冒頭 伍瓊(ごけい)とは、後漢末に洛陽で董卓政権下の官人として登場する人物で、城門を管掌する校尉の職にあった者です。 生涯 董卓が朝廷を威圧して帝位廃立や政務を進める局面で、侍中の周毖、議郎の何顒らと並んで名を挙げら...
何顒(かぎょう)とは 何顒は後漢末期の学者・官僚で、清流派の名士として知られた人物。字は伯求(はくきゅう)。学問と人格に優れ、同時代の士人から高く評価された。 生涯 何顒は潁川出身で、若くして経学に通じ、名声を博した...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
一 その日の戦いは、董卓の大敗に帰してしまった。 呂布の勇猛には、それに当る者もなかった。丁原も、十方に馬を躍らせて、董卓軍を蹴ちらし、大将董卓のすがたを乱軍の中に見かけると、 「簒逆の賊、これにありしか」と、馳け迫って...
一 そのむかし、まだ洛陽の一皇宮警吏にすぎなかった頃、曹操という白面の青年から、おれの将来を卜してくれといわれて、 「おまえは治世の能臣だが、また乱世の奸雄だ」 と予言したのは、洛陽の名士許子将という人相観だった。 ...
一 時は、中平六年の夏だった。 洛陽宮のうちに、霊帝は重い病にかかられた。 帝は病の篤きを知られたか、 「何進をよべ」 と、病褥から仰せ出された。 大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺して...