冒頭 葛陂(かつは)とは、吉川英治『三国志』に出る地名で、堤がある水辺の地として示されます。黄巾の残党の賊将・何儀が敗走の途上、この「葛陂の堤」を伝って逃げる場面に現れます。 概要 作中では、賊将を追う戦闘の流れの中...
冒頭 截天夜叉(せってんやしゃ)とは、黄巾賊や群盗の側が用いる異名の一つで、妖鬼の夜叉になぞらえて人並外れた勇猛さや凶暴さを誇示する呼称です。吉川英治『三国志』では、黄巾の残党が割拠する羊山で、巨漢の賊将何曼(かまん)が自ら「...
冒頭 黄巾の残党(こうきんのざんとう)とは、後漢末の黄巾賊が各地で討伐・瓦解したのちも、なお地方に散在して徒党を組み、蜂起や掠奪を続けた「余党」を指す呼称です。朝廷の統制が崩れ、地方で再び「黄巾賊の残党」が起つことが天下の危機...
一 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...
一 船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、簾を垂れて二夫人をかくし、ふたたび蕭々の風と渺々の草原をぬう旅はつづいてゆく。 そうした幾日目かである。 彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたき...
一 大戦は長びいた。 黄河沿岸の春も熟し、その後袁紹の河北軍は、地の利をあらためて、陽武(河南省・原陽附近)の要害へ拠陣を移した。 曹操もひとまず帰洛して、将兵を慰安し、一日慶賀の宴をひらいた。 その折、彼は諸人...
一 穴を出ない虎は狩れない。 曹操は、あらゆる策をめぐらして、呂布へ挑んだが、 「もうその策には乗らない」と、彼は容易に、濮陽から出なかった。 そのくせ、前線と前線との、偵察兵や小部隊は日々夜々小ぜりあいをくり返し...
一 諸州の浪人の間で、 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ...