長雨
司馬懿仲達の観るところでは、 。「呉は蜀を助けそうに見せているが、それはいつでも条約に対する表情だけで、本腰なものではない」という見解が確かめられていた。 号して八十万、実数四十万の大軍が、蜀境の剣門関へ押し寄せたのは、わずか十月の後で、洛陽の上下は呆気にとられたほど迅速かつ驚くべき大兵のうごきだった。 このとき、幸いにも、孔明の病はすでに恢復していた。「――血を吐いて昏絶す」というとよほどな重態か不治の難病にでも罹ったように聞えるが、「血を吐く」も「昏絶」も原書のよく用いている驚愕の極致...
五丈原の巻
本文
三国志