南昌
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と、その後任に、転任をいい渡された。 こんどは、太守の格である。栄転にはちがいないが、任地の南昌へ行ってみると、ずっと文化は低いし、土地には、新任の太守に服さない勢力が交錯しているし――もっと困った問題は、 。「彼は、漢の朝廷から任命された太守ではないんだ。われわれはそういう朦朧地方官に服する理由をもたない」と、弾劾する声の日にまして高くなってきたことである。
曹操は、至極とうなずいて、 。「そう、そう、よく気づいた。孫権へ驃騎将軍、南昌侯の印綬を送ってやろう。そして荊州の牧を命ずと、発表するがよい」と、手続きを命じた。 その晩、彼は夢を見た。
「すでに彼は、朕に臣礼をとっておる。叛かぬ者を伐つ名分はない」 。「それはまだ孫権の官位も軽く、驃騎将軍南昌侯という身分に過ぎないからでした。けれどもこれからは呉王と称して、陛下ともわずか一階を隔つる身になってくれば、自然心は驕り、勢威はつき、何を云い出してくるかわかりません。そのとき陛下が逆鱗あそばして討伐の軍を発せられましょうとも、世人はそれを見て、魏は江南の富や美女を掠めんとするものであると口を揃えて非を鳴らすでしょう」 。