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朝廟

冒頭 朝廟(ちょうびょう)とは、君主が臣下と政務を議する朝廷の場を、廟堂の語感をまじえて指す言い方です。吉川英治『三国志』では、政治権力が集まる中枢としての朝廷・公卿百官の世界を意味する語として用いられます 。 概要 ...

用語
34分 ago
廟堂

冒頭 廟堂(びょうどう)とは、祖先をまつる宗廟と朝廷の政務の場を重ねて言い、転じて国家の中央政府や朝廷首脳部を指す言葉です。吉川英治『三国志』では「漢室の廟堂」「廟堂人あるも人なきに似」などの形で、漢王朝の統治中枢そのもの、ま...

用語
約7時間 ago
秋風陣

一  潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...

本文 桃園の巻 三国志
7ヶ月 ago
檻車

一  義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。 (よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休むいとまもなく、(ここはも...

本文 桃園の巻 三国志
7ヶ月 ago
孟徳新書

一 「ここは奥書院、俗吏は出入りしませんから、しばし静談しましょう。さあ、お着席ください」  楊修は、張松へ座をすすめ、自ら茶を煮て、遠来の労を慰めた。 「蜀道は天下の嶮岨とうけたまわる。都まで来るには、ひとかたならぬご辛苦...

本文 望蜀の巻 三国志
7ヶ月 ago
出師の表

一  馬謖は云った。 「なぜか、司馬懿仲達という者は、あの才略を抱いて、久しく魏に仕えながら、魏では重く用いられていません。彼が曹操に侍いて、その図書寮に勤めていたのは、弱冠二十歳前後のことだと聞いています。曹操、曹丕、曹叡、三...

出師の巻 本文 三国志
7ヶ月 ago
一書十万兵

一  その後、玄徳は徐州の城へはいったが、彼の志とは異っていた。しかし事の成行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈はもうゆるさなくなってきたのである。  玄徳の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な...

臣道の巻 本文 三国志
7ヶ月 ago
七歩の詩

一  曹丕が甚だしく怒った理由というのはこうであった。  以下、すなわち令旨をたずさえて、曹植のところから帰ってきた使者の談話である。 「――私が伺いました日も、うわさに違わず、臨淄侯曹植様には、丁儀、丁廙などという寵臣を侍...

出師の巻 本文 三国志
7ヶ月 ago
霹靂車

一  呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのため却って、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、いちじるしく強化された。  国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。 ...

孔明の巻 本文 三国志
7ヶ月 ago
祁山の野

一  蜀軍の武威は大いに振った。行くところ敵なきその形容はまさに、原書三国志の記述に髣髴たるものがうかがわれる。 ――蜀ノ建興五年冬、孔明スデニ天水、南安、安定ノ三郡ヲ攻取リ、ソノ威、遠近ヲ靡カセ、大軍スデニ祁山ニ出デ、渭水ノ西ニ...

五丈原の巻 本文 三国志
7ヶ月 ago
蛍の彷徨い

一  何進の幕将で中軍の校尉袁紹は、何進の首を抱いて、 「おのれ」と、青鎖門を睨んだ。  同じ何進の部下、呉匡も、 「おぼえていろ」と、怒髪を逆だて、宮門に火を放つと五百の精兵を駆って、なだれこんだ。 「十常侍をみな...

本文 桃園の巻 三国志
7ヶ月 ago
大権転々

一  西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。  郿塢の城から敗走した大軍だった。  董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、 「伏して、赦を乞う」 ...

群星の巻 本文 三国志
7ヶ月 ago
乱兆

一  時は、中平六年の夏だった。  洛陽宮のうちに、霊帝は重い病にかかられた。  帝は病の篤きを知られたか、 「何進をよべ」  と、病褥から仰せ出された。  大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺して...

本文 桃園の巻 三国志
7ヶ月 ago