冒頭 華陀(かだ)とは、後漢末に名声を得た医師で、麻酔薬「麻肺湯」を用いる外科手術など、当時として異例の療法を行った人物です。字(あざな)は元化(げんか)とされます。 生涯 沛国譙郡の出身とされ、各地の重症者の治療で...
冒頭 譙県(しょうけん)とは、沛(はい)に属する県で、曹操の郷里として語られる土地です。 概要 譙県は、曹氏の祖先祭祀や郷里意識と結びつく行政区画として位置づけられます。魏王となった曹丕が、亡父曹操の郷里として譙県を...
冒頭 沛国(はいこく)とは、後漢の地方行政区画の一つで、地名としては譙郡などを含む地域を指します。吉川英治『三国志』では、人物の出身地を示す呼称として現れ、曹操が自ら「沛国譙郡の生れ」と名乗る形で提示されます。 概要 ...
曹操孟徳(そうそう もうとく)とは 曹操は後漢末から三国時代初期にかけて活躍した群雄で、魏の基礎を築いた人物である。字は孟徳(もうとく)。その才能と多面性から「治世の能臣、乱世の奸雄」と評される。 魏王(ぎおう)とは ...
一 ひとまず、江東も平定した。 軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。 「ここが大事だ。ここで自分はなにをなすべきだろうか?」 孫策は自問自...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
一 それより前に、関羽は、玄徳の書をたずさえて、幽州涿郡(河北省・涿県)の大守劉焉のもとへ使いしていた。 太守劉焉は、何事かと、関羽を城館に入れて、庁堂で接見した。 関羽は、礼をほどこして後、 「太守には今、士を四...
一 さて。――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働...
一 戦陣に在る日は、年を知らない曹操も凱旋して、すこし閑になずみ、栄耀贅沢をほしいままにしていると、どこが痛む、ここが悪いと、とかく体のことばかり訴える日が多かった。 いかんせん彼もすでに今年六十五という老齢である。体のまま...
一 まだ敵味方とも気づかないらしいが、樊城の完全占領も時の問題とされている一歩手前で、関羽軍の内部には、微妙な変化が起っていたのである。 魏の本国から急援として派した七軍を粉砕し、一方、樊城城下に迫ってその余命を全く制しなが...