一 敵を誘うに、漫罵愚弄して彼の怒りを駆ろうとするのは、もう兵法として古すぎる。 で、蜀軍はわざと虚陣の油断を見せたり、弱兵を前に立てたり、日々工夫して、釣りだしを策してみたが、呉は土龍のように、依然として陣地から一歩も出て...
一 彗星のごとく現われて彗星のようにかき失せた馬超は、そも、どこへ落ちて行ったろうか。 ともあれ、隴西の州郡は、ほっとしてもとの治安をとりもどした。 夏侯淵は、その治安の任を、姜叙に託すとともに、 「君はこのたびの...
一 葭萌関は四川と陝西の境にあって、ここは今、漢中の張魯軍と、蜀に代って蜀を守る玄徳の軍とが、対峙していた。 攻めるも難、防ぐも難。 両軍は悪戦苦闘のままたがいに譲らず、はや幾月かを過していた。 「曹操が呉へ攻め下...
一 漢中滞陣の一ヵ年のうちに、孔明は軍の機構からその整備や兵器にまで、大改善を加えていた。 たとえば突撃や速度の必要には、散騎隊武騎隊を新たに編制して、馬に練達した将校をその部に配属し、また従来、弩弓手として位置も活用も低か...
一 樊城は包囲された。弱敵に囲まれたのとちがい、名だたる関羽とその精鋭な軍に包囲されたのであるから、落城の運命は、当然に迫った。 (――急遽、来援を乞う) との早馬は、魏王宮中を大いに憂えさせた。曹操は評議の席にのぞむと...
一 (――急に、魏公が、あなたと夏侯惇のおふたりに内々密議を諮りたいとのお旨である。すぐ府堂までお越しありたい) 賈詡からこういう手紙が来た。使いをうけたのは、曹操の一族、曹仁である。 「なんだろう?」 曹仁は、洛中...
一 玄徳の死は、影響するところ大きかった。蜀帝崩ず、と聞えて、誰よりも歓んだのは、魏帝曹丕で、 「この機会に大軍を派せば、一鼓して成都も陥すことができるのではないか」 と虎視眈々、群臣に諮ったが、賈詡は、 「孔明がお...
一 孔明は成都に還ると、すぐ参内して、天機を奉伺し、帝劉禅へこう奏した。 「いったい如何なる大事が出来て、かくにわかに、臣をお召し還し遊ばされましたか」 もとより何の根拠もないことなので、帝はただうつ向いておられたが、や...
一 誰か知ろう真の兵家が大機を逸した胸底のうらみを。 人はみな、蜀軍の表面の勝ちを、あくまで大勝とよろこんでいたが、独り孔明の胸には、遺憾やるかたないものがつつまれていた。 加うるに、彼が、ひとまず自軍を渭南の陣にまと...
一 魏の大陣容はととのった。 辛毘、あざなは佐治、これは潁州陽翟の生れ、大才の聞え夙にたかく、いまや魏主曹叡の軍師として、つねに帝座まぢかく奉侍している。 孫礼、字は徳達は、護軍の大将として早くより戦場にある曹真の大軍...
一 覇者は己れを凌ぐ者を忌む。 張松の眼つきも態度も、曹操は初めから虫が好かない。 しかも、彼の誇る、虎衛軍五万の教練を陪観するに、いかにも冷笑している風がある。曹操たる者、怒気を発せずにはいられなかった。 「張松...
一 四川の巴西、下弁地方は、いまやみなぎる戦気に、雲は風をはらみ、鳥獣も声をひそめていた。 魏兵五万は、漢中から積極的に蜀の境へ出、その辺の嶮岨に、霧のごとく密集して、 「寸土も侵させるか」と、物々しくも嘯いていた。 ...
一 魏の大軍が呉へ押襲せてくるとの飛報は、噂だけにとどまった。 嘘でもなかったが、早耳の誤報だったのである。 この冬を期して、曹操が宿望の呉国討伐を果たそうとしたのは事実で、すでに南下の大部隊を編制し、各部の諸大将の任...
一 呉は大きな宿望の一つをここに遂げた。荊州を版図に加えることは実に劉表が亡んで以来の積年の望みだった。孫権の満悦、呉軍全体の得意、思うべしである。 陸口の陸遜も、やがて祝賀をのべにこれへ来た。その折、列座の中で呂蒙は、 ...
一 劉璋は面に狼狽のいろを隠せなかった。 「曹操にそんな野心があってはどうもならん。張魯も蜀を狙う狼。曹操も蜀をうかがう虎。いったいどうしたらいいのじゃ」 気が弱い、策がない。劉璋はただ不安に駆られるばかりな眼をして云っ...
一 この時の会戦では、司馬懿は全く一敗地にまみれ去ったものといえる。魏軍の損害もまたおびただしい。以来、渭水の陣営は、内に深く守って、ふたたび鳴りをひそめてしまった。 孔明は、拠るところの祁山へ兵を収めたが、勝ち軍に驕るなか...
一 ――それより前に。 張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、 「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲...
一 街は戸ごとに燈火をつらね、諸門の陣々も篝に染まり、人の寄るところ、家のあるところ、五彩の燈にいろどられているため、こよい正月十五日の夜、天上一輪の月は、なおさら美しく見えた。 王必の営中では、宵の口から酒宴がひらかれ、将...
一 多年軍需相として、重要な内政の一面に才腕をふるっていた李厳の退職は、何といっても、蜀軍の一時的休養と、延いては国内諸部面の大刷新を促さずにはおかなかった。 蜀道の嶮岨は、事実、誰がその責任者に当っても、克服することのでき...
一 呉に年々の貢ぎ物をちかわせて来たことは、遠征魏軍にとって、何はともあれ、赫々たる大戦果といえる。まして、漢中の地が、新たに魏の版図に加えられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄々、...
一 漢中王の劉玄徳は、この春、建安二十五年をもって、ちょうど六十歳になった。魏の曹操より六ツ年下であった。 その曹操の死は、早くも成都に聞え、多年の好敵手を失った玄徳の胸中には、一抹落莫の感なきを得なかったろう。敵ながら惜し...
一 蜀呉の同盟はここしばらく何の変更も見せていない。 孔明が南蛮に遠征する以前、魏の曹丕が大船艦を建造して呉への侵寇を企てた以前において、かの鄧芝を使いとして、呉に修交を求め、呉も張蘊を答礼によこして、それを機会にむすばれた...
一 瑾の使いは失敗に帰した。ほうほうの態で呉へ帰り、ありのままを孫権に復命した。 「推参なる長髯獣め。われに荊州を奪るの力なしと見くびったか」 孫権は、荊州攻略の大兵をうごかさんとして、その建業城の大閣に、群臣の参集を求...
一 合淝の城をあずかって以来、張遼はここの守りを、夢寐にも怠った例はない。 ここは、魏の境、国防の第一線と、身の重責を感じていたからである。 ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の※城は一支えもなく潰えてしまった。洪...
一 郭淮の進言に面目をとどめた張郃は、この一戦にすべての汚名を払拭せんものと、意気も新たに、五千余騎を従えて、葭萌関に馬を進めた。 この関を守るは、蜀の孟達、霍峻の両大将であった。 張郃軍あらためて攻めきたるの報を得て...