猪口才(ちょこうさい)とは 「猪口才」とは、口先ばかり達者で実力が伴わないことを意味する言葉である。小賢しい、へりくつを言う、といった否定的なニュアンスを含む。日常的には「口だけ達者」「生意気な小理屈」という意味合いで用いられる。 ...
一 この暁。 洛陽の丞相府は、なんとなく、色めき立っていた。 次々と着いてくる早馬は、武衛門の楊柳に、何頭となくつながれて、心ありげに、いななきぬいていた。 「丞相、お目をさまして下さい」 李儒は、顔色をかえ...
一 このところ髀肉の嘆にたえないのは張飛であった。常に錦甲を身に飾って、玄徳や孔明のそばに立ち、お行儀のよい並び大名としているには適しない彼であった。 「趙雲すら桂陽城を奪って、すでに一功を立てたのに、先輩たるそれがしに、欠伸...
一 胡華の家を立ってから、破蓋の簾車は、日々、秋風の旅をつづけていた。 やがて洛陽へかかる途中に、一つの関所がある。 曹操の与党、孔秀というものが、部下五百余騎をもって、関門をかためていた。 「ここは三州第一の要害...
一 大暑七月、蜀七十五万の軍は、すでに成都を離れて、蜿蜒と行軍をつづけていた。 孔明は、帝に侍して、百里の外まで送ってきたが、 「ただ太子の身をたのむ。さらばぞ」 と玄徳に促されて、心なしか愁然と、成都へ帰った。 ...
一 周瑜は、その後も柴桑にいて瘡養生をしていたが、勅使に接して、思いがけぬ叙封の沙汰を拝すると、たちまち病も忘れて、呉侯孫権へ、次のような書簡をしたためて送った。 天子、詔を降して、いま不肖周瑜に、南郡の太守に封ずとの恩命があり...
一 張飛は、不平でたまらなかった。――呂布が帰るに際して、玄徳が自身、城門外まで送りに出た姿を見かけたので、なおさらのこと、 「ごていねいにも程がある」と、業腹が煮えてきたのであった。 「家兄。お人よしも、度が過ぎると、馬...