冒頭 大尉(たいい)とは後漢末から魏にかけて朝廷の重職として置かれた官職名で、国家の軍政を統轄する最高位級の文武官を指します。 概要 大尉は、朝廷の中枢に位置する職として、政務全般に参与しつつ、とくに軍事・国防や官僚...
冒頭 華歆(かきん)とは、曹操・曹丕の政権下で要職を歴任し、漢末から魏初にかけて宮廷の意思決定と権力移行に深く関わる重臣です。後に魏の官制で大尉に列し、王朗・陳群らと並ぶ高位の文官として扱われます。 生涯 曹操の近臣...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...
一 馬謖は云った。 「なぜか、司馬懿仲達という者は、あの才略を抱いて、久しく魏に仕えながら、魏では重く用いられていません。彼が曹操に侍いて、その図書寮に勤めていたのは、弱冠二十歳前後のことだと聞いています。曹操、曹丕、曹叡、三...
一 曹操の死は天下の春を一時寂闇にした。ひとり魏一国だけでなく、蜀、呉の人々の胸へも云わず語らず、人間は遂に誰であろうとまぬがれ難い天命の下にあることを、今さらのように深く内省させた。 「故人となって見れば彼の偉大さがなお分る...
一 孔明還る、丞相還る。 成都の上下は、沸き返るような歓呼だった。後主劉禅にも、その日、鸞駕に召されて、宮門三十里の外まで、孔明と三軍を迎えに出られた。 帝の鸞駕を拝すや、孔明は車から跳びおりて、 「畏れ多い」と、...
一 時は、中平六年の夏だった。 洛陽宮のうちに、霊帝は重い病にかかられた。 帝は病の篤きを知られたか、 「何進をよべ」 と、病褥から仰せ出された。 大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺して...