冒頭 帝都長安(ていとちょうあん)とは、中国後漢末から三国時代にかけて、関中に置かれた長安を皇帝の都として呼ぶ言い方です。董卓が洛陽を離れて遷都を断行した結果、長安は朝廷の所在となりました。 概要 長安は関中の要地で...
冒頭 東門(とうもん)とは、城郭都市や官衙の囲いに設けられた門のうち、東側に開く出入口です。 概要 後漢末の都市は城壁と複数の城門を備え、門は交通の結節点であると同時に、防衛線としても機能しました。東門は方位で識別さ...
冒頭 太傅(たいふ)とは、後漢から三国時代にかけて置かれた高位の文官職で、君主や皇太子を補佐し、政治上の助言や儀礼上の監督を担う地位です。吉川三国志では、劉備が漢中王に即いた際に嫡子劉禅の教育・補佐役として許靖が太傅に任ぜられ...
冒頭 銅雀台(どうじゃくだい)とは、曹操が河北の鄴城近く、漳河のほとりに築いた高大な楼台建築です。造営の中心となる台を銅雀台とし、左右に玉龍台・金鳳台を配し、空中に反り橋を架けて連絡させる構えとして語られます 。 概要 ...
荀彧(じゅん いく)とは 荀彧は後漢末の政治家・軍師で、曹操の参謀として魏の基盤を支えた人物。字は文若(ぶんじゃく)。「王佐の才」と称され、曹操の覇業における最大の功臣の一人とされる。 生涯 荀彧は潁川の名門・荀氏の...
一 このとき丞相府には、荊州方面から重大な情報が入っていた。 「荊州の玄徳は、いよいよ蜀に攻め入りそうです。目下、彼の地では活溌な準備が公然と行われている」 曹操はかく聞いて胸をいためた。もし玄徳が蜀に入ったら、淵の龍が...
一 孔明還る、丞相還る。 成都の上下は、沸き返るような歓呼だった。後主劉禅にも、その日、鸞駕に召されて、宮門三十里の外まで、孔明と三軍を迎えに出られた。 帝の鸞駕を拝すや、孔明は車から跳びおりて、 「畏れ多い」と、...
一 街は戸ごとに燈火をつらね、諸門の陣々も篝に染まり、人の寄るところ、家のあるところ、五彩の燈にいろどられているため、こよい正月十五日の夜、天上一輪の月は、なおさら美しく見えた。 王必の営中では、宵の口から酒宴がひらかれ、将...
一 呉に年々の貢ぎ物をちかわせて来たことは、遠征魏軍にとって、何はともあれ、赫々たる大戦果といえる。まして、漢中の地が、新たに魏の版図に加えられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄々、...
一 冀北の強国、袁紹が亡びてから今年九年目、人文すべて革まったが、秋去れば冬、冬去れば春、四季の風物だけは変らなかった。 そして今し、建安十五年の春。 鄴城(河北省)の銅雀台は、足かけ八年にわたる大工事の落成を告げてい...
一 渭水の早馬は櫛の歯をひくように洛陽へ急を告げた。 そのことごとくが敗報である。 魏帝曹叡は、色を失い、群臣を会して、誰かいま国を救う者はなきや、と憂いにみちて云った。 華歆が奏した。 「この上は、ただ帝み...