馬騰と一族

 龐統はその日から、副軍師中郎将に任ぜられた。
 総軍の司令を兼ね、最高参謀府にあって、軍師孔明の片腕にもなるべき重職についたわけである。
 建安十六年の初夏の頃。
 魏の都へ向って、早馬を飛ばした細作(諜報員)は、丞相府へ右の新事実を報告かたがた、つけ加えてこうのべた。
「決してばかにできないのは荊州の勃興勢力です。孔明の下に、関羽張飛趙子龍の三傑があるところへ、今度は副軍師龐統を加え、参謀府に龍鳳の双璧が並び、その人的陣容は、完くここに成ったという形です。――ゆえに近頃は、もっぱら兵員拡充と、軍需の蓄積に全力をそそぎ、いまや荊州は毎日、兵馬の調練、軍需の増産や交通、商業などの活溌なこと、実に目ざましいものがあります」
 これはやがて、曹操の耳へ届いて、少なからず彼の関心をよび起した。
「果たせる哉。月日を経るほど、玄徳は、魏にとって最大な禍いとなってきた。――荀攸そちに何か考えはないか」
「捨ててはおけず、といって、今すぐに、大軍を催すには、いかんせん、わが魏にはなお、赤壁の痛手の癒えきらないものがありますから、にわかに無理な出兵も考えものです」
 さすがに、荀攸は、常に君側にいても、よく軍の内容を観ていた。
 曹操もうなずいて、
「それを実は、予も、敵国の勃興以上に、憂えているところだ」と、正直に云った。
「こうなさい――」荀攸は立ちどころに献策した。「西涼州甘粛省・陝西奥地一帯)の太守馬騰をお召しになり、彼の擁している匈奴の猛兵や、今日まで無傷に持たれている軍需資源をもって、玄徳を討たせるのです。そしてなお大令を発し給えば、各地の諸侯もこぞって参戦しましょう」
「そうだ。辺境の奥地には、まだ人力も資材も無限に埋蔵されている」
 曹操はすぐ人を選んで西涼へ早馬を立て、二の使いとして、すぐ後からまた、有力な人物を向けて、軍勢の催促を云いやった。
 涼州の地は支那大陸の奥曲輪である。黄河の上流遠く、蒙疆に境する綏遠寧夏に隣接して、未開の文化は中原のように華やかでないが、多分に蒙古族の血液をまじえ、兵は強猛で弓槍馬技に長じ、しかも北方の民の伝統として、常に南面南出の本能を持っている。
 ところで、太守馬騰は、字を寿成といい身長八尺余、面鼻雄異、しかし性格は温良な人だった。
 もと、漢帝に仕えた伏波将軍馬援の子孫で、父の馬粛の代に、官を退いて、馬騰を生んだのである。
 だから馬騰の血の中には、蒙古人がまじっている。嫡子を超といい次男を休といい、三男を鉄という。
「詔とあれば、行かなければなるまい」
 馬騰は一門の者に別れを告げて都へ上った。三人の子息は国に残し、甥の馬岱を連れて行った。
 許都に来て、まず曹操に会い、荊州討伐の任をうけ、次の日朝廷に上って、天子を拝した。
 命は、曹操から出ても、名は勅命である。曹操の意志は決して、天子の御心ではなかった。
「このたびは老骨に、荊州討伐の大命を仰せつけられて……」と、馬騰が拝命のお礼を伏奏すると、帝は無言のまま彼を伴って、麒麟閣へ登って行かれた。
 そして誰もいない所で、帝は初めて口を開かれ、
「汝の祖先馬援は、青史にものこっている程な忠臣であった。汝も、その祖先を辱めることはあるまい。――思え。玄徳は漢室の宗親である。漢朝の逆臣とは、彼にあらず、曹操こそそれだ。曹操こそ朕を苦しめ、漢室を晦うしている大逆である。馬騰! そちの兵はそのいずれを伐ちにきたのか」

 帝の御目には、涙があふれかけていた。
 恐懼して、ひれ伏したまま、馬騰は御胸のうちを痛察した。
 ああ、朝廷のこの式微。
 見ずや、許都の府は栄え、曹操の威は振い、かの銅雀台の春の遊びなど、世の耳目を羨ますほどのものは聞くが、ここ漢朝の宮廷はさながら百年の氷室のようだ。楼台は蜘蛛の巣に煤け、簾は破れ、欄は朽ち、帝の御衣さえ寒げではないか。
「……馬騰。忘れはおるまいな。むかし国舅の董承と汝へ降した朕の衣帯の密詔を。……あの折は、未然に事やぶれたが、このたびそちが上洛の由を聞いて、いかに朕が心待ちしていたかを察せよ」
「かならず宸襟を安め奉りますれば、何とぞ、御心つよくお待ち遊ばすように」
 馬騰は泣いた眼を人に怪しまれまいと気づかいながら宮門を退出した。
 邸に帰ると、ひそかに一族を呼んで、帝の内詔を伝え、
「かくとも知らず、いま曹操はこの馬騰に兵馬をあずけて、南方を伐てという。これこそ、実に天の与えた秋ではないか」
 と、勤王討曹の旗挙げを密議した。
 それから三日目である。
 曹操の門下侍郎黄奎というものが、馬騰を訪れて、
「丞相のご内意ですが、なにぶん、南伐の出兵は、急を要します。ご発向はいつに相成ろうか。それがしも行軍参謀として参加するが」と、催促した。
「直ちに立ちます。明後日には」
 馬騰は、酒を出して、黄奎をもてなした。
 すると黄奎は、大いに酔って、古詩を吟じ、時事を談じたりした挙句、
「将軍はいったい、真に伐つべきものは、天下のどこにいると思うておられるか」
 などと云いはじめた。
 馬騰は警戒していた。あぶない口車と感じたからである。すると黄奎は、その卑怯を叱るように眦をあげ唇をかんで、
「自分の父の黄琬は、むかし李傕郭汜が乱をなした時、禁門を守護して果てた忠臣です。その忠臣の子がいまは、心にもなく、僭上な奸賊の権門に屈して、その禄をんでいるとは実になさけない。しかし、将軍のごときは、西涼州の地盤と精猛な兵を多く持っているのに、何だって不忠な奸雄に頤で使われて甘んじておらるるのか」
 と、まるで馬騰を責めるような口ぶりになってきた。
 馬騰はいよいよ空とぼけて、
「奸賊の、不忠のと、それはそも、誰のことをいわれるのか」
「もちろん曹操のことだ」
「大きな声を召さるな。丞相は足下の主君ではないか」
「それがしは漢の名将の子、将軍も漢朝の忠臣馬援が後胤ではないか。そのふたりが漢朝の宗室たる劉玄徳を伐ちに向われるか。しかも逆臣の命に頤使されて」
「いったい、足下はそのような言を本気でいうのか」
「ああ、残念。将軍はそれがしの心底をなお疑っておられるとみえる」
 黄奎は指を咬んで血をそそぎ、天も照覧あれと盟した。
 行軍参謀たるこの人物が同心ならば、いよいよ事は成就に近い。馬騰はついに本心を明かした。黄奎は聞くと、膝を打って、
「ほかならぬ将軍のこと。さもあらんと思っていたが、果たせるかな、密々詔まで賜わっておられたか。――ああ、時節到来」と、狂喜した。
 そこでまず二人は、関西の兵をうながす檄文を起草し、都下出発の朝、勢揃いと称して、曹操の閲兵を乞い、急に陣鉦を鳴らすを合図に、曹操を刺し殺してしまおうと、すべての手筈まで諜し合わせた。
 黄奎は夜おそく家へ帰った。さすがに酒も発せず、すぐ寝房へ入った。彼には妻がなく、李春香という姪が彼の面倒を見ていた。
 李春香には自分から嫁ぎたく想っている男があったが、心がらが良くないので叔父の黄奎が承知してくれない。今宵もそれが遊びにきたらしく、彼女はほの暗い廊の蔭で男と何か立ち話をしていた。

 男は李春香の耳へささやいた。
「今夜にかぎって、黄奎の様子がどことなく変じゃないか」
「そんな事はないでしょう」
「いや、おれの弟が、馬騰の邸に、多年お留守居役をしているが、その弟から妙なことを報らせてきた。――春香、おまえが訊けば、たった一人の可愛い姪だ。黄奎は何か打明けるにちがいない。そっと訊いてごらん」
 春香はまだ世間の怖さも複雑さも知らなかった。いわるるままその夜叔父の心をそれとなく訊いてみた。すると黄奎は驚いた顔して、
「わしの様子がどことなく変だということが、おまえみたいな小娘にもわかるかい。ああ争われないものだ」
 彼は嘆息して、実は大事を計画しているため、その準備やら万一のことまで案じているせいだろうと、つい相手が身内の者ではあり、世間へも出ない小娘なので、心中の秘を語ってしまった。
 そしてなお、
「このことが成功すれば、わしは一躍、諸侯の列に入るが、もし失敗したらたちまち生きていないだろう。そうしたらおまえは、何もかも捨てて郷里の老人達のところへ逃げて、当分、嫁にもゆかないがいい」と、遺言めいたことまでいった。
 室外に立ち聞きしていた男は、春香がそこから出てきたときはもういなかった。彼は深夜の町を風の如く奔っている。そして丞相府の門を叩いた。
「たいへんです。お膝もとに恐ろしいことを計っている謀叛人がおりますっ」
 下役から部長へ、部長から中堂司へ、次々に伝申されて、深更ながら曹操の耳にまで入った。
「すぐその者を聴問閣の下へひけ」
 曹操はがばと起きた。
 ひとたび眠る如く消されていた相府の閣廊廻廊の万燈は、煌々と昼のように眠りをさました。
 馬騰の飛檄に依って、関西の兵や近くの軍馬は、続々、許都へさして動きつつあった。馬騰は書をもって曹操に、
「はや発向の準備もなり、近日勢揃い仕りますれば、その節は都門にお馬を立てられ、親しくご閲兵の上、征途に上る将士にたいし、一言のご激励ねがわしゅう存ずる」との旨を告げてきた。
 曹操は、奥歯に苦笑を噛みしめながら、口のうちで罵った。
「たれがそんな罠にかかるか」
 そして直ちに、密車二隊を奔らせ、一手は黄奎を捕縛し、一手は馬騰の家を襲って、即座に二人を召捕ってこさせた。
 相府の白洲で、黄奎の顔をちらと見ると、馬騰は、口を裂き、牙をむいて、
「この腐れ儒者め! 何とてかかる大事を口外したかっ。ああ、止んぬる哉、天も漢朝を捨て給うと見えたり。二度まで計って二度まで未然にやぶれ去るとは」
 曹操は、指をさして、その狂態を笑い、武士に命じて、一刃の下にその首を刎ねた。
 黄奎も首を打たれた。――また、馬騰の拉致されたあと、大勢の密軍兵は、捕吏とともに、馬騰の邸を四面から焼きたてて、内から逃げ転び悲しみまどい、阿鼻叫喚をあげて、溢れ出て来る家臣、老幼、下の召使の男女などことごとく捕えて、或いは首を切り、或いは市に曝し、惨状、無残、目をおおわずにいられないほどだった。
 その中には、父を慕って本国から着いた馬騰の子二人も殺害されたが、甥の馬岱だけは、どう遁れたか、関外へ逃走していた。
 ここに笑止なのは密告して褒美にありつこうとした苗沢という男である。事件後、曹操に願いを出して、李春香を妻に賜わりたいと乞うと、曹操はあざ笑って、
「汝にはべつに与えるものがある」
 と城市の辻に立たせ、首を刎ねて、不義佞智の小人もまたかくの如しと、数日、往来の見世物にしておいた。

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