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New Word臨江亭会談
一 蜀の玄徳は、一日、やや狼狽の色を、眉にたたえながら、孔明を呼んで云った。 「先生の兄上が、蜀へ来たそうではないか」 「昨夜、客館に着いたそうです」 「まだ会わんのか」 「兄にせよ、呉の国使として参ったもの。孔明...
降参船
一 「この大機会を逸してどうしましょうぞ」 という魯粛の諫めに励まされて、周瑜もにわかにふるい起ち、 「まず、甘寧を呼べ」と令し、営中の参謀部は、俄然、活気を呈した。 「甘寧にござりますが」 「おお、来たか」 ...
鈴音
一 孫高、傅嬰の二人は、その夜すぐ兵五十人をつれて、戴員の邸を襲い、 「仇の片割れ」と、その首を取って主君の夫人徐氏へ献じた。 徐氏はすぐ喪服をかぶって、亡夫の霊を祭り、嬀覧、戴員二つの首を供えて、 「お怨みをはらし...
鵞毛の兵
一 いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って旺であったことはいうまでもない。 いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいてくるにおいてはである。 「漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事...
群英の会
一 敗戦の責任を問われるものと察して、蔡瑁、張允の二人は、はや顔色もなかった。 恟々として、曹操の前へすすみ、かつ百拝して、このたびの不覚を陳謝した。 曹操は、厳として云った。 「過ぎ去った愚痴を聞いたり、また過去...
山谷笑う
一 八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。 溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって斃れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞か...
孔明・風を祈る
一 よほど打ち所が悪かったとみえる。周瑜は営中の一房に安臥しても、昏々とうめき苦しんでいる。 軍医、典薬が駈けつけて、極力、看護にあたる一方、急使は、呉の主孫権の方へこの旨を報らせに飛ぶ。 「奇禍に遭って、都督の病は重態...
風を呼ぶ杖
一 このところ魏軍江北の陣地は、士気すこぶる昂らなかった。 うまうまと孔明の計に乗って、十数万のむだ矢を射、大いに敵をして快哉を叫ばせているという甚だ不愉快な事実が、後になって知れ渡って来たからである。 「呉には今、孔明...
狂瀾
一 本来、この席へ招かれていいわけであるが、孔明には、玄徳が来たことすら、聞かされていないのである。 以て、周瑜の心に、何がひそんでいるか、察することができる。 「……?」 帳の外から宴席の模様をうかがっていた孔明...
呉の情熱
一 眼を転じて、南方を見よう。 呉は、その後、どういう推移と発展をとげていたろうか。 ここ数年を見較べるに―― 曹操は、北方攻略という大事業をなしとげている。 玄徳のほうは、それに反して、逆境また逆境だった...
遼来々
一 合淝の城をあずかって以来、張遼はここの守りを、夢寐にも怠った例はない。 ここは、魏の境、国防の第一線と、身の重責を感じていたからである。 ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の※城は一支えもなく潰えてしまった。洪...
酔計二花
一 周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。 また彼の妻は、策の妃の妹であるから、現在の呉主孫権と周瑜とのあいだは、義兄弟に当るわけである。 彼は、盧江の生れで、字を公瑾といい、孫策に知られてその将となるや、わずか二十...
この一戦
一 その後、蜀の大軍は、白帝城もあふるるばかり駐屯していたが、あえて発せず、おもむろに英気を練って、ひたすら南方と江北の動静をうかがっていた。 ときに諜報があって、 「呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を...
荊州往来
一 周瑜は、その後も柴桑にいて瘡養生をしていたが、勅使に接して、思いがけぬ叙封の沙汰を拝すると、たちまち病も忘れて、呉侯孫権へ、次のような書簡をしたためて送った。 天子、詔を降して、いま不肖周瑜に、南郡の太守に封ずとの恩命があり...
一掴三城
一 一方、孫乾は油江口にある味方の陣に帰ると、すぐ玄徳に、帰りを告げて、 「いずれ周瑜が自身で答礼に参るといっておりました」と、話した。 玄徳は、孔明と顔見合わせて、 「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るという...
蜂と世子
一 呉はここに、陸海軍とも大勝を博したので、勢いに乗って、水陸から敵の本城へ攻めよせた。 さしも長い年月、ここに、 (江夏の黄祖あり) と誇っていた地盤も、いまは痕かたもなく呉軍の蹂躙するところとなった。 城...
剣と戟と楯
一 司馬懿仲達は、中軍の主簿を勤め、この漢中攻略のときも、曹操のそばにあって、従軍していた。 戦後経営の施政などにはもっぱら参与して、その才能と圭角をぽつぽつ現わし始めていたが、一日、曹操にこう進言した。 「魏の漢中進出...
裏の裏
一 酒のあいだに曹操は、蔡和、蔡仲からの諜報を、ちらと卓の陰で読んでいたが、すぐに袂に秘めて、さり気なくいった。 「さて闞沢とやら。――今はご辺に対して予は一点の疑いも抱いておらん。この上は、ふたたび呉へかえって、予が承諾した...
冬将軍
一 冬が来た。 連戦連勝の蜀軍は、巫峡、建平、夷陵にわたる七十余里の戦線を堅持して、章武二年の正月を迎えた。 賀春の酒を、近臣に賜うの日、帝玄徳も微酔して、 「雪か、わが鬢髪か。思えば朕も老いたが、また帷幕の諸大将...