嘉陵
No content available.
No content available.
すなわち四川省。 長江千里の上流、揚子江の水も三峡の嶮にせばめられて、天遠く、碧水いよいよ急に、風光明媚な地底の舟行を数日続けてゆくと、豁然、目のまえに一大高原地帯が展ける。 アジアの屋根、パミール高原に発する崑崙山系の起伏する地脈が支那西部に入っては岷山山脈となり、それらの諸嶺をめぐり流れる水は、岷江、金沱江、涪江、嘉陵江などにわかれては、またひとつ揚子江の大動脈へ注いでくる。 四川の名は、それに起因る。河川流域の盆地は、米、麦、桐油、木材などの天産豊かであり、気候温暖、人種は漢代初期から...
と思ったか、曹操も、やや辞をやわらげて、ご辺は、仙術でも得た者ではないかとたずねた。 左慈は、答えて、 。「郷を出てから、西川の嘉陵へさまよい、峨眉山中に入って、道を学ぶこと三十年。いささか雲体風身の術を悟り、身を変じ、剣を飛ばし、人の首を獲ることなど今はいと易きまでになり得ました。ところで、大王の今日を見るに、はや人臣の最高をきわめ、これ以上の人慾は、人間の地上では望むこともないでしょう。