霧風

 陳大夫の息子陳登は、その後も徐州にとどまって城代の車冑を補けていたが、一日、車冑の使いをうけて、何事かと登城してみると、車冑は人を払って、
「実は、曹丞相から密書をもって玄徳を殺すべしというご秘命だが、やり損じたら一大事である。なにか其許に必殺の名案はあるまいか」と、声をひそめての相談であった。
 陳登は、内心おどろいたが、さあらぬ顔して、
「いま、玄徳を殺すことは、嚢中の物をつかむも同様で、いと易いことではありませんか。城門の内に、伏兵を詰めおき、彼を招いて通過の節、十方より剣槍の餌となし給え。それがしは櫓の上にあって、彼につづく部下の者を、門橋より濠ぎわにわたって、つるべ撃ちに射伏せてお目にかけましょう」
 車冑はよろこんで、
「しからば、早速にも」と、兵の手配にかかり、一方城外の玄徳へ使いを派して涼秋八月、まさに観月の好季、清風に駕を乗せて一夜、城楼の仰月台までおいで願いたい。美姫玉杯をつらねて臨座をお待ちすると云いやった。
 同日、陳登は家に帰ると、すぐ父の陳大夫に、そのことを打明けて、父の顔いろをうかがってみた。しかし陳大夫が玄徳に対する誼みは、以前とすこしも変っていなかった。
「玄徳は仁者じゃ。わしたち父子は、曹操から恩禄はうけているが、さればといって、玄徳を殺すにはしのびぬ。そちはどう考えているか」
「元より私とて、車冑へ答えたことばが、本心ではありません」
「では、すぐさま、玄徳のほうへその由を、そっと報らせてやるがよい」
「使いでは不安ですから、夜に入るのを待って、自身で行って参ります」
 やがて陳登は、宵闇の道を、驢に乗って出て行った。そして玄徳の旧宅を訪れたが、玄徳には会わず、関羽張飛のふたりを呼び出し、車冑の企てをはなした。
 そう聞くや否、張飛は、
「さては先ほど、白々しい礼を執って、観月の宴に、お招きしたいとかいって帰った使者がそれだろう。小賢しい曲者めが」と、牙を咬んで、すぐにも軽騎七、八十を引具し、城内へ突入して、車冑の首をひきちぎってくると、はしゃぎたてた。
「あわてるな、敵にも備えのあることだ」
 関羽は、彼の軽忽をたしなめ、一計を立てて、夜の更けるのを待った。
「こんなことは、家兄の耳に入れるまでもない些事に過ぎん。ふたりだけで、黙って片づけてしまおう」
 関羽の思慮に張飛も服した。
 そして共に、彼の立てた計略に従った。
 さきに許都からついてきた五万の軍隊は、曹操の旗じるしを持っている。関羽は、その旗幟を利用して、まだ霧の深い暁闇の頃、粛々と兵馬を徐州の濠ぎわまですすめて行った。
 そして、大音声をあげ、
「開門せよ、開門せよ」と、呼ばわった。
 時ならぬ軍馬に、
「何者だ」と、門内の部将は、すくなからず緊張して、容易に開ける様子もない。
 関羽は声を作って、
「これは、曹丞相のお使いとして、火急の事あって、許都より急ぎ下ってきた張遼という者。疑わしくば、丞相より降したまえる旗じるしを見よ」
 と、暁の星影に、しきりと旗幟を打ち振らせた。
 折も折、曹操からの急使と聞いて、車冑は、思い惑った。陳登はそれより前に、城内へ帰っていたので、彼が狐疑しているていを見ると、
「何をしているのです。早く城門をお開けなさい。あのとおり丞相の旗を打ち振っているではありませんか。もし使者の張遼の心証を害して、後難を受けられても、それがしは関知しませんぞ」
 と、暗に脅かした。

 車冑もさるものである。陳登にせかれたり脅かされたりしても、
「いや、夜明けを待って開けても遅くはない。何分にも、まだ城門の外は暗いし、前触れもない不意の使者、めったに開けることはならん」と、云い張っていた。
 夜が明けては万事休すである。関羽は気が気ではなく、
「開けないか! 火急、機密の大事あって、曹丞相からさし向けられたこの張遼を、何故、城門を閉じてこばむか。……ははあ、さては車冑には異心ありとおぼえたり。よろしい、立ち帰って、この趣をありのまま丞相におつたえ申すから後に悔ゆるな」
 云い放って、後にしたがう隊伍の者へ、引っ返せとわざと大声で号令を発していた。
 車冑は狼狽して、
「あいや待たれよ、東の空も白みかけて、実否のほども、仄かにわきまえられて参った。丞相のお使者に相違あるまい。――お通りあれ」
 と直ちに、城門をさっと開かせた。
 とたんに、濠の面にたちこめた白い朝霧が濛々とはいってきた。その中をどかどかと渡ってくる兵や馬蹄の跫音は余りにもおびただしかった。けれど夜はまだ明けきれていないので、顔と顔とをぶつけ合わせなければ、誰が誰やら分らなかった。
「車冑とは君か」
 関羽が近づいて行くと、変に思った車冑は、突然、
「――あッ、汝らは?」と絶叫をのこして、すばやく何処かへ逃げてしまった。
 沛然と、ここ一箇所に、血の豪雨がふりそそぎ、城中の兵は、みなごろしの目に遭った。
 大半の城兵は、まだ眠っていたところである。そこへ関羽張飛の手勢一千は、前夜から手具脛ひいて来たのであるから、大量な殺戮も思いのまま行われた。
 陳登は、いちはやく、城楼に駈けのぼって、かねてそこに伏せておいた沢山な弩弓手に、
「車冑の部下を射ろ」と、命じた。
 弓をつらねていた兵は、味方を射ろという命令にまごついたが、陳登が剣を抜いてうしろに立っているので、一斉に、逃げまどう味方の上に矢を注ぎかけた。
 乱箭の下に仆れる城兵も無数であった。城代の車冑は、厩から馬を引き出すと、一目散に、門楼をこえて、逃げだしたが、
「この虻め、どこへ失せるか」
 追いしたってきた関羽の一閃刀に、その首を大地へ委してしまった。
 夜が明けた。
 玄徳は、変を聞いて、
「大変なことをしてくれた」
 と、俄に家を出て、徐州城へ馳せつけようとすると、すでに関羽は鮮血淋漓となって車冑の首を鞍にひっくくり、凱歌をあげながら引き揚げてきた。
 ひとり浮かぬ顔は、それを迎えた玄徳で、
「車冑は、曹操の信臣、また徐州の城代である。これを殺せば、曹操の憤怒は、百倍するにちがいない。自分が知っていたら、殺すのではなかったのに」と、悔やんだ。
 そして、この中にまだ張飛の姿が見えないがと、案じていると、その張飛もまた、ひと足あとから、これへ駈けもどってきて、
「ああ、さっぱりした。朝酒でもぐっと飲みほしたような朝だ」と、血ぶるいしていた。
 玄徳が、眉をひそめて、
「車冑の妻子眷族は、どう処分してきたか」
 と訊ねると、張飛は、いと無造作に、
「それがしがあとに残って、ことごとく斬りころして来ましたから、ご安心あって然るべしです」
 と昂然、答えた。
「なぜ、そんな無慈悲なことをしたか」
 玄徳は、張飛の狂躁をふかく戒めたが、叱ってみても、もう及ばないことだった。許都曹操に対して、彼の憂いと畏怖は人知れず深かった。

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