一 長江千里、夜が明けても日が暮れても、江岸の風景は何の変化もない。水は黄色く、ただ滔々淙々と舷を洗う音のみ耳につく。 船は夜昼なく、呉の北端、柴桑郡をさして下っている。――その途中、魯粛はひそかにこう考えた。 「痩せて...
一 大河は大陸の動脈である。 支那大陸を生かしている二つの大動脈は、いうまでもなく、北方の黄河と、南方の揚子江とである。 呉は、大江の流れに沿うて、「江東の地」と称われている。 ここに、呉の長沙の太守孫堅の遺子孫...
一 ――それより前に。 張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、 「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲...
一 このところ魏軍江北の陣地は、士気すこぶる昂らなかった。 うまうまと孔明の計に乗って、十数万のむだ矢を射、大いに敵をして快哉を叫ばせているという甚だ不愉快な事実が、後になって知れ渡って来たからである。 「呉には今、孔明...
一 魏ではこのところ、ふたりの重臣を相次いで失った。大司馬曹仁と謀士賈詡の病死である。いずれも大きな国家的損失であった。 「呉が蜀と同盟を結びました」 折も折、侍中辛毘からこう聞かされたとき、皇帝曹丕は、 「まちがい...
一 周瑜は、その後も柴桑にいて瘡養生をしていたが、勅使に接して、思いがけぬ叙封の沙汰を拝すると、たちまち病も忘れて、呉侯孫権へ、次のような書簡をしたためて送った。 天子、詔を降して、いま不肖周瑜に、南郡の太守に封ずとの恩命があり...
一 冀北の強国、袁紹が亡びてから今年九年目、人文すべて革まったが、秋去れば冬、冬去れば春、四季の風物だけは変らなかった。 そして今し、建安十五年の春。 鄴城(河北省)の銅雀台は、足かけ八年にわたる大工事の落成を告げてい...
一 孫権にとって甥の孫韶は義理ある兄の子でありまた兄の家、愈氏の相続人であった。だから彼が死罪になれば、兄の家が絶えることにもなる。 身は呉王の位置にあっても、軍律の重きことばかりは、如何ともし難いので、孫権はそんな事情まで...