豆を蒔く

 自国の苦しいときは敵国もまた自国と同じ程度に、或いはより以上、苦しい局面にあるという観察は、たいがいな場合まず過りのないものである。
 その前後、魏都洛陽は、蜀軍の内容よりは、もっと深刻な危局に立っていた。
 それは、蜀呉条約の発動による呉軍の北上だった。しかもそれはかつて見ないほど大規模な水陸軍であると伝えられたので、
「魏の安危はこのときにあり」となして、魏帝曹叡は急使を渭水に派して、この際、万一にも、蜀に乗ぜられるような事態を招いたら、それは決定的に魏全体の危殆を意味する。いよいよ守るを主として、必ず自ら動いて戦うなかれ――と、司馬懿へ厳命した。
 一面、曹叡は、時局の重大性に鑑みて、
「いまは坐してこれが収拾を俟っていてよいような事態ではない。先帝の経営と幾多の苦心に倣い、朕も親しく三軍を率い、自ら陣頭に立って、呉を撃滅し尽さなければ止まないであろう」
 劉劭を大将として、江夏の方面へ急派し、田予に一大軍をさずけて襄陽を救わせた。そして曹叡みずからは、満寵そのほかの大将を従えて、合淝の城へ進出した。
 この防呉作戦については、叡帝親征の事が決る前に、その廟議でも大いに議論のあった所であるが、結局、先帝以来、不敗の例となっている要路と作戦を踏襲することになったものである。
 先陣に立った満寵は、巣湖の辺まできて、はるか彼方の岸を見ると、呉の兵船は、湖口の内外に、檣頭の旗をひるがえして、林の如く密集していた。
「ああ旺なものだ。魏と蜀は、ここ連年にわたって、祁山渭水に、莫大な国費と兵力を消耗してきているが、呉のみは独りほとんど無傷である。加うるに江南以東の富力を擁し、充分、両国の疲弊をうかがってこれへ大挙して来たものとすれば、これは容易なことでは撃攘できまい」
 いささか敵の陣容に気を呑まれたかたちの満寵は、大急ぎで駒を引っ返し、曹叡の前にもどってこの由を復命した。
 曹叡はさすがに魏の君主だけあって大気である。満寵の言を聞くとむしろ笑って云った。
「富家の猪は脂に肥え、見かけは強壮らしいが、山野の気性を失って、いつの間にか鈍重になっている。――我には、西境北辺に、連年戦うて、艱苦の鍛えをうけた軽捷の兵のみがある。何をか恐れん」
 と、直ちに、諸将をあつめて、軍議をこらし、その結果、
(敵の備えなきを打つ)と、奇襲戦法をとることになった。
 驍将張球は、もっとも壮な軽兵五千をひっさげて、湖口より攻めかかり、背には沢山の投げ炬火を負わせて行った。また満寵も、同じく強兵五千を指揮し、その夜二更、ふた手にわかれて、呉の水寨へ近づいた。
 埠頭も、湖上も、波しずかに、月は白く、鴻の声しかしなかったが、やがて一時に、波濤天を搏ち、万雷一時に雲を裂くような喊声が捲き起った。
「夜襲だ」
「魏勢が渡ってきた」
 呉軍はあわてふためいた。曹叡が観破したとおり、彼は余りにその重厚な軍容のうちに安心していたのである。刀よ、物の具よ、櫓よ櫂よ、と騒ぎ合ううちに、火雨のごとき投げ炬火が、一船を焼きまた一船に燃えうつり、またたく間に、水上の船影幾百、大小を問わず、焔々と燃え狂わざるなき狂風熱水と化してしまった。
 この手の呉の大将は諸葛瑾であった。赤壁以来、船団の火攻は、呉が奥の手としているものなのに、不覚にも、呉はこの序戦において、かく大失態を演じてしまったのである。一夜の損傷は、武具、兵糧、船舶、兵力にわたって、実に莫大なものを失った。敗将諸葛瑾は、ついに残る兵力を沔口まで退いて、味方の後軍に救援を求め、魏軍は、
「幸先よし」と、勇躍して、さらに次の作戦に向って、満を持していた。

 蜀の孔明、魏の仲達、これに比する者を呉に求めるなれば、それは陸遜であろう。
 陸遜は、呉の総帥として、その中軍を荊州まで進めていたが、巣湖諸葛瑾が大敗した報をうけて、「これはいかん――」と、早くも当初の作戦を一変して、新たな陣容を工夫していた。
 魏の出撃が、予想以上迅速で、かつその反抗力の旺盛なことも、彼のやや意外としたところであった。
「連年あれほど渭水で、軍需兵力を消耗していながら、なおこれだけの余力を保有しておるか」
 と、底知れない魏の国力に、今さらながら愕いた。
「序戦に敗れたのは、諸葛瑾の科というよりは、むしろ呉人の魏国認識が足らなかったものといえる」
 陸遜は、表を以て、呉帝に奏した。それは今、新城へ攻めかかっている味方をして、魏軍のうしろへ迂回させ、敵曹叡の本軍を、大きな包囲環のうちに取り囲もうという秘策だった。
 初め、陸遜諸葛瑾も、魏の主力は、おそらく新城の急に釣られて、その方面へ全力を向けるだろうと思っていたのである。この予想はずれが、巣湖の一敗となり、陸遜の作戦変更を余儀なくしてきた一因でもある。
 ところが、どうしたことか、この第二段の新作戦も、その機密が、敵側へ洩れてしまった。
 諸葛瑾は、沔口の陣地から陸遜へ書翰を送って、
「いま、味方の士気は弱く、反対に、魏軍の気勢は、日々強く、勢い侮りがたいものがある。かてて加えて、士気のみだれより、とかく軍機も敵側へ漏れ、事態、憂慮にたえぬものがある。ここは一応本国へ引き上げて、さらに陣容をあらため、時をうかがって、北上せられては如何」
 と、半ば困憊を訴え、半ば自己の意見を献言して来た。
 陸遜は、使いの者に、
諸葛瑾に伝えるがいい。余りに心を労さぬがよいと。そのうちおのずからわれに計もあれば」
 といった。
 しかし、それだけの伝言では、諸葛瑾はなお安んじきれない。使いの者にいろいろ訊ねた。
「陸都督の陣地では、軍紀正しく、進撃の備えをしておるのか」
「いや、申しては恐れありますが、軍紀ははなはだみだれ、上下怠りすさんで、用心の態すら見えません」
「はて、進まず、防がず、いったい如何なる思し召だろう」
 正直な瑾は、いよいよ不安を抱いて、次には、自身出かけて陸遜へ会いに行った。
 見るとなるほど、諸軍の兵は、陣外を耕して、豆など蒔いているし、当の陸遜は、轅門のほとりで、諸大将と碁を囲んでいた。
「これは平和な風景だ」
 瑾はいささかあきれた。そして夜宴のあとで、陸遜と二人きりになったとき、切に、味方の態勢と、魏の勢いとを比較して、彼の善処を促した。
「いや、仰せの通りだ」
 陸遜は率直に彼のいうことを認めた。そして、
「自分もここは一度退くべきときと考えているが、退軍万全を要する。急に退くときは、魏はこの機会に呉楚を呑まんと、大追撃を起して来るかも知れない。……さればとて、積極的に出ようとしたわが秘策は敵に漏れたゆえ、曹叡を包囲中に捕える手段も今は行われない」
 と、飾り気なく語った。
 しかし囲碁に閑日を消していることも、兵に豆を蒔かせていることも、勿論、彼が魏をあざむく偽態であったことはいうまでもなく、魏は、それをうかがって、陸遜軍がなお年を越えるまで、この地方に長陣を決意しているものと観察していたところ、やがて、諸葛瑾が沔口に立ち帰ると間もなく、彼の水陸軍も、陸遜の中軍も、一夜のうちに、長江の下流へ急流の如く引揚げてしまった。
陸遜はまことに呉の孫子だ」
 あとでそれを知った魏帝曹叡は舌を巻いて賞めた。魏はさらに、後続軍の新鋭を加えて、呉の脆弱面を徹底的に破砕すべく二次作戦を計っていたところだったのである。瞬前に、網からそれた鳥群を見送るように、曹叡は残念に思い、またその敏捷な退軍ぶりを、敵ながら鮮やかなり、と嘆賞したのであった。

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