洛陽に生色還る

 司馬仲達軍のこのときの行軍は、二日行程の道のりを一日に進んで行ったというから、何にしても非常に迅速なものだったにちがいない。
 しかも仲達は、これに先だって、参軍の梁畿という者に命じ、数多の第五部隊を用いて、新城付近へ潜行させ、
司馬懿の軍は、洛陽へのぼって、天子の勅をうけた後、孔明を打破ることになっている。このときに功を成し名を遂げんとする者は、募りに応じて、司馬軍につけ」と、云い触れさせた。
 もちろんこれは新城孟達に油断をさせる謀略で、仲達の大軍は、その先触れのあとから一路新城へ急いでいた。
 途中、魏の右将軍徐晃が、国もとから長安へ赴くのとぶつかった。徐晃は、仲達に会見を求めて、
「いますでに、魏帝におかせられては、長安へ進発あらせ給い、曹真を督して、孔明を破らんとしておられるに、途々の風聞によれば、司馬都督には、洛陽へのぼるともっぱら沙汰いたしておるが、何故いま、帝もおわさぬ都へわざわざお上りなさるのか」と、怪しんで訊ねた。
 仲達は、徐晃の耳へ口をよせて、
「沙汰は沙汰。それがしの急ぐ先は、ほかでもない、孟達新城である」
 と、実を打ち明けた。
「さてこそ」と、徐晃は膝をたたいて、
「――さもあらば、それがしも貴軍に合して、往きがけの一働きを助勢つかまつりたいが」
 と、云い出した。
 希ってもないことであると、司馬懿は彼に先鋒の一翼を委せた。
 すると、第五部隊の参軍梁畿から、
「かかる物が手に入りました」
 と、孔明から孟達へ送った意見書の盗み写したものを送付してきた。
 それを見ると仲達は、愕然たる態をなして、
「危うし危うし。もし孟達孔明の戒めに柔順であったら、事すべてが水泡に帰するであろう。まことや能者は坐して千里の先を観るという。わが玄機はすでに孔明にさとられておる。一刻も疾く急がねば相成るまい」
 司馬師、司馬昭の二子をも励まして、さらに行軍へ拍車をかけ、ほとんど、昼夜もわかたず急ぎに急いだ。
 こういう情勢にありながらなお、少しもそれを覚らずにいたのは新城孟達であった。
 金城の太守申儀や、上庸の申耽などに、大事を打ち明けて、
「不日、孔明に合流せん」と、密盟をむすんでいたその事に安心して、実は申儀も申耽も、腹を合わせて、魏軍が城下へ来たら突如としてそれに内応し、孟達に一泡ふかせてくれん――としているものとは夢にも気づかずにいたのである。
司馬懿は、洛陽へ出ずに、長安へ向うようです」
 新城の諜者は、各地で耳へ入れてきた情報を、いちいち孟達へ報じていた。
「初めは、洛陽へ上ると触れていましたが、途中、徐晃の勢に出あい、魏帝がいま都にいないのを知って、次の日からは、道をかえて、長安へ進んでおるようです」
 そういう詳報も入った。
 孟達は聞くごとによろこんで、
「万端、こちらの思うつぼだ。いでや日を期して、洛陽へ攻め入らん」
 と、上庸の申耽と、金城の申儀へその旨を早馬でいい送り、何月何日、軍議をさだめ即日大事の一挙に赴かん――と、つぶさに諜し合わせにやった。
 ところが、一と朝。
 まだその日の来ないうちにである。暁闇をやぶって、城下の一方から旺なる金鼓のひびきが寝ざめを驚かせた。何事かと、仰天して、物の具をまとうや否や、孟達は城のやぐらへ駈けのぼった。見れば、暁風あざやかに魏の右将軍徐晃の旗が壕近くに見えたので、
「や、や、いつの間に」
 と、弓をとって、その旗の下に見える大将へひょうと一矢を射た。
 何たる武運の拙なさ。
 徐晃は、この朝、攻めに先だって、真額を射ぬかれ、馬からどうと落ちてしまった。

 緒戦の第一歩に、大将を失った徐晃軍は、急襲してきたその勢いを、いちどに怯ませて、先鋒の全兵みな、わあと、浮き足たった。
 城のやぐらからそれを眺めた孟達は、いささか勇気を持ち返して、
「わが大事は、露顕したらしいが、射手の勢は、多寡の知れた人数。しかも大将徐晃はただ一と矢に射止めた。蹴ちらす間には、やがて金城、上庸の援軍も来る。衆みな門を出て、怯み立った寄手どもを一兵のこらず屠ってしまえ」と、金城へ急命を出した。
 城兵は各門から突出して、魏兵を追いくずした。孟達も馬をすすめ、
「あな快や」と、敵勢を薙ぎ伏せ、蹴ちらして、果てなく追撃を加えた。
 しかし追えば追うほど、敵兵の密度は増し、濛々の戦塵とともに敵陣はますます重厚を加えてくる。――はてな? と孟達がふと後ろを見ると、何ぞはからん、翩翻として千軍万馬のうえに押し揉まれている大旗を見れば、「司馬懿」の三文字が金繍の布に黒々と縫い表わされてあるではないか。
「しまった。徐晃勢だけではなかったか」
 あわてて引っ返しにかかった時は、彼の率いていた軍容は全く隊伍をみだしていた。あまつさえ、彼が自分の城へ帰って、そこの城門へ向って烈しく、
「はやく開けろ」と、呼ばわると、おうと答えて、門扉を押し開き、どっと突出して来たのは、申耽、申儀の二軍だった。
「反賊、運のつきだぞ」
「こころよく天誅をうけろ」
 猛然、迫ってきたものこそ、まさに味方とたのんでいたその二人にまぎれもない。
 孟達は仰天して、
「人ちがいするな」と呶鳴ったが、申耽、申儀の二将は、大いにあざ笑って、
「汝こそ、戸まどいして、これに帰って来る愚を醒ませ。あれみろ、城頭高くひるがえっているのは、蜀の旗か、魏の旗か、冥途のみやげによく見てゆけ」と罵った。
 その城頭からは、李輔、鄧賢などという魏将が雨あられと、矢を放っていた。
 孟達は、きたなくもまた、逃げ奔ったが、申耽に追いつかれて、武将のもっとも恥とする後ろ袈裟の一刀を浴びて叫絶一声、ついに馬蹄の下の鬼と化してしまった。
 司馬懿は、降兵を収め、味方をととのえ、一日にして勝ちを制し、一鼓六足、堂々と新城へ入った。
 孟達の首は洛陽へ送られた。
 司馬懿は、李輔と鄧賢に新城を守らせ、申耽、申儀の軍勢をあわせて、さらに長安へ向っていそいだ。
 孟達の首が洛陽の市に曝されて、その罪状と戦況が知れわたるや、蜀軍来におびえていた洛陽の民は、にわかな春の訪れに会ったように、
司馬懿が起った」
司馬仲達がふたたび魏軍を指揮するそうな」
 と、その生色をよみがえらせた。
 すでに長安まで行幸していた魏帝曹叡は、ここに司馬懿を待ち、彼のすがたを行宮に見るや、玉座ちかく召しよせて、
司馬懿なるか。かつて汝をしりぞけて郷里にわびしく過ごさせたのは、まったく朕の不明が敵の謀略にのせられたものに依る。いまふかくそれを悔ゆ。汝また、うらみともせず、よく魏の急に駈けつけて、しかもすでに孟達の叛逆をその途に打つ。――もし汝の起つなかりせば、魏の両京は一時にやぶれ去ったかもしれぬ。嘉しく思うぞ」
 と、優渥なる詔を降した。
 司馬懿は、感泣して、
「勅命をもうけず、早々、途上において戦端をひらき、僭上の罪かろからずと、ひそかに恐懼しておりましたのに、もったいない御諚をたまわり、臣は身のおくところも存じませぬ」
 と、ひれ伏した。帝は、
「否、否。疾風の計、迅雷の天撃。いにしえの孫呉にも勝るものである。兵は機を尊ぶ。以後、事の急なる時は、朕に告ぐるまでもない。よろしく卿の一存において料れ」
 と、破格にもまた前例なき特権をあたえ、かつ、金斧、金鉞一対を賜わった。

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