北山
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予は一手をひきいて南から山を越えてゆき、目ざす雒城で落ち会おう」と、いった。 龐統は不足な顔した。なぜなら北山の道は広くて越えやすいが、南山の道は狭く甚だしく嶮岨であるからだ。彼の顔いろを見て玄徳はこう云い足した。「ゆうべ、夢に怪神があらわれて、予の右の臂を、鉄の如意で打った。
急使のことばによると、 。「夏侯淵が討たれたと聞いた曹操の憤恨は、ひと通りなものでありません。自身二十万騎をひきい、先陣には徐晃を立て、濛々たる殺気をみなぎらして、漢水まで迫ってきましたが、何思ったか、そこで兵馬をとどめ、米倉山の兵粮を北山のほうへ移しておる様子です」 。 孔明は、すぐ情勢を判断して、玄徳に対策を洩らした。「察するに、曹操は、二十万という大兵を持ってきたため、その兵粮が続かなくなるのをおそれて、あらかじめ食糧の確保に心を用いているものと思われる。
且つなお部下へいった。「城兵わずか二千、もし恐れて逃げ走っていたら、今頃はもう生擒られていたであろう。――さるを司馬懿は今頃、ここを退いて道を北山に取っているにちがいないから、かねて伏せておいた我が関興、張苞らの軍に襲われ、痛い目に遭うているにちがいない」 。 彼は即時、西城を出て、漢中へ移って行った。西城の官民も、徳を慕って、あらかた漢中へ去った。
そして後に、 。「ふしぎにも命が助かった」と、慄然としたが、実にこの危地から彼を救った者は、さきに彼の忌諱にふれて、陣後に残された賈逵であった。曹休の前途を案ずる余り、賈逵が一軍をひきいて後より駈けつけ、石亭の北山に来合せたため、あやうくも曹休を救出して帰ることができたのだ。 この一角に魏が大敗を招いたので、他の二方面にあった司馬懿軍も万寵軍も、甚だしく不利な戦態に入り、ついに三方とも引き退くのやむなきに至った。 陸遜は、多大な鹵獲品と、数万にのぼる降人をひきつれて、建業へ還った。