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鵞毛の兵

一  いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って旺であったことはいうまでもない。  いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいてくるにおいてはである。 「漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事...

本文 三国志 遠南の巻
8ヶ月 ago
鶏肋

一  ここまでは敗走一路をたどってきた曹操も、わが子曹彰に行き会って、その新手五万の兵を見ると、俄然、鋭気を新たにして、急にこういう軍令を宣した。 「ここに斜谷の天嶮あり、ここに北夷を平げて、勇気凜絶の新手五万あり、加うるに、わ...

本文 三国志 遠南の巻
8ヶ月 ago
遺孤を託す

一  この年四月頃から蜀帝玄徳は永安宮の客地に病んで、病状日々に篤かった。 「いまは何刻か?」  枕前の燭を剪っていた寝ずの宿直や典医が、 「お目ざめでいられますか。いまは三更でございます」と、奏した。  白々と耀き...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
白帝城

一  敵を誘うに、漫罵愚弄して彼の怒りを駆ろうとするのは、もう兵法として古すぎる。  で、蜀軍はわざと虚陣の油断を見せたり、弱兵を前に立てたり、日々工夫して、釣りだしを策してみたが、呉は土龍のように、依然として陣地から一歩も出て...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
七歩の詩

一  曹丕が甚だしく怒った理由というのはこうであった。  以下、すなわち令旨をたずさえて、曹植のところから帰ってきた使者の談話である。 「――私が伺いました日も、うわさに違わず、臨淄侯曹植様には、丁儀、丁廙などという寵臣を侍...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
武帝

武帝(ぶてい)とは、中国の歴代王朝で一般的に用いられた諡号や尊称ですが、三国志の文脈で「武帝」と記す場合、もっとも有名なのは曹操(そうそう)を指します。曹操は魏を建国した曹丕(曹操の子)から「武帝」の諡号を贈られました。したがって、三...

三国志 人名
8ヶ月 ago
魚紋

一  玄徳の死は、影響するところ大きかった。蜀帝崩ず、と聞えて、誰よりも歓んだのは、魏帝曹丕で、 「この機会に大軍を派せば、一鼓して成都も陥すことができるのではないか」  と虎視眈々、群臣に諮ったが、賈詡は、 「孔明がお...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
野に真人あり

一  亡国の最後をかざる忠臣ほど、あわれにも悲壮なものはない。  審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打った。 「せめて、故主の城址に、その屍でも葬ってやろう」  冀州の城北に、墳を建て、彼は手厚く祠られた。  建安九...

孔明の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
蜀呉修交

一  要するに、陸遜の献策は。  一つには魏の求めに逆らわず、二つには蜀との宿怨を結ばず、三つにはいよいよ自軍の内容を充実して形勢のよきに従う。  ということであった。  呉の方針は、それを旨として、以後、軍は進めて、あ...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
鹿と魏太子

一  孔明還る、丞相還る。  成都の上下は、沸き返るような歓呼だった。後主劉禅にも、その日、鸞駕に召されて、宮門三十里の外まで、孔明と三軍を迎えに出られた。  帝の鸞駕を拝すや、孔明は車から跳びおりて、 「畏れ多い」と、...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
呉の外交

一  ――それより前に。  張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、 「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
柑子と牡丹

一  呉に年々の貢ぎ物をちかわせて来たことは、遠征魏軍にとって、何はともあれ、赫々たる大戦果といえる。まして、漢中の地が、新たに魏の版図に加えられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄々、...

本文 三国志 遠南の巻
8ヶ月 ago
私情を斬る

一  漢中王の劉玄徳は、この春、建安二十五年をもって、ちょうど六十歳になった。魏の曹操より六ツ年下であった。  その曹操の死は、早くも成都に聞え、多年の好敵手を失った玄徳の胸中には、一抹落莫の感なきを得なかったろう。敵ながら惜し...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
二次出師表

一  蜀呉の同盟はここしばらく何の変更も見せていない。  孔明が南蛮に遠征する以前、魏の曹丕が大船艦を建造して呉への侵寇を企てた以前において、かの鄧芝を使いとして、呉に修交を求め、呉も張蘊を答礼によこして、それを機会にむすばれた...

五丈原の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
後漢

後漢(ごかん)とは 後漢とは、中国の歴史上、紀元25年から220年まで存在した王朝で、漢王朝の中でも「後期」に当たる政権です。前の「前漢(紀元前206年〜8年)」に対してこのように呼ばれます。 【歴史と成立】 ・創始者:劉秀(り...

地名 三国志
8ヶ月 ago
建艦総力

一  魏ではこのところ、ふたりの重臣を相次いで失った。大司馬曹仁と謀士賈詡の病死である。いずれも大きな国家的損失であった。 「呉が蜀と同盟を結びました」  折も折、侍中辛毘からこう聞かされたとき、皇帝曹丕は、 「まちがい...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
この一戦

一  その後、蜀の大軍は、白帝城もあふるるばかり駐屯していたが、あえて発せず、おもむろに英気を練って、ひたすら南方と江北の動静をうかがっていた。  ときに諜報があって、 「呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
鶏家全慶

一  渭水の早馬は櫛の歯をひくように洛陽へ急を告げた。  そのことごとくが敗報である。  魏帝曹叡は、色を失い、群臣を会して、誰かいま国を救う者はなきや、と憂いにみちて云った。  華歆が奏した。 「この上は、ただ帝み...

五丈原の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
淮河の水上戦

一  孫権にとって甥の孫韶は義理ある兄の子でありまた兄の家、愈氏の相続人であった。だから彼が死罪になれば、兄の家が絶えることにもなる。  身は呉王の位置にあっても、軍律の重きことばかりは、如何ともし難いので、孫権はそんな事情まで...

出師の巻 本文 三国志
8ヶ月 ago
曹丕

三国志 人名
8ヶ月 ago