冒頭 糧草(りょうそう)とは、軍勢が行軍・籠城・会戦を継続するために必要な食糧や、その補給に付随する物資全般を指す言葉です。 概要 吉川英治『三国志』では、戦の勝敗を左右する基盤として糧草が扱われ、前線へ届く量だけで...
一 蜀の玄徳は、一日、やや狼狽の色を、眉にたたえながら、孔明を呼んで云った。 「先生の兄上が、蜀へ来たそうではないか」 「昨夜、客館に着いたそうです」 「まだ会わんのか」 「兄にせよ、呉の国使として参ったもの。孔明...
一 その後、玄徳は徐州の城へはいったが、彼の志とは異っていた。しかし事の成行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈はもうゆるさなくなってきたのである。 玄徳の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な...
一 最後の一計もむなしく半途に終って、それ以来、呂布は城にあって、日夜悶々と、酒ばかりのんでいたが、――その呂布を攻め、城を取囲んでいる曹操のほうにも、すでに安からぬ思いが濃かった。 「この城を囲んでからも六十余日になる。しか...
一 多年軍需相として、重要な内政の一面に才腕をふるっていた李厳の退職は、何といっても、蜀軍の一時的休養と、延いては国内諸部面の大刷新を促さずにはおかなかった。 蜀道の嶮岨は、事実、誰がその責任者に当っても、克服することのでき...
一 西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。 郿塢の城から敗走した大軍だった。 董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、 「伏して、赦を乞う」 ...
一 諸州の浪人の間で、 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ...