冒頭 後将軍(こうしょうぐん)とは、後漢末から三国時代にかけて用いられた将軍号の一つで、前将軍・左将軍・右将軍などと並ぶ高位の武官称号です。 概要 将軍号は、朝廷が武人に与える官位であると同時に、軍権や政治的地位を保証する標...
冒頭 左将軍(さしょうぐん)とは、後漢末の朝廷で用いられた将軍号の一つで、武官に与えられる高位の軍職称号です。軍の統率権を伴う場合もある一方、功績の顕彰や政治的な懐柔として授けられる名目的叙任にも用いられました。 概要 ...
樊稠(はんちゅう)とは、董卓の死後に台頭した李傕・郭汜・張済らと並ぶ「四将」の一人で、長安を制圧したのち右将軍に任ぜられた武将です。やがて宴席で李傕に「裏切者」と断じられ、密告と疑心暗鬼の果てにその場で斬られます 。 生涯 ...
一 馬謖は云った。 「なぜか、司馬懿仲達という者は、あの才略を抱いて、久しく魏に仕えながら、魏では重く用いられていません。彼が曹操に侍いて、その図書寮に勤めていたのは、弱冠二十歳前後のことだと聞いています。曹操、曹丕、曹叡、三...
一 さて。――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働...
一 西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。 郿塢の城から敗走した大軍だった。 董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、 「伏して、赦を乞う」 ...