冒頭 周郎赤壁(しゅうろうせきへき)とは、呉の若き都督で「周郎」と称された周瑜と、長江流域で行われた赤壁の戦いとを結びつけて言う語で、赤壁における周瑜の統率と計略を代表させた呼び方です。周瑜は当時「美周郎」とも呼ばれ、年少の俊...
一 孔明の従えてきた荊州の舟手の兵は、みな商人に姿を変えていた。玄徳と夫人、また随員五百を各〻の舟に収容すると、たちまち、櫓櫂をあやつり、帆を揚げて、入江の湾口を離れた。 「やあ、その舟返せ」 呉の追手は、遅ればせに来て...
一 周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。 また彼の妻は、策の妃の妹であるから、現在の呉主孫権と周瑜とのあいだは、義兄弟に当るわけである。 彼は、盧江の生れで、字を公瑾といい、孫策に知られてその将となるや、わずか二十...