周郎赤壁

冒頭
周郎赤壁(しゅうろうせきへき)とは、呉の若き都督で「周郎」と称された周瑜と、長江流域で行われた赤壁の戦いとを結びつけて言う語で、赤壁における周瑜の統率と計略を代表させた呼び方です。周瑜は当時「美周郎」とも呼ばれ、年少の俊英として呉中で知られていました
 
概要
赤壁は、曹操軍の南下に対し、孫権配下の周瑜が水軍を率いて対抗し、黄蓋らとともに水上戦を主導した会戦です。作中では、周瑜が出陣前に軍神への祭儀を行い、総勢を出航させて決戦に臨む指揮官として描かれます 。戦いは曹操側の艦船群が大火に包まれて潰走する帰結へ至り、赤壁の敗北が曹操の大打撃として叙述されます
 
意味
周郎」は周瑜の通称で、若さと容姿・才気を備えた将としての呼称を含みます。作中でも呉人が周瑜を「周郎」「美周郎」と呼び、孫策と同年で早くから重職に就いた来歴や、孫権との義兄弟関係が説明されます 。このため「周郎赤壁」は、赤壁の勝利を周瑜個人の功績として象徴させる言い方になり得ます。
 
関連人物
黄蓋赤壁周瑜配下の宿将として行動し、戦闘の局面でも名が挙がります 。また諸葛亮は、赤壁後の駆け引きの中で周瑜と鋭く対立し、周瑜の策を外側から崩す存在として扱われます 。周瑜はその後も対蜀・対魏の構想に関わり、心労と憤激のうちに「孔明と並び立てぬ」趣旨の慨嘆を残して没する筋立ても示されます
 
史実との違い
吉川三国志では、赤壁後の周瑜諸葛亮との対抗関係に強く置き、周瑜の死因を孔明への憤激と結びつけて説明する傾向があり、史実(正史)での周瑜像より心理的対立が前面化します
「周郎赤壁」登場回数
合計: 0回
0 0 0 0 0 0 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約6時間前