夏口
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その為人を、孫権も愛で惜しむのであった。 後。 凌統には、承烈都尉の封を与え、甘寧には兵船百隻に、江兵五千人をあずけ、夏口の守りに赴かせた。 凌統の宿怨を、自然に忘れさせるためである。三。
――一体どうしてここへは。 人々が怪しんで問うと、孔明は微笑して、 。「およそこの辺にいたら、各〻と落合えるであろうかと、夏口の兵を少し募って、お待ちしていただけです」と、あまり多くを語らなかった。二。 危急に迫って、援軍をたのんでも、援軍の間に合う場合は少ないものであるが、それの間に合ったのは、やはり孔明自身行って、関羽や劉琦をよく動かしたからであろう。
(後日、またの機会に) 。 と、独りひそかに誓われていたにちがいなかった。 ――こうした南方の情勢一変と、孔明の身辺に一抹の凶雲がまつわって来つつある間に、一方、江夏の玄徳は、そこを劉琦の手勢に守らせて、自身とその直属軍とは、夏口(漢口)の城へ移っていた。 彼は、毎日のように、樊口の丘へ登って、 。「孔明は如何にせしか」と、長江の水に思慕を託し、また仰いでは、 。
近づいて見れば、自分の安否を気づかって迎えにきた張飛と船手の者どもだった。「おおよくぞ、おつつがなく」 。 一同は、無事を祝しながら、主君の船を囲んで、夏口へ引揚げた。 玄徳の立ち帰った後――呉の陣中では、周瑜が、掌中の珠を落したような顔をしていた。 魯粛は、意地わるく、わざと彼にこういった。
烱眼明察、彼のごとき者を、呉の陣中に養っておくことは、呉の内情や軍の機密を、思いのまま探ってくれと、こちらから頼んで、保護してやっているようなものである――と思った。 と、いって、今さら。 孔明を夏口へ帰さんか、これまた後日の患いたるや必定である。たとい玄徳を呉の翼下にいれても、彼の如き大才が玄徳についていては、決して、いつまでそれに甘んじているはずはない。 その時に到れば、孔明が今日、呉の内情を見ていることが、ことごとく呉の不利となって返って来るだろう。
しかし、魯粛としては、気が気ではなかった。舳艫を連ねて北進して行く船は、行けども行けどもさかのぼっている。「もしやこのまま、二十余艘の軍船と兵と、この魯粛の身を土産に、夏口まで行ってしまうつもりではあるまいか。」 。 などと孔明の肚を疑って、魯粛はまったく安き思いもしなかった。
その大船の艫には、「帥」の字を大きく書いた旗を立て、弩千張と黄鉞銀鎗を舷側にたてならべ、彼は将台に坐し、水陸の諸大将すべて一船に集まって、旺なる江上の宴を催した。 大江の水は、素絹を引いたように、月光にかすんでいた。――南は遠く呉の柴桑山から樊山をのぞみ、北に烏林の峰、西の夏口の入江までが、杯の中にあるような心地だった。「ああ楽しいかな、男児の業。眸は四遠の地景をほしいままにし、胸には天空の月影を汲む。