一 穴を出ない虎は狩れない。 曹操は、あらゆる策をめぐらして、呂布へ挑んだが、 「もうその策には乗らない」と、彼は容易に、濮陽から出なかった。 そのくせ、前線と前線との、偵察兵や小部隊は日々夜々小ぜりあいをくり返し...
一 忽然と、蒙古高原にあらわれて、胡夷の猛兵をしたがえ、隴西(甘粛省)の州郡をたちまち伐り奪って、日に日に旗を増している一軍があった。 建安十八年の秋八月である。この蒙古軍の大将は、さきに曹操に破られて、どこへか落ちて行った...
一 時すでに初更に近かった。 蔡和の首を供えて水神火神に祷り、血をそそいで軍旗を祭った後、周瑜は、 「それ、征け」と、最後の水軍に出航を下知した。 このときもう先発の第一船隊、第二船隊、第三船隊などは、舳艫をそろえ...
一 合淝の城をあずかって以来、張遼はここの守りを、夢寐にも怠った例はない。 ここは、魏の境、国防の第一線と、身の重責を感じていたからである。 ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の※城は一支えもなく潰えてしまった。洪...
一 さて。――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働...
一 その後、蜀の大軍は、白帝城もあふるるばかり駐屯していたが、あえて発せず、おもむろに英気を練って、ひたすら南方と江北の動静をうかがっていた。 ときに諜報があって、 「呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を...
一 隣国へ使いに行った帯来が帰ってきて告げた。 「われわれの申入れを承知して、数日の間に、木鹿王は自国の軍を率いて来ましょう。木鹿軍が来れば、蜀軍などは木っ端微塵です」 彼の姉祝融夫人も、その良人孟獲も、今はそれだけを一...
一 ――華雄討たれたり ――華雄軍崩れたり 敗報の早馬は、洛陽をおどろかせた。李粛は、仰天して、董相国に急を告げた。董卓も、色を失っていた。 「味方は、どう崩れたのだ」 「汜水関に逃げ帰っています」 「関を...