報してきた。
「魏の先鋒王双の旗が近づきつつあります」
 孔明は、足ずりした。
「早くも、敵の援軍が来たか。――謝雄。謝雄。汝行け」
 副将には、龔起をえらび、各三千騎を附して、にわかに、それへ差し向けると共に、孔明は、城兵の突出をおそれて、陣を二十里外へ退いた。

 ひとまず陣容をあらためて、自重していると孔明の危惧は、果たしてあたっていた。――以後、刻々来る報は、ことごとく、事態の悪化を伝えるものでないものはない。
 そのうちに、さきに出向いた蜀勢はさんざんな姿となって逃げ帰ってきた。――そして、各〻、声もただならず伝えることには、
「わが大将謝雄も、敵の王双に斬って落され、二陣に続いて行ったわが龔起将軍も、王双のために一刀両断にされました。――魏の王双は抜群で、とても当り得る者はありません」
 孔明は大いに驚いて、
「猶予はならず、彼の軍と城中の兵力との聯絡がならば、わが大事は去らん」
 と、廖化、王平、張嶷に命じて、さらに新手の軍勢をさし向けた。
 その間にも、陳倉の一城を救うべく、大挙急いできた魏の援軍は、猛勇王双を先鋒として、折から真冬の猛寒も、悪路山嶮もものかは、昼夜、道をいそいで、刻々急行軍を続けつつあった。
 それを通さじと、防ぎに馳せ向った蜀軍は、第一回にまず撃攘をうけ、第二回に衝突した廖化、王平などの軍勢も、ほとんど怒濤の前に手をもって戸を立て並べるが如き脆さでしかなかった。
 乱軍中、またしても、蜀将張嶷は、魏の王双に追いかけられ、彼が誇るところの重さ六十斤という大刀を頭上に見――あやうく逃げんとした背中へ、たちまち、流星鎚を叩きつけられたのである。
 流星鎚というのは、重い鉄丸を鎖につけた一種の分銅なのだった。王双はこれを肌身に数個持っていて、ここぞと思うとき、突然、敵に投げつけるのだった。
 王平、廖化は、張嶷の身を救い出して退却したが、張嶷は血を吐いて、生命のほどもどうかと危ぶまれる容態だった。
 こうした有様なので、蜀軍はとみに振わず、魏軍は勢いに乗ることいよいよ甚だしい。
 前進、前進、王双軍二万の先鋒は、当るものなき勢いで、すでに陳倉城に近づき、のろしを揚げて城中の者へ、
(――援軍着いたぞ)
 と、連絡の合図を遂げ、蜀兵を一掃して、城外一帯に布陣を終った。
 その態を見るに――
 蜿蜒、大小の車を連ね、上に材木を積み、柵を結び、また塹壕をめぐらし、その堅固なこと、比類もない。
 これを眺めては孔明も、手を下す術もなかったろう。いわゆる百計窮まるの日を幾日か空しく過ごした。
「丞相、ちとお気をお晴らし遊ばしませ、余りに拘泥するはよくありません」
「おお姜維か、何の感やあって、その言をなすのか」
「それがしの思うに、かかるときは、むしろ『離』ということが大事ではないかと考えられます。ご執着から離れることです。この大軍を擁しつつ空しく陳倉の一城に拘泥して心まで囚わるるこそ、まんまと敵の思うつぼに落ちているものではございますまいか」
「そうか、おお、離こそ――離こそ――大事だった」
 姜維の一言に孔明も大いに悟るところがあった。一転、彼は方針をかえた。
 すなわち、陳倉の谷には、魏延の一軍をとどめて、対峙の堅陣を張らせ、また、近き街亭方面の要路には、王平と李恢に命じて、これを固く守らせておいて、孔明自身は、夜ひそかに陳倉を脱し、馬岱、関興、張苞などの大軍をつれて遠く山また山の間道を斜谷を越え、祁山へ出て行ったのである。
 一面。――魏の長安大本営では、大都督曹真が、王双からの捷報を聞いて、
孔明もその第一歩からつまずくようでは、もう往年のような勢威もないとみゆる。戦の先は見えたぞ」と、歓ぶこと限りなく、営中勝ち色に満ちていた。
 ところへ、先鋒の中護軍費耀から、祁山の谷あいで、一名のうろついている蜀兵を生捕ってきた。曹真は、必定、敵の間諜であろうと、面前に引かせ、自身これを調べた。すると、その蜀兵は、
「自分は決して、細作のものではありません。……実は」
 とおずおず、左右の人々を見まわして、
「一大事をお告げしたいのですが、人のおるところでは申し兼ねまする。どうか、ご推量くださいまし」と、平伏して云った。

 乞いを容れて、曹真は左右の者をしりぞけた。蜀兵は、初めて、
「私は、姜維の従者です」
 と、打ち明けて、懐中から一書を取りだした。
 曹真がひらいてみると、まぎれなき姜維の文字だ。読み下すに、誤って、孔明の詭計に陥ち、世々魏の禄を喰みながら、いま蜀人のうちに在るも、その高恩と、天水郡にある郷里の老母とは、忘れんとしても忘るることができない――と言々句々、涙を以て綴ってある。
 そして、終りには。
 ――しかし、待ちに待っていた時は今眼前に来ている。もし姜維の微心を憐れみ、この衷情を信じ賜るならば、別紙の計を用いて、蜀軍を討ちたまえ。自分は身をひるがえして、諸葛亮を擒人となし、これを貴陣へ献じておみせする。ただ願わくは、その功を以て、どうか再び魏に仕えることができるように、おとりなしを仰ぎたい。
――縷々と、陳べてあるほかに、内応の密計が、べつの一葉に、仔細に記してあったのである。
 曹真はうごかされた。たとえ孔明までは捕えられないまでも、いま蜀軍を破って、あの姜維を味方に取り戻せば、一二鳥の戦果である。
「よろしい。よく伝えよ」と、その使いをねぎらい、日を約して帰した。そのあとで彼は費耀を呼んで、姜維の計を示した。
「つまり魏から兵を進めて、蜀軍を攻め、詐り負けて逃げろと、彼はいうのだ。――そのとき姜維が蜀陣の中から火の手をあげるゆえ、それを合図に、攻め返し、挟み撃とうという策略。何と、またなき兵機ではないか」
「さあ。如何なものでしょう」
「なぜそちはよろこばんか」
「でも、孔明は智者です。姜維も隅におけない人物です。恐らくは詐術でしょう」
「そう疑ったら限りがない」
「ともあれ、都督ご自身、おうごきあることは、賛成できません。まず、それがしが一軍を以て試みましょう。もし功ある時は、その功は都督に帰し、咎めある時は、私が責めを負います」
 費耀は、五万の兵をうけて、斜谷の道へ進発した。
 峡谷で、蜀の哨兵に出会った。その逃げるを追って、なお進むと、やや有力な蜀勢が寄せ返してきた。一進一退。数日は小競り合いに過ぎた。
 ところが、日の経つに従って水の浸むように、いつの間にか、蜀軍は増大していた。反対に、魏軍は、敵の奇襲戦略に、昼夜、気をつかうので、全軍ようやく疲れかけていた。
 するとその日、四峡の谷に、鼓角のひびき、旗の嵐が、忽然と吹き起って、一輛の四輪車が、金鎧鉄甲の騎馬武者にかこまれて突出してきた。
「すわや。孔明」と、魏はおそれ崩れた。
 費耀は、はるかに、それを望んで、
「何で恐れることがある。彼にまみゆる日こそ待っていたのだ。やよ者ども」
 と、左右の部将をかえりみて、
「一当て強く押して戦え。そして頃合いよく詐り逃げろ。その退くのはこちらの計略だ。やがて敵の後陣から、濛々と火の手があがるだろう。それを見たら、金鼓一声、猛然と引っ返して撃滅にかかれ。――敵の中には魏に応ずる者があるゆえ、わが勝利は疑いない」
 云いふくめて、すぐ応戦にかかった。
 費耀は馬をすすめて、孔明の四輪車にむかい、
「敗軍の将は兵を語らずというに、恥も知らず、これへ来たか」
 と、罵った。
 孔明は、車上、一眄を投げて、
「汝なにものぞ。曹真にこそいうべきことあり」
 と、相手にもせぬ顔だった。
 費耀は、怒り猛って、
「曹都督は、金枝玉葉、なんぞ恥知らずの汝ごときに出会おうか」
 と、やり返した。
 孔明は、羽扇をあげて、三面の山を呼んで、たちまち、馬岱、張嶷などの軍が、そこから雪崩れおりて来た。
 魏勢は、早くも、予定の退却にかかった。

 戦っては逃げ、戦うと見せては逃げ、魏勢は、うしろばかり振り向いていた。
 いまに、蜀陣の後方から、火の手が揚るか、煙がのぼるかと。
 費耀も馬上そればかり期待しながら、峡山のあいだを、約三十里ほども退却し続けていたが、そのうちに、蜀の後陣から、黒煙の立ち昇るのが見えた。
「しめた。すわや姜維が内応して、合図の火を放ったとみえるぞ」
 鞍つぼ叩いて、費耀は馬上に躍り上がった。そして、一転、馬首を向け直すや否、
「それっ、取ってかえせ。引っ返して、蜀勢を挟撃しろ」
 と、大号令した。
 大将の予言が的中したので、魏の将士は、勇気百倍した。たちまち踵をめぐらして、それまで追撃してきた蜀勢へ、急に、怒濤となって吠えかかった。
 蜀勢は喰い止められた。いや魏兵の猛烈な反撃に遭って、形勢はまったく逆転した。うしおのような声をあげて、われ先にと、逃げ始めたのである。
孔明の車はどこへ失せたか」
 と、費耀は剣をひっさげて、いよいよそれを急追した。このぶんでは馬の脚力次第で、孔明の車に追いつき、その首を一刃に切って落すも至難でないと考えたのである。
「追えや、急げ、雑兵などに眼をくるるな」
 五万の兵はまるで山海嘯の如く谷を縫って流れた。すでにして姜維が火をかけた山々の火気が身近く感じられてきた。枯木生木を焼く猛烈な炎はバリバリと天地に鳴って、四山の雪を解かし、それは濁流となって谷へそそいでくる。
 ――だが、敵は遂に、その影を絶って、どこへ隠れたか見えなくなった。行き当った谷口は、岩や巨材を積んで封鎖されている。
「はてな。第一、姜維の反軍はどう行動しているのだろう?」
 ふとこう疑ったとき、突如、彼は身ぶるいに襲われた。――計られたかと、感じたからである。
 けれど、すでに遅かった。大木、大石、油柴、硝薬などが、轟々と、左右の山から降ってきた。馬も砕け、人もつぶされ、阿鼻叫喚がこだました。
「し、しまった。さては、敵の謀略」
 費耀のおどろきは絵にも描けないほどである。先を争う味方の中を押し揉まれながら、山間の細道を見つけて奔りこんだ。
 すると、その谷ふところから、一彪の軍馬が、金鼓の響きも正しく駈け出して来た。これなん彼の待っていた姜維である。費耀は、一目見るや、怒髪をついて、遠くから罵った。
「不忠不孝の賊子め、かつよくもわれをあざむいたな。思い知れよ、青二才」
 姜維は満顔に、笑みを作りながら、はや近々馬を駈けよせて、
「誰かと思えば、費耀であったか。この腕に捻じ捕えたいと思っていたのは、曹真であったのに、鶴の罠に、鴉のかかる腹立たしさよ。戦うのも面倒なり、盔を脱いで、降参してしまえ」
「何を、忘恩の徒が」
 喚きかかったが、到底、姜維の前に刃の立つわけもない彼はふたたび、それからも、汚く逃げ出した。
 しかし、帰る道も、いつの間にかふさがっていた。山の上から沢山な車輛を投げおろし、それへ油や柴を投げ積んで、それへまた松明を抛ったので、その焔は山の高さほども燃え上がっているのである。
「残念」
 費耀は立往生したが、空しく焼け死にはしなかった。その剣を頸に加えて、自ら首を刎ねたのだった。
「降伏するものはこれへすがれ」と、絶壁から幾筋もの助け綱が垂れていた。魏の兵は、われ先にと、その綱につかまったが、半数も助からなかった。
 後、姜維は、孔明の前に出て謝した。
「この計は、私の案でしたが、どうも少しやり損ないました。かんじんな曹真を打ち洩らしましたから」
 孔明はそれを評していった。
「そうだな。惜しむらくは、大計を用いすぎた。大計はよいが、それを少し用いて、大なる戦果を獲ることが、機略の妙味だが」

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