破衣錦心
一
或る日、ぶらりと、関羽のすがたが相府に見えた。
二夫人の内院が、建築も古いせいか、雨漏りして困るので修築してもらいたいと、役人へ頼みにきたのである。
「かしこまりました。さっそく丞相に伺って、ご修理しましょう」
役人から満足な返事を聞いて、ゆたりゆたり帰りかけてゆく彼のすがたを、ちらと曹操が楼台から見かけて、「あれは、羽将軍ではないか」と、侍臣をやって、呼びもどした。
「なにか御用ですかな」
関羽は、うららかな面をもってやがてそれへ来た。
曹操は手ずから秘蔵の瑠璃杯をとって、簡単に一杯すすめ、
「将軍の着ておられる緑の袍は緑錦の地色も見えないほど古びておるな。陽もうららかになるとあまりに襤褸が目につく。これを着たまえ。――君の身丈にあわせて仕立てさせておいたから」
と、見事な一領の錦袍をとって彼に与えた。
「ほ。……これは豪奢な」
関羽はもらい受けると、それを片手に抱えて帰って行った。ところが、その後、何かの折に、曹操がふと関羽の襟元を見ると、さきに自分の与えた錦の袍は下に着て上には依然として虱の住んでいそうな緑色のボロ袍をかさね着して澄ましこんでいた。
「羽将軍、君は武人のくせに、えらい倹約家だな。なぜそんなに物惜しみするのかね」
「え。どうしてです? 特に贅沢したくもないが、また特に倹約している覚えもありませんが」
「いや、やはりどこか、遠慮があるのだろう。曹操が賄うている以上は、何不自由もさせないつもりでおるのに――なにも、新しい衣裳を惜しんで古袍をわざわざ上に重ね着しているにもあたるまい」
「あ。このことですか」
関羽は自分の袖を顧みて、
「これはかつて、劉皇叔から拝領した恩衣です。どんなにボロになっても、朝夕、これを着、これを脱ぐたび、皇叔と親しく会うようで、うれしい気もちを覚えます。故に、いま丞相から新たに、錦繍の栄衣をいただいたものの、にわかに、この旧衣を捨てる気にはなれません」と、答えた。
聞くと、曹操は感に打たれたものの如く、心のうちで、(ああ麗しい人だ。さても、忠義な人もあるものだ……)と、しみじみ、彼のすがたに見惚れていたが、折ふしそこへ、寮の二夫人に仕えている者が迎えにきて、
「すぐお帰りください。おふた方が今、何事か嘆いて、羽将軍を呼んでいらっしゃいます」
と、関羽へ告げると、
「え。何か起ったのか」
と、関羽は、それまで話していた曹操へ、あいさつもせず馳け去ってしまった。
本来、こんな無礼をうけて、黙っている曹操ではないが、曹操は置き捨てられたまま茫然と彼のあとを見送って、
「……実に、純忠の士だ。衒いもない。飾りもない。ただ忠義の念それしかない。……ああなんとか、彼のような人物から、心服されたいものだが」と、独りつぶやいていた。
曹操は、心ひそかに、自分と玄徳を比較してみた。そしてどの点でも、玄徳に劣る自分とは思われなかったが――ただひとつ、自分の麾下に、関羽ほどな忠臣がいるかいないか――と、みずから問うてみると、
(それだけは劣る)と、肯定せずにいられなかった。彼の意中のものは、いよいよ熱烈に、
(きっと関羽を、自分の徳によって、心服させてみせる。自分の臣下とせずにはおかん)
と、人知れぬ誓いに固められていた。
二
二夫人の使いをうけた関羽は、わき目もせず寮へ帰って行った。そして内院へ伺ってみると、二夫人は抱き合って、なお哭き濡れていた。
「どうなされたのでござる。何事が起ったのですか」
関羽がたずねると、糜夫人と甘夫人は、初めて相擁していた涙の顔と胸を離し合って、
「オオ関羽か。……どうしましょう。もう生きているかいもない。いっそのこと死のうかと思うたが、将軍の心に諮ってみてからと、そなたを待っていたところです」
と、共々に、慟哭した。
関羽は、おどろいて、
「死のうなどとは、滅相もないご短慮です。関羽がおりますからには、いかなる大難が迫ろうとも、お心やすく遊ばしませ。まずその仔細をおはなし下されい」と、なだめた。
ようやく、すこし落着いて、糜夫人がわけを語りだした。聞いてみると、なんのことはない、糜夫人が今日うたた寝しているうち、夢に、玄徳の死をありありと見たというのであった。
「あははは、何かと思えば夢をごらんになって劉皇叔のお身の上に、凶事があったものと思いこんでいらっしゃるのですか。どんな凶夢でも夢はどこまでも夢に過ぎません。そんなことで嘆き悲しむなど、愚の骨頂というものです。およしなさいおよしなさい」
関羽は打ち消して、しきりと陽気な話題へわざと話をそらした。
いかに鄭重に守られ、不自由なく暮していてもここは敵国の首府、二夫人の心を思いやると、夢にもおびえ泣く嬰児のような弱々しさと、無碍に笑えないここちがして、関羽はあとでこう慰めた。
「長いこととは申しません。そのうちにかならず皇叔にご対面の日がまいるように、誓って関羽が計らいまする。それまでのご辛抱と思し召して、おふた方とてただご自身のおからだを大事に遊ばしますように」
すると、内院の苑へ、いつのまにか曹操の侍臣が来ていた。関羽の帰り方があわただしかったし、二夫人の使いというので、曹操も猜疑をいだいて様子をうかがわせによこしたものである。
関羽に見つかると、曹操の侍臣はすこし間が悪そうに、
「御用がおすみになったら、またすぐお越しくださるようにと、丞相はご酒宴のしたくをして、再度のお運びを、待っておられます」と、いった。
関羽はふたたび相府の官邸へもどって行った。酒をのんでも心から楽しめないし、曹操と会っている間も、故主玄徳を忘れ得ない彼であったが、
(いまここで彼の機嫌を損じては――)
と、胸にひとり忍辱のなみだをのんで、何事にも、唯々諾々と伏していた。
先刻とはべつな閣室に、花を飾り、美姫をめぐらし、善美な佳肴と、紅酒黄醸の瓶をそなえて、曹操は、彼を待っていた。
「やあ、御用はもうおすみか」
「中座して、失礼しました」
「きょうはひとつ、将軍と飲み明かしたいと思っていたのでな」
「冥加のいたりです」
さりげなく杯に向ったが、曹操は、関羽の瞼に泣いたあとがあるのを見て意地わるくたずねた。
「将軍には、何故か、泣いてきたとみえるな。君も泣くことを初めて知った」
「あははは。見つかりましたか。それがしは実はまことに泣き虫なのです。二夫人が日夜、劉皇叔をしたわれてお嘆きあるため、実はいまも、貰い泣きをしてきたわけでござる」
つつまずにそういった関羽の大人的な態度に、曹操はまた、惚々見入っていたが、やがて酒も半ばたけなわの頃、戯れにまたこんなことを訊ねだした。
「君の髯は、実に長やかで美しいが、どれほどあるかね、長さは」
三
関羽の髯は有名だった。
長やかで美しい顎髯というので、この許都でも評判になっていた。
「おそらく都門随一の見事な髯だろう」と、いわれていた。
いま曹操から、その髯のことを訊かれると、関羽は、胸をおおうばかり垂れているその漆黒を握って悵然と、うそぶくように答えた。
「立てば髯のさきが半身を超えましょう。秋になると、万象と共に、数百根の古毛が自然にぬけ落ち、冬になると草木と共に毛艶が枯れるように覚えます。ですから極寒の時は、凍らさぬよう嚢でつつんでいますが、客に会う時は、嚢を解いて出ます」
「それほど大切にしておられるか。君が酔うと髯もみな酒で洗ったように麗しく見える」
「いやお恥かしい。髯ばかり美しくても、五体は碌々と徒食して、国家に奉じることもなく、故主兄弟の約にそむいて、むなしく敵国の酒に酔う。……こんな浅ましい身はあろうと思えませぬ」
なんの話が出ても、関羽はすぐ自身を責め、また玄徳を思慕してやまないのであった。そのたび曹操はすぐ話をそらすに努めながら、心のうちで、関羽の忠義に感じたり、反対に、ほろ苦い男の嫉妬や不快を味わいなどして、すこぶる複雑な心理に陥るのが常であった。
つぎの日。
朝に参内することがあって、曹操は関羽を誘い、そのついでに、錦の髯嚢を彼に贈った。
帝は、関羽が、錦のふくろを胸にかけているので、怪しまれて、
「それは何か」と、ご下問された。
関羽は嚢を解いて、
「臣の髯があまりに長いので、丞相が嚢を賜うたのでござる」と、答えた。
人なみすぐれた大丈夫の腹をも過ぎる漆黒の長髯をながめられて、帝は、微笑しながら、
「なるほど、美髯公よ」と、仰っしゃった。
それ以来、殿上から聞きつたえて、諸人もみな、関羽のことを、
「美髯公。美髯公」と、呼び慣わした。
朝門を辞して帰る折、曹操はまた、彼がみすぼらしい痩馬を用いているのを見て、
「なぜもっと良い飼糧をやって、充分に馬を肥やさせないのか」と、武人のたしなみを咎めた。
「いや、何せい此方のからだが、かくの如く、長大なので、たいがいな馬では痩せおとろえてしまうのです」
「なるほど、凡馬では、乗りつぶされてしまうわけか」
曹操は急に、侍臣をどこかへ走らせて、一頭の馬を、そこへ曳かせた。
見ると、全身の毛は、炎のように赤く、眼は、二つの鑾鈴をはめこんだようだった。
「――美髯公、君はこの馬に見おぼえはないかね」
「うウーム……これは」
関羽は眼を奪われて、恍惚としていたが、やがて膝を打って、
「そうだ。呂布が乗っていた赤兎馬ではありませんか」
「そうだ。せっかく分捕った駿壮だが、くせ馬なので、誰ものりこなす者がない。――君の用い料には向かんかね?」
「えっ、これを下さるか」
関羽は再拝して、喜色をみなぎらした。彼がこんなに歓ぶのを見たのは曹操も初めてなので、
「十人の美人を贈っても、かつてうれしそうな顔ひとつしない君が、どうして、一匹の畜生をえて、そんなに歓喜するのかね」と、たずねた。
すると関羽は、
「こういう千里の駿足が手にあれば、一朝、故主玄徳のお行方が知れた場合、一日のあいだに飛んで行けますからそれを独り祝福しているのです」と、言下に答えた。
四
悠々、赤兎馬にまたがって家路へ帰ってゆく関羽を――曹操はあと見送って、
「しまった……」と、唇を噛みしめていた。
どんな憂いも長く顔にとどめていない彼も、その日は終日ふさいでいた。
張遼は侍側の者から、その日の仔細を聞いて深く責任を感じた。
で、曹操にむかい、
「ひとつ、私が、親友として関羽に会い彼の本心を打診してみましょう」
と申しでた。
曹操の内諾を得て張遼は数日ののち関羽を訪ねた。
世間ばなしの末、彼はそろそろ探りを入れてみた。
「あなたを丞相に薦めたのはかくいう張遼であるが、もう近頃は都にも落着かれたであろうな」
すると関羽は答えて、
「君の友情、丞相の芳恩、共にふかく心に銘じてはおるが、心はつねに劉皇叔の上にあって、都にはない。ここにいる関羽は、空蝉のようなものでござる」
「ははあ、……」と、張遼は、そういう関羽をしげしげ眺めて、
「大丈夫たる者は、およそ事の些末にとらわれず、大乗的に身を処さねばなりますまい。いま丞相は朝廷の第一臣、敗亡の故主を恋々とお慕いあるなど愚かではありませんか」
「丞相の高恩は、よく分っているが、それはみな、物を賜うかたちでしか現わされておらぬ。この関羽と、劉皇叔との誓いは、物ではなく、心と心のちぎりでござった」
「いや、それはあなたの曲解。曹丞相にも心情はある。いや士を愛するの心は、決して玄徳にも劣るものではない」
「しかし、劉皇叔とこなたとは、まだ一兵一槍もない貧窮のうちに結ばれ、百難を共にし、生死を誓ったあいだでござる。さりとて、丞相の恩義を無に思うも武人の心操がゆるさぬ。何がな、一朝の事でもある場合は身相応の働きをいたして、日ごろのご恩にこたえ、しかる後に、立ち去る考えでおりまする」
「では。……もし玄徳が、この世においでなき時は、どう召さる気か」
「――地の底までも、お慕い申してゆく所存でござる」
張遼はもうそれ以上、武人の鉄石心に対して、みだりな追及もできなかった。
門を辞して帰るさも、張遼はひとり煩悶した。
「丞相は主君、義において父に似る。関羽は心契の友、義において、兄弟のようなものだ。……兄弟の情にひかれて父を欺くとせば、不忠不義。ああどうしたものか」
しかし彼は、関羽の忠節を鑑としても、自分の主君に偽りはいえなかった。
「――行って参りました。四方山ばなしの末、いろいろ探ってみましたが、あくまで留まる容子は見えません。丞相の高恩はふかくわきまえていますが、さりとて、心をひるがえし、二君に仕えんなどとは、思いもよらぬ態に見えます」
歯に衣着せず、張遼はありのままを復命した。曹操もさすがに曹操であった。あえて怒る色もない。ただ長嘆していった。
「君ニ事エテソノ本ヲ忘レズ。関羽はまことに天下の義士だ。いつか去ろう! いつか回り去るであろう! ああ、ぜひもない」
「けれどまた、関羽はこうもいっておりました。何がな一朝の場合には、ひと働きしてご恩を報じ、そのうえで立ち去らんと……」
張遼がいうのを聞いて、かたわらから荀彧が、つぶやくように献言した。
「さもあろう、さもあろう。忠節の士はかならずまた仁者である。だからこの上は、関羽に功を立てさせないに限ります。功を立てないうちは、関羽もやむなく、許都に留まっておりましょう」