江南
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二。 喪の冬はすぎて、歳は建安十三年に入った。 江南の春は芽ぐみ、朗天は日々つづく。 若い呉主孫権は、早くも衆臣をあつめて、 。「黄祖を伐とうではないか」と評議にかけた。
「そんな人物がいるのか」 。「ぜひ二賢を招いて、幕僚に加え給え。張昭は、よく群書をみて、天文地理の学問に明らかなんだし、また張紘のほうは、才智縦横、諸経に通じ、説を吐けば、江東江南の百家といえど彼の右に出る者はない」 。「どうしたらそんな賢人を招けるだろうか」 。「権力をもってのぞんでもだめだし、財物を山と運んでも動くまい、人生意気に感ず――ということがあるから、君自身が行って、礼をつくし、深く敬って、君の抱懐している真実を告げるんだね。
「嶺の上か。そこは」 。「頂上よりは下った中腹で、そこへ登りますると、鄱陽湖から揚子江のながれは目の下で、江南江北も一目に見わたされまする」 。「明日、われをそこへ案内せい。自身参って、廟を掃い、いささか心ばかりの祭をいたすであろう」 。
一。 江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、文化は溌剌と清新を呈してきて、 。 小覇王孫郎 。
しかし、いくら罵ってみても事態はうごかない。 袁術は今や手足のおく所も知らなかった。眼前の曹軍があげる喊の声は、満山の吼えるが如く、背後にせまる江南数百の兵船は海嘯のように彼を脅かして、夜の眠りも与えなかった。 睡眠不足になった袁術皇帝をかこんで、きょうも諸大将は陰々滅々たる会議に暮らしていたが、時に、楊大将がいった。「陛下。
時はすでに、去ったでしょうか」 。「いや。なおここで、江南から江東地方をみる要があります。ここは孫権の地で、呉主すでに三世を歴しており、国は嶮岨で、海山の産に富み、人民は悦服して、賢能の臣下多く、地盤まったく定まっております。――故に、呉の力は、それを外交的に自己の力とすることは不可能ではないにしても、これを敗って奪ることはできません」 。
かかる大動員をもって大戦にのぞまれなば、おそらく洛陽、長安以来の惨禍を世に捲き起しましょう。さる時には、多くの兵を損い、民を苦しめ、天下の怨嗟は挙げて丞相にかかるやも知れません。なぜならば、玄徳は漢の宗親、なんら朝廷に反いたこともなく、また呉の孫権たりといえど、さして不義なく、その勢力は江東江南六郡にまたがり、長江の要害を擁しているにおいては、いかにお力をもってしても……」 。「だまれ。晴れの門出に」 。