溯巻く黄河
一
槍の先に、何やら白い布をくくりつけ、それを振りながらまっしぐらに駈けてくる敵将を見、曹操の兵は、
「待てっ、何者だ」と、たちまち捕えて、姓名や目的を詰問した。
「わしは、曹丞相の旧友だ。南陽の許攸といえば、きっと覚えておられる。一大事を告げにきたのだからすぐ取次いでくれい」
その時、曹操は本陣の内で、衣を解きかけてくつろごうとしていたが、取次の部将からそのことを聞いて、
「なに、許攸が?」と、意外な顔して、すぐ通してみろといった。
ふたりは轅門のそばで会った。少年時代の面影はどっちにもある。おお君か――となつかしげに、曹操が肩をたたくと、許攸は地に伏して拝礼した。
「儀礼はやめ給え。君と予とは、幼年からの友、官爵の高下をもって相見るなど、水くさいじゃないか」
曹操は、手をとって起した。許攸はいよいよ慙愧して、
「僕は半生を過まった。主を見るの明なく、袁紹ごときに身をかがめ、忠言もかえって彼の耳に逆らい、今日、追われて故友の陣へ降を乞うなど……なんとも面目ないが、丞相、どうか僕を憐れんで、この馬骨を用いて下さらんか」
「君の性質はもとよりよく知っている。無事に相見ただけでもうれしい心地がするのに、さらに、予に力を貸さんとあれば、なんで否む理由があろう。歓んで君の言を聞こう。……まず、袁紹を破る計があるなら予のために告げたまえ」
「実は、自分が袁紹にすすめたのは、今、軽騎の精兵五千をひっさげて、間道の嶮をしのび越え、ふいに許都を襲い、前後から官渡の陣を攻めようということでござった。――ところが、袁紹は用いてくれないのみか、下将の分際で僭越なりと、それがしを辛く退けてしまった」
曹操はおどろいて、
「もし袁紹が、君の策を容れたら、予の陣地は七花八裂となるところだった。ああ危うい哉。――して、君は今、この陣へ来て、逆に彼を破るとしたら、どう計を立てるか」
「その計を立てるまえに、まず伺いたいことがある。いったい丞相のご陣地には今、どれくらいな兵糧のご用意がおありか?」
「半年の支えはあろう」
曹操が、即答すると、許攸は面を苦りきらせて、じっと曹操の眼をなじッた。
「嘘をお云いなさい。せっかく自分が、旧情を新たにして、真実を吐こうと思えば、あなたは却っていつわりをいう。――われを欺こうとする人に真実はいえないじゃありませんか」
「いや、いまのは戯れだ。正直なところをいえば、三月ほどの用意しかあるまい」
許攸はまた笑って、
「むべなる哉。世間の人が、曹操は奸雄で、悪賢い鬼才であるなどと、よく噂にもいうが、なるほど、当らずといえども遠からずだ。あなたはあくまで人を信じられないお方と見える」
と、舌打ちして、嗟嘆すると、ややあわて気味に、曹操は彼の耳へいきなり口を寄せて、小声にささやいた。
「軍の機秘。実は味方に秘しているが、君だからもうほんとのことをいってしまう。実は、すでに涸渇して、今月を支えるだけの兵糧しかないのだ」
すると許攸は、憤然、彼の口もとから耳を離して、ずばりと刺すようにいった。
「子どもだましのような嘘はもうおよしなさい。丞相の陣にはもはや一粒の兵糧もないはずです。馬を喰い草を噛むのは、兵糧とはいえませんぞ」
「えっ……どうして君は、そこまで知っているのか」
と、さすがの曹操も顔色を失った。
二
許攸は、ふところへ手を入れた。
そして、封のやぶれている書簡を出して、曹操の眼の前へつきだした。
「これは一体、誰の書いたものでしょう」
許攸は鼻の上に皮肉な小皺をよせて云った。それは先に曹操から都の荀彧へ宛てて、兵糧の窮迫を告げ、早速な処置をうながした直筆のものであった。
「や。どうして予の書簡が、君の手にはいっているのか」
曹操は仰天してもう嘘は効かないとさとった容子だった。
許攸は、自分の手で、使いを生け捕ったことなど、つぶさに話して、
「丞相の軍は小勢で、敵の大軍に対し、しかも兵糧は尽きて、今日にも迫っている場合でしょう。なぜ敵の好む持久戦にひきずられ、自滅を待っておいでになるか、それがしに分りません」
と、いった。
曹操はすっかり兜をぬいで、速戦即決に出たいにも名策はないし持久を計るには兵糧がない。如何にせば、ここを打開できるだろうかと、辞を低うして訊ねた。
許攸は初めて、真実をあらわして云った。
「ここを離るること四十里、烏巣の要害がありましょう。烏巣はすなわち袁紹の軍を養う糧米がたくわえある糧倉の所在地です。ここを守る淳于瓊という男は、酒好きで、部下に統一なく、ふいに衝けば必ず崩れる脆弱な備えであります」
「――が、その烏巣へ近づくまでどうして敵地を突破できよう」
「尋常なことでは通れません。まず屈強なお味方をすべて北国勢に仕立て、柵門を通るたびに袁将軍の直属蒋奇の手の者であるが、兵糧の守備に増派され、烏巣へ行くのだと答えれば――夜陰といえども疑わずに通すにちがいありません」
曹操は彼の言を聞いて、暗夜に光を見たような歓びを現した。
「そうだ、烏巣を焼討ちすれば袁紹の軍は、七日と持つまい」
彼は直ちに、準備にかかった。
まず河北軍の偽旗をたくさんに作らせた。将士の軍装も馬飾りも幟もことごとく河北風俗にならって彩られ、約五千人の模造軍が編制された。
張遼は、心配した。
「丞相、もし許攸が、袁紹のまわし者だったら、この五千は、ひとりも生き還れないでしょうが」
「この五千は、予自身が率いてゆく。なんでわざわざ敵の術中へ墜ちにゆくものか」
「えっ、丞相ご自身で」
「案じるな。――許攸が味方へとびこんできたのは、実に、天が曹操に大事を成さしめ給うものだ。もし狐疑逡巡して、この妙機をとり逃したりなどしたら、天は曹操の暗愚を見捨てるであろう」
果断即決は、実に曹操の持っている天性の特質中でも、大きな長所の一つだった。彼には兵家の将として絶対に必要な「勘」のするどさがあった。他人には容易に帰結の計りがつかない冒険も、彼の鋭敏な「勘」は一瞬にその目的が成るか成らないか、最終の結果をさとるに早いものであった。
――が、彼にとって、恐いのは行く先の敵地ではなく、留守中の本陣だった。
もちろん許攸はあとに残した。態よく陣中にもてなさせておいて、曹洪を留守中の大将にさだめ、賈詡、荀攸を助けに添え、夏侯淵、夏侯惇、曹仁、李典などもあとの守りに残して行った。
そして、彼自身は。
五千の偽装兵をしたがえ、張遼、許褚を先手とし、人は枚をふくみ馬は口を勒し、その日のたそがれ頃から粛々と官渡をはなれて、敵地深く入って行った。
時、建安五年十月の中旬だった。
三
袁紹の臣沮授は、主君袁紹に諫言して、かえって彼の怒りをかい、軍の監獄に投じられていたが、その夜、獄中に独坐して星を見ているうちに、
「……ああ。これはただごとではない」と、大きくつぶやいた。
彼の独り言を怪しんで、典獄がそのわけを問うと、沮授はいった。
「こよいは星の光いとほがらかなのに、いま天文を仰ぎ見るに、太白星をつらぬいて、一道の妖霧がかかっている。これ兵変のある凶兆である」
そして彼は、典獄を通して、主君の袁紹に会うことをしきりに――しかも、火急に嘆願したので、折から酒をのんでいた袁紹は、何事かと、面前にひかせて見た。
沮授は、信念をもって、
「こよいから明け方までの間に、かならず敵の奇襲が実行されましょう。察するに、味方の兵糧は烏巣にありますから、智略のある敵ならきっとそこを脅かそうとするに違いありません。すぐさま猛将勇卒を急派して、山間の通路にそなえ、彼の計を反覆して、凶を吉とする応変のお手配こそ必要かと存ぜられます」と進言した。
袁紹は聞くと、苦りきって、
「獄中にある身をもって、まだみだりに舌をうごかし、士気を惑わそうとするか。賢才を衒う憎むべき囚人め。退がれっ」と、ただ一喝して、退けてしまった。
それのみか、彼の嘆願を取次いだ典獄は、獄中の者と親しみを交わしたという罪で、その晩、首を斬られてしまったと聞いて、沮授は独り哭いて、獄裡に嘆いていた。
「もう眼にも見えてきた。味方の滅亡は刻々にある。――ああ、この一身も、どこの野末の土となるやら……」
――かかる間に、一方、曹操の率いる模擬河北軍は、いたるところの敵の警備陣を、
「これは九将蒋奇以下の手勢、主君袁紹の命をうけて、にわかに烏巣の守備に増派されて参るものでござる」と呶鳴って、難なく通りぬけてしまった。
烏巣の穀倉守備隊長淳于瓊は、その晩も、土地の村娘など拉してきて、部下と共に酒をのんで深更まで戯れていた。ところが、陣屋の諸所にあたってバリバリと異様な音がするので、あわてて、飛びだしてみると、四面一体は、はや火の海と化し、硝煙の光、投げ柴の火光などが火の襷となって入り乱れているあいだを、金鼓、矢うなり、突喊のさけび、たちまち、耳も聾せんばかりだった。
「あっ、夜討だっ」
狼狽を極めて、急に防戦してみたが、何もかも、間に合わない。
半数は、降兵となり、一部は逃亡し、踏みとどまった者はすべて火焔の下に死骸となった。
曹操の部下は、熊手をもって淳于瓊をからめ捕った。
副将の眭元は行方知れず、趙叡は逃げそこねて討ち殺された。
曹操は存分に勝って淳于瓊の鼻をそぎ耳を切って、これを馬の上にくくりつけ、凱歌をあげながら引返した。――夜もまだ明けきらぬうちであった。
ときに袁紹は、本陣のうちで、無事をむさぼって眠っていたが、
「火の手が見えます!」と不寝の番に起され、はじめて烏巣の方面の赤い空を見た。
そこへ、急報が入った。
袁紹は驚愕して、とっさにとるべき処置も知らなかった。
部将張郃は、
「すぐに烏巣の急を救わん」
とあせり立ち、高覧はそれに反対して、
「むしろ、曹操の本陣、官渡の留守を衝いて、彼の帰るところをなからしめん」と主張した。
火の手を見ながらこんなふうに袁紹の帷幕では議論していたのであった。
四
焦眉の急をそこに見ながら、袁紹には果断がなかった。帷幕の争いに対しても明快な直裁を下すことができなかった。
彼とても、決して愚鈍な人物ではない。ただ旧態の名門に生れて、伝統的な自負心がつよく、刻々と変ってくる時勢と自己の周囲に応じてよく処することを知らなかった日頃の科が、ここへ来てついに避けがたい結果をあらわし、彼をして、ただ狼狽を感じさせているものと思われる。
「やめい。口論している場合ではない」
たまらなくなって、袁紹はついに呶鳴った。
そして、確たる自信もなく、
「張郃、高覧のふたりは、共に五千騎をひっさげて、官渡の敵陣を衝け。また、烏巣の方面へは、兵一万を率いて、蒋奇が参ればよい。はやく行け、はやく」
と、ただあわただしく号令した。
蒋奇は心得てすぐ疾風陣を作った。一万の騎士走卒はすべて馳足でいそいだ。烏巣の空はなお炎々と赤いが、山間の道はまっ暗だった。
すると彼方から百騎、五十騎とちりぢりに馳けてきた将士が、みな蒋奇の隊に交じりこんでしまった。もっとも出合いがしらに先頭の者が、
「何者だっ?」と充分に糺したことはいうまでもないが、みな口を揃えて、
「淳于瓊の部下ですが、大将淳于瓊は捕われ、味方の陣所は、あのように火の海と化したので逃げ退いてきたのです」というし、姿を見れば、すべて河北軍の服装なので、怪しみもせず、応援軍のなかに加えてしまったものであった。
ところが、これはみな烏巣から引っ返してきた曹操の将士であったのである。中には、張遼だの許褚のごとき物騒な猛将も交じっていた。馳足の行軍中、蒋奇の前後にはいつのまにかそういう面々が近づいていたのであった。
「やっ、裏切者か」
「敵だっ」
突然混乱が起った。暗さは暗し、敵か味方かわからない間に、すでに蒋奇は何者かに鎗で突き殺されていた。
たちまち四山の木々岩石はことごとく人と化し、金鼓は鳴り刀鎗はさけぶ。曹操の指揮下、蒋奇の兵一万の大半は殲滅された。
「追い土産まで送ってくるとは、袁紹も物好きな」
と、大捷を博した曹操は、会心の声をあげて笑っていた。
その間に、彼はまた、袁紹の陣地へ、人をさし向けてこういわせた。
「蒋奇以下の軍勢はただ今、烏巣についてすでに敵を蹴ちらし候えば、袁将軍にもお心を安じられますように」
袁紹はすっかり安心した。――が、その安夢は朝とともに、霧の如く醒めてふたたび惨憺たる現実を迎えたことはいうまでもない。
張郃、高覧も、官渡へ攻めかかって、手痛い敗北を喫していたのである。彼に備えがなかったら知らないこと、あらかじめかかることもあろうかと、手具脛ひいていた曹仁や夏侯惇の正面へ寄せて行ったので敗れたのは当然だった。
そのあげく、官渡から潰乱してくる途中、運悪くまた曹操の帰るのにぶつかってしまった。ここでは、徹底的に叩かれて、五千の手勢のうち生き還ったものは千にも足らなかったという。
袁紹は茫然自失していた。
そこへ淳于瓊が、耳鼻を削がれて敵から送られてきたので、その怠慢をなじり、怒りにまかせて即座に首を刎ねてしまった。
五
淳于瓊が斬られたのを見て、袁紹の幕将たちは、みな不安にかられた。
「いつ、自分の身にも」と、めぐる運命におののきを覚えたからである。
中でも、郭図は、
「これはいかん……」と、早くも、保身の智恵をしぼっていた。
なぜならば、ゆうべ官渡の本陣を衝けば必ず勝つと、大いにすすめたのは、自分だったからである。
やがてその張郃、高覧が大敗してここへ帰ってきたら、必定、罪を問われるかも知れない。今のうちに――と彼はあわてて、袁紹にこう讒言した。
「張郃、高覧の軍も、今暁、官渡において、惨敗を喫しましたが、ふたりは元から、味方を売って曹操に降らんという二心が見えていました。さてこそ、昨夜の大敗は、わざとお味方を損じたのかも知れませぬぞ。いかになんでも、ああもろく小勢の敵に敗れるわけはありません」
袁紹は、真っ蒼になって、
「よしっ、立ち帰ってきたら、必ず彼らの罪を正さねばならん」
と、いうのを聞くと、郭図はひそかに、人をやって、張郃、高覧がひき揚げてくる途中、
「しばし、本陣に還るのは、見合わせられい。袁将軍はご成敗の剣を抜いて、貴公たちの首を待っている」と、告げさせた。
二人が、それを聞いているところへ、袁紹からほんとの伝令がきて、
「早々に還り給え」と、主命を伝えた。
高覧は、突然剣を払って、馬上の伝令を斬り落した。驚いたのは張郃である。
「なんで主君のお使いを斬ったのか。そんな暴を働けば、なおさら君前で云い開きが立たんではないか」と絶望して悲しんだ。
すると高覧は、つよくかぶりを振って、
「われら、豈、死を待つべけんや。――おい、張郃。時代の流れは河北から遠い。旗をかえして、曹操に降ろう」と、共に引っ返して、官渡の北方に白旗をかかげ、その日ついに、曹操の軍門に降服してしまった。
諫める者もあったが、曹操は容れるにひろい度量があった。
降将張郃を、偏将軍都亭侯に、高覧を同じく偏将軍東莱侯に封じ、
「なお、将来の大を期し給え」と、励ましたから、両将の感激したことはいうまでもない。
彼の二を減じて、味方に二を加えると、差引き四の相違が生じるわけだから、曹操軍が強力となった反対に、袁将軍の弱体化は目に見えてきた。
それに烏巣焼打ち以後、兵糧難の打開もついて、丞相旗のひるがえるところ、旭日昇天の概があった。
許攸も、その後、曹操に好遇されていた。彼はまた、曹操に告げて、
「ここで息を抜いてはいけません。今です。今ですぞ」と励ました。
昼夜、攻撃また攻撃と、手をゆるめず攻めつづけた。しかし何といっても、河北の陣営はおびただしい大軍である。一朝一夕に崩壊するとは見えなかった。
「――敵の勢力を三分させ、箇々殲滅してゆく策をおとりになっては如何ですか。まずそれを誘導するため、味方の勢を実は少しずつ――黎陽(河南省逡県東南)鄴都(河北省)酸棗(河南省)の三方面へ分け、いつわって、袁紹の本陣へ、各所から一挙に働く折をうかがうのです」
これは荀彧の献策だった。こんどの戦いで、荀彧が口を出したのは初めてであるから、曹操も重視してその説に耳を傾けた。
六
鄴都、黎陽、酸棗の三方面へ向って、しきりに曹操の兵がうごいてゆくと聞いて、袁紹は、
「すわ、また何か、彼が奇手を打つな」
と、大将辛明に、五万騎をつけて、黎陽へ向わせ、三男袁尚にも、五万騎をさずけて、鄴都へ急派し、さらに酸棗へも大兵を分けた。
当然、彼の本陣は、目立って手薄になった。探り知った曹操は、
「思うつぼに」と、ほくそ笑んで、一時三方へ散らした各部隊と聯絡をとり、日と刻を諜し合わせて、袁紹の本陣へ急迫した。
黄河は逆巻き、大山は崩れ、ふたたび天地開闢前の晦冥がきたかと思われた。袁紹は甲を着るいとまもなく、単衣帛髪のまま馬に飛び乗って逃げた。
あとには、ただ一人、嫡子の袁譚がついて行ったのみである。
それと知って、
「われぞ、手擒に!」
と張遼、許褚、徐晃、于禁などの輩が争って追いかけたが、黄河の支流で見失ってしまった。
一すじや二すじの河流なら見当もつくが、広茫の大野に、沼やら湖やら、またそれをつなぐ無数の流れやらあって、どっちへ渡って行ったか――水に惑わされてしまったからであった。
なお諸所を捜索中、捕虜とした一将校の自白によると、
「嫡子袁譚のほかに、約八百ほどの旗下の将士がついて、北方の沼を逃げ渡られた」
と、いうことだった。
そのうちに集結の角笛が聞えたので、一同むなしく引揚げた。この日の戦果は予想外に大きかった。敵の遺棄死体は八万と数えられ、袁紹の本陣付近から彼の捨てて行った食料、重大の図書、金銀絹帛の類などぞくぞく発見されたし、そのほか分捕りの武器馬匹など莫大な額にのぼった。
また、それらの戦利品中には、袁紹の座側にあった物らしい金革の大きな文櫃などもあった。曹操が開いてみると、幾束にもなった書簡が出てきた。
思いがけない朝廷の官人の名がある。現に曹操のそばにいて忠勤顔している大将の名も見出された。そのほか、日頃、袁紹に内通していた者の手紙は、すべて彼の眼に見られてしまった。
「実にあきれたもの、この書簡を証拠に、この際、これらの二心ある醜類をことごとく軍律に照して断罪に処すべきでしょう」
荀攸がそばからいうと、曹操はにやにや笑って、
「いや待て。――袁紹の勢いが隆々としていたひと頃には、この曹操でさえ、如何にせんかと、惑ったものだ。いわんや他人をや」
彼は、眼のまえで、革櫃ぐるみ書簡もすべて、焼き捨てさせてしまった。
また、袁紹の臣沮授は、獄につながれていたので、当然、逃げることもどうすることもできず、やがて発見されて、曹操の前にひかれてきた。曹操は見るとすぐ、
「おう、君とは、一面の交わりがある」
と、自身で縄をといてやったが、沮授は声をあげて、その情けを拒んだ。
「わしが捕われたのは、やむを得ず捕われたのだ。降参ではないぞ。早く首を斬れ」
しかし曹操は、あくまでその人物を惜しんで陣中におき、篤くもてなしておいた。ところが、沮授は隙を見て、兵の馬を盗みだし、それに乗って逃げだそうとした。
「……あっ」
沮授が、鞍につかまった刹那、一本の矢が飛んできて、沮授の背から胸まで射ぬいてしまった。曹操は自分のしたことを、
「ああ。われついに、忠義の人を殺せり」
と悲しんで、手ずから遺骸を祭り、黄河のほとりに墳を築いて、それに「忠烈沮君之墓」と碑にきざませた。