三峡
No content available.
No content available.
巴蜀。すなわち四川省。 長江千里の上流、揚子江の水も三峡の嶮にせばめられて、天遠く、碧水いよいよ急に、風光明媚な地底の舟行を数日続けてゆくと、豁然、目のまえに一大高原地帯が展ける。 アジアの屋根、パミール高原に発する崑崙山系の起伏する地脈が支那西部に入っては岷山山脈となり、それらの諸嶺をめぐり流れる水は、岷江、金沱江、涪江、嘉陵江などにわかれては、またひとつ揚子江の大動脈へ注いでくる。 四川の名は、それに起因る。
臣みずから一軍をひきいて、必ず孤立の関羽を救いだしましょう。劉封の君、孟達などのご処分は、後にして然るべきかと存じます」 。 やがて張飛も駈けつけ、蜀中の兵馬も、続々と成都に入り、ここ両三日、三峡の密雲も風をはらみ、何となく物々しかった折も折、国中を悲嘆の底へつきおとすような大悲報は、遂に、最後の早馬によって、蜀宮の門に報じられた。(一夜、関羽軍は、麦城を出て、蜀へ走らんとし、途中、臨沮という所で、とうとう呉の大将潘璋の身内の馬忠という者の手で捕われました。そして即日、呉陣において、父子と...