北方
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「北方」登場回数
合計: 43回「北方」が登場する場面
7件七軍魚鼈となる
「もう心配はない。この上は一転して、攻勢に出で、魏の慢心を挫ぎ、わが実力の程を見せてくれねばならん」と、帷幕の人々と額をあつめて作戦をねっていた。 ところが魏軍はにわかに陣容を変えて、樊城の北方十里へ移ったという報告に、 。「さては早くも蜀の攻勢を怖れて、布陣を変えたとみえる」 。 と、軽忽を戒め合って、すぐその由を関羽に告げた。
于吉仙人
一。 呉の国家は、ここ数年のあいだに実に目ざましい躍進をとげていた。 浙江一帯の沿海を持つばかりでなく、揚子江の流域と河口を扼し、気温は高く天産は豊饒で、いわゆる南方系の文化と北方系の文化との飽和によって、宛然たる呉国色をここに劃し、人の気風は軽敏で利に明るく、また進取的であった。 彗星的な風雲児、江東の小覇王孫策は、当年まだ二十七歳でしかないが、建安四年の冬には、廬江を攻略し、また黄祖、劉勲などを平げて恭順を誓わせ、予章の太守もまた彼の下風について降を乞うてくるなど――隆々たる勢いであった...
仲秋荒天
呂布の軍勢は、東から。劉玄徳の兵は西から。 また、曹操は北方の山をこえて、淮南の野を真下にのぞみ、すでにその総司令部を寿春からほど遠からぬ地点まで押しすすめてきたという。 寿春の上下は色を失い、城中の諸大将も、評議にばかり暮しているところへ、またまた、西南の方面から、霹靂のような一報がひびいてきた。 曰く、 。
健啖天下一
陳宮は、退いた、忠ならんとすれば、却って諂佞の臣と主人の口からまでいわれる。「如かず、門を閉じて」と、彼はしばらく引籠ったまま徐州城へも出なかった。そのうち北方の公孫瓚と袁紹との戦乱が聞えてくる。四隣の物情はなんとなく騒然たるものを感ぜしめる。「そうだ。
具眼の士
ときに魏は改元第二年を迎えて、青龍二年春二月だった。 去年、摩坡という地方から、青龍が天に昇ったという奇異があって、これ国家の吉祥なりと、改元されたものである。 また、司馬懿はよく天文を観るので、近年北方の星気盛んで、魏に吉運の見えるに反し、彗星太白を犯し、蜀天は晦く、いまや天下の洪福は、わが魏皇帝に幸いせん――と予言していたところなので、 。「孔明三年の歳月を備えに蓄えて六度祁山に出づ」 。 という報に接したときには、 。
出廬
「おお」 。「荊州の地たるや、まことに、武を養い、文を興すに足ります。四道、交通の要衝にあたり、南方とは、貿易を営むの利もあり、北方からも、よく資源を求め得るし、いわゆる天府の地ともいいましょうか。――加うるに、今、あなたにとって、またとなき僥倖を天が授けているといえる理由は――この荊州の国主劉表が優柔不断で、すでに老病の人たる上に、その子劉琦、劉琮も、凡庸頼むに足りないものばかりです。――益州(四川省)はどうかといえば、要害堅固で、長江の深流、万山のふところには、沃野広く、ここも将来を約...
北客
旅舎の者は、下へもおかないあつかいである。 この都でも、冀州の袁紹と聞けば、誰知らぬ者はない。天下の何分の一を領有する北方の大大名として、また、累代漢室に仕えた名門として、俗間の者ほど、その偉さにかけては、新興勢力の曹操などよりははるかに偉い人――という先入主をもっていた。二。 今しがた禁裏を退出した曹操は、丞相府へもどって、ひと休みしていた。