鬢糸の雪

「えっ、荊州が陥ちた?」
 関平は戦う気も萎え、徐晃をすてて一散に引っ返した。混乱するあたまの中で、
「ほんとだろうか? まさか?」
 と、わくわく思い迷った。
 そして堰城近くまで駈けてくると、こはいかに城は濛々と黒煙を噴いている。そして炎の下から蜘蛛の子のように逃げ分かれてくる味方の兵に問えば、
「いつのまにか搦手へ迫ってきた徐晃の手勢が、火焔を漲らして攻め込んだ」と、口々にいう。
「さては今日の戦こそ、彼の思うつぼにはまった味方の拙戦であったか」
 地だんだ踏んで叫んだが、事すでに及ばない。関平は駒を打って、四冢の陣へ急いだ。
 廖化は、彼を迎えて、営中へ入るとすぐ、
「きょう何処からともなく、荊州が陥ちた、荊州は呉に占領されたと、しきりに沙汰する声が聞えてきましたが、あなたもお聞きになりましたか」と、たずねた。
 関平は剣を抜いて、味方の軍勢の中へ立ち、廖化へする返事を全軍へ向ってした。
「流言はすべて、敵の戦意をくじく謀だ。猥りに嘘言を伝え、嘘言に興味を持つ者は斬るぞ」
 数日のあいだは、もっぱら守って、附近の要害と敵状を見くらべていた。四冢は前に沔水の流れをひかえて、要路は鹿垣をむすび、搦手は谷あり山あり深林ありして鳥も翔け難いほどな地相である。
「いま徐晃は勝ちに乗って、急激な前進をつづけ、彼方の山まで来ておると、偵察の者の報告だ。思うにあの裸山は地の利を得ていない。反対にわが四冢の陣地は、堅固無双、ここは手薄でも守り得よう。ひとつご辺と自分とひそかに出て、彼を夜討ちにしようではないか」
 偃城を失った関平は、勢いその雪辱にあせり気味だった。ついに、廖化を誘って、本拠を出た。もちろん連れてゆく兵は精鋭中の精鋭を択りすぐって。
 曠野の一丘に、一の陣屋がある。いわゆる最前線部隊である。この小部隊は、点々と横に配されて、十二ヵ所の長距離に連っている。
 この線を敵に突破されることは恐い。一ヵ所突破されれば十二の部隊がばらばらになるからである。関平の血気に従って廖化のうごいた所以も、要するにその重要性があるからだった。
「今夜、敵の裸山へは、自分が攻め上ってゆく。ご辺はこの線を守り、敵の乱れを見たら、十二陣聯となって彼を圧縮し、四散する敗兵をみなごろしになし給え」
 云いのこして、廖化をあとに、関平だけが、深夜、裸山を急襲した。
 ところが山上には、旗影だけで、人はいなかった。
「しまった」
 急に駈けくだろうとすると、諸所の窟や岩の陰や、裏山のほうから、いちどに地殻も割れたかと思うような喊声、爆声、罵声、激声――さながら声の山海嘯である。
 呂建、徐商の二将は、
「小伜、汝の父は、逃げることばかり教えたのか」
 と、関平を追いまわした。
 山を離れて、野に出ても、魏軍はふえるばかりだった。草みな魏兵と化して関平を追うかと思われた。
 廖化の守っていた線も、この怒濤をさえぎり切れず、いちどに崩壊してしまった。いやいや、そこはまだしも、四冢の陣からも、炎々たる火焔が夜空を焦き始めた。あえぎあえぎ沔水のながれまで来てみれば、まっ先に徐晃が馬を立てて、
「ひとりも渡すな」
 と、手落ちなき、殲滅陣をめぐらしている。
 今は挽回の工夫もない。全面的な敗北だ。関平廖化はやむなく樊城へ奔った。そして関羽の前へ出るや、
「面目もありません」
 と、拳で悲涙を拭った。
「兵家の常だ」
 関羽は叱らなかった。けれど関平荊州方面の噂を告げると、
「ばかな!」と叱って――「陸口の将は小児、烽火台の備えもあるし、荊州の守りは泰山の安きにある。そちまでが敵の流言に乗せられてどうするか」
 と、語気あらく戒めた。

 曹操の中軍も、徐晃の先鋒も、目ざましく進出した。何十万とも知れぬ大軍はいまや山野に満ちてひたひたと関羽の陣に迫っている。
「見えたるか、徐晃
 関羽が左の臂の矢瘡は、いまは全く癒えたかに見えるが、その手に偃月の大青龍刀を握るのは、病後久しぶりであった。
徐晃はお避けなさい」
 関平は諫めたが、何の――と関羽は長髯を横に振って、
徐晃はむかしの友だ。一言申し聞かせて、われ未だ老いず――を見せ示しておかねばならん」
 いよいよ、両陣の相接した日、関羽は馬を出して徐晃と出会った。徐晃はうしろに十余人の猛将をつれていた。
 馬上、礼をほどこし、さて、彼はいう。
「一別以来、いつか数年、想わざりき将軍の鬢髪、ことごとく雪の如くなるを。――昔それがし壮年の日、親しく教えをこうむりしこと、いまも忘却は仕らぬ。今日、幸いにお顔を拝す。感慨まことに無量。よろこびにたえません」
「おお、徐晃なるか。ご辺も近来赫々と英名を成す。ひそかに関羽も慶賀しておる。さはいえ何故、わが子関平に、苛烈なるか。昔日の親密を忘れずとあらば、人に功は譲っても、自身は後陣に潜むべきではないか」
「否とよ将軍、すでにお忘れありしか。むかし少年の日、あなたが我に教えた語には、大義親を滅すとあったではないか。――それっ諸将。あの白髪首を争い奪れっ。恩賞は望みのままぞ!」
 大声一呼、馬蹄に土を蹴るやいなや、うしろの猛将たちと共に、彼も斧をふるって、関羽へ撃ってかかった。
 われ老いず! われ老いず! と関羽は自己を叱咤しつつ、雷閃雷霆のなかに数十合の青龍刀を揮った。
 ――が矢瘡はまだ完く癒えたとはいいきれない。わけて老来病後の身である。危ういこと実に見ていられない。わけて親子の情に駆らるる関平に於てをやだ。関平はたちまち退き鉦鳴らして兵を収めた。
 この退き鉦は、まさに虫の知らせだった。同じ頃、久しく籠城中の樊城の兵が、門を開いて突出してきた。これは死にもの狂いの兵なので、包囲は苦もなく突破され、そこにあった関羽軍は、襄江の岸へとなだれを打って追われた。
 この二方面の頽勢から、関羽軍は全面的の潰えを来し、夜に入ると続々、襄江の上流さして敗走しだした。
 道々、魏の大軍は、各所から起って、この弱勢の分散へ拍車をかけた。わけて呂常の一軍の奇襲には、寸断の憂き目をうけて、江に溺れ死ぬもの、数知れぬほどだった。
 ようやく江を渡って、襄陽に入り、味方を顧みれば、何たる少数、何たる酸鼻、さしもの関羽も悲涙なきを得なかった。
 のみならず、ここに着いて、初めて荊州陥落の嘘伝でないことが分った。呉の大将呂蒙の手にかかってわが一族妻子も生かされている有様と聞き、関羽は慨然また長嘆、天を仰いだまましばしことばもない。
 魏軍はすぐ江上から市外にわたって満ち満ち、襄陽にも長くいられなかった。――さらば公安の城へとさして行けば、途中、味方の一将が落ちてきて、その公安も傅士仁が城を開いて呉へ渡してしまい、南都の糜芳も彼に誘われて孫権へ降伏したという悲報をもたらした。
「ううむ、いかなれば、かくは……」と、牙を咬み、恨気天を突いて、眦も裂けよと一方を睨んでいたと思うと、如何にしけん関羽はがばと、馬のたてがみへうっ伏してしまった。
 臂の瘡口が裂けたのである。
 抱きおろして、人々は介抱を加えたが、関羽は、自己の不明を慚愧してやまず、呂蒙の策や烽火台の変を聞いては、
「われ過って、豎子の謀にあたる。何の面目あって、生きて家兄(玄徳)にまみえんや」
 と、鎧の袖に面をつつんで声涙ともに咽んでいた。
 一方、樊城を出て、一夜に攻守転倒、追撃に移っていた曹仁は、その臣、司馬趙厳の、
「もうこれ以上、関羽を窮地へ追うのは愚です。呉に害を残しておくために――」という深謀に諫められ、いかにもと兵を収めて、曹操の中軍にことごとく集まった。
 曹操徐晃をこのたびの第一級の勲功とたたえ、平南将軍に封じて、襄陽を守らせた。

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