冒頭 呉城(ごじょう)とは、江東の呉郡方面にある城郭都市で、孫策が勢力をのばす過程で攻囲の対象となった城です。 概要 呉の地は長江下流域の水運と平野部の生産力を背景に諸勢力が割拠しやすく、要地の城は軍事拠点であると同...
冒頭 厳与(げんよ)とは、江東の呉郡一帯で勢力を張った厳白虎の弟で、孫策の江東平定戦において兄の意を伝える講和使者として動き、交渉決裂の末に孫策に斬られた人物です。 生涯 厳白虎が自ら「東呉の徳王」と称して呉郡に威を...
冒頭 子烈(しれつ)とは、呉の武将・陳武(ちんぶ)の字(あざな)です。陳武は盧江・松滋(現在の安徽省安慶付近)の出身とされ、同郷の周瑜と縁があって孫策の軍に合流した人物として語られます。 生涯 孫策が江東へ勢力を伸ば...
冒頭 陳武(ちんぶ)とは、江東の孫策・孫権に仕えた呉の将で、字(あざな)を子烈(しれつ)という人物です。盧江・松滋(安徽省安慶付近)の出身で、同郷の周瑜と通じ、孫軍に合流して劉繇の留守城攻略に加わったとされます。 生涯 ...
冒頭 松滋(しょうじ)とは、吉川英治『三国志』において「盧江松滋(安徽省・安慶)」と注記される土地名です。 概要 作中では盧江の地域に属する地として示され、江東勢力が伸長していく局面で、人材の出自を示す地名として用い...
冒頭 盧江(ろこう)とは、長江下流域に属する地名で、作中では安徽省に比定される地域として示されます。 概要 盧江は、江東勢力が伸長していく過程で、人材の出自や周辺諸勢力の拠点として言及される土地です。周瑜が「盧江の生...
冒頭 蒋欽(しょうきん)とは、江東の呉に仕えた武将で、孫権のもとで「三十六将」の一人として列し、周瑜らの軍議にも名を連ねる将です。 生涯 作中では、周瑜が孫権の前で開く大評議に、周泰・呂蒙・潘璋・陸遜らと並んで出座す...
一 ひとまず、江東も平定した。 軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。 「ここが大事だ。ここで自分はなにをなすべきだろうか?」 孫策は自問自...
一 七日にわたる婚儀の盛典やら祝賀の催しに、呉宮の内外から国中まで、 「めでたい。めでたい」 と、千載万歳を謳歌している中で、独りひそかに、 「何たることだ」と、予想の逆転と、計の齟齬に、鬱憤のやりばもなく、仮病をと...
一 曹操は百戦練磨の人。孫権は体験少なく、ややもすれば、血気に陥る。 いまや、濡須の流域をさかいとして、魏の四十万、呉の六十万、ひとりも戦わざるなく、全面的な大激戦を現出したが、この、天候が呉に利さなかったといえ、呉は主将孫...
一 「この大機会を逸してどうしましょうぞ」 という魯粛の諫めに励まされて、周瑜もにわかにふるい起ち、 「まず、甘寧を呼べ」と令し、営中の参謀部は、俄然、活気を呈した。 「甘寧にござりますが」 「おお、来たか」 ...
一 柴桑城の大堂には、暁天、早くも文武の諸将が整列して、呉主孫権の出座を迎えていた。 夜来、幾度か早馬があって、鄱陽湖の周瑜は、未明に自邸を立ち、早朝登城して、今日の大評議に臨むであろうと、前触れがきているからである。 ...
一 いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って旺であったことはいうまでもない。 いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいてくるにおいてはである。 「漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事...
一 夜も日も馬に鞭打ちつづけた。さる程にようやく柴桑の地へ近づいて来る。玄徳はややほっとしたが、夫人呉氏は何といっても女性の身、騎馬の疲れは思いやられた。 だが幸い、途中の一豪家で車を求めることができ、夫人は車のうちに移した...
一 曠の陣頭で、晴々と、太史慈に笑いかえされたので、年少な孫策は、 「よしッ今日こそ、きのうの勝負をつけてみせる」と、馬を躍らしかけた。 「待ちたまえ」と、腹心の程普は、あわてて彼の馬前に立ちふさがりながら、 「口賢い...
一 一方、孫乾は油江口にある味方の陣に帰ると、すぐ玄徳に、帰りを告げて、 「いずれ周瑜が自身で答礼に参るといっておりました」と、話した。 玄徳は、孔明と顔見合わせて、 「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るという...
一 司馬懿仲達は、中軍の主簿を勤め、この漢中攻略のときも、曹操のそばにあって、従軍していた。 戦後経営の施政などにはもっぱら参与して、その才能と圭角をぽつぽつ現わし始めていたが、一日、曹操にこう進言した。 「魏の漢中進出...
一 かくて、小覇王孫郎の名は、旭日のような勢いとなり、江東一帯の地は、その武威にあらまし慴伏してしまったが、ここになお頑健な歯のように、根ぶかく歯肉たる旧領を守って、容易に抜きとれない一勢力が残っていた。 太史慈、字は子義。...