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黄匪

黄匪(こうひ)とは 黄匪とは、黄巾賊(こうきんぞく)を指す別称のひとつである。 「匪」とは「盗賊・ならず者」という意味を持つ漢字で、黄巾を頭に巻いた賊徒の集団を侮蔑的に呼ぶ際に使われた。 歴史的背景 後漢末期...

用語
2日 ago
秋風陣

一  潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
橋畔風談

一  蟠桃河の水は紅くなった。両岸の桃園は紅霞をひき、夜は眉のような月が香った。  けれど、その水にも、詩を詠む人を乗せた一艘の舟もないし、杖をひいて逍遥する雅人の影もなかった。 「おっ母さん、行ってきますよ」 「ああ、...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
檻車

一  義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。 (よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休むいとまもなく、(ここはも...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
桑の家

一  涿県の楼桑村は、戸数二、三百の小駅であったが、春秋は北から南へ、南から北へと流れる旅人の多くが、この宿場で驢をつなぐので、酒を売る旗亭もあれば、胡弓を弾くひなびた妓などもいて相当に賑わっていた。  この地はまた、太守劉焉の...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
岳南の佳人

一  いっさんに馳けた玄徳らは、ひとまず私宅に帰って、私信や文書の反故などみな焼きすて、その夜のうちに、この地を退去すべくあわただしい身支度にかかった。  官を捨てて野に去ろうとなると、これは張飛も大賛成で、わずかの手兵や召使い...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
転戦

一  それより前に、関羽は、玄徳の書をたずさえて、幽州涿郡(河北省・涿県)の大守劉焉のもとへ使いしていた。  太守劉焉は、何事かと、関羽を城館に入れて、庁堂で接見した。  関羽は、礼をほどこして後、 「太守には今、士を四...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
風の便り

一  大戦は長びいた。  黄河沿岸の春も熟し、その後袁紹の河北軍は、地の利をあらためて、陽武(河南省・原陽附近)の要害へ拠陣を移した。  曹操もひとまず帰洛して、将兵を慰安し、一日慶賀の宴をひらいた。  その折、彼は諸人...

三国志 臣道の巻 本文
8日 ago
義盟

一  桃園へ行ってみると、関羽と張飛のふたりは、近所の男を雇ってきて、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。  壇の四方には、笹竹を建て、清縄をめぐらして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄にして天を祭り、烏牛を屠ったことにして、...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
三花一瓶

一  母と子は、仕事の庭に、きょうも他念なく、蓆機に向って、蓆を織っていた。  がたん……  ことん  がたん  水車の回るような単調な音がくり返されていた。  だが、その音にも、きょうはなんとなく活気があり、歓...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
舞刀飛首

一  百官の拝礼が終って、 「新帝万歳」の声が、喪の禁苑をゆるがすと共に、御林軍(近衛兵)を指揮する袁紹は、 「次には、陰謀の首魁蹇碩を血まつりにあげん」  と、剣を抜いて宣言した。  そしてみずから宮中を捜しまわっ...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
乱兆

一  時は、中平六年の夏だった。  洛陽宮のうちに、霊帝は重い病にかかられた。  帝は病の篤きを知られたか、 「何進をよべ」  と、病褥から仰せ出された。  大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺して...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago
童学草舎

一  城壁の望楼で、今しがた、鼓が鳴った。  市は宵の燈となった。  張飛は一度、市の辻へ帰った。そして昼間ひろげていた猪の露店をしまい、猪の股や肉切り庖丁などを苞にくくって持つとまた馳けだした。 「やあ、遅かったか」 ...

三国志 本文 桃園の巻
8日 ago