大名
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玄徳は、その後、わずかな腹心と共に、広陵の山寺にかくれていた。 乱世の慣いとはいえ、一歩踏みはずすと、その顛落は実に早い。三日大名、一夜乞食ということは当時の興亡浮沈にただよわされていた無数の英雄門閥の諸侯にそのまま当てはまっている言葉だった。 玄徳といえども、その風雲の外にはいられなかった。あれから袁一門の部族からこもごも奇襲をうけて、敗亡また敗亡の非運をつづけていた。
旅舎の者は、下へもおかないあつかいである。 この都でも、冀州の袁紹と聞けば、誰知らぬ者はない。天下の何分の一を領有する北方の大大名として、また、累代漢室に仕えた名門として、俗間の者ほど、その偉さにかけては、新興勢力の曹操などよりははるかに偉い人――という先入主をもっていた。二。 今しがた禁裏を退出した曹操は、丞相府へもどって、ひと休みしていた。
わたくしは、漢室の鄙徒、涿郡の愚夫。まあ、そんな者でしかありません。先生の大名は、耳に久しく、先生の神韻縹渺たるおすがたには、今日、初めて接する者です。どうかこの後は、よろしくご示教を」 。「ご謙遜でいたみ入る。
一。 このところ髀肉の嘆にたえないのは張飛であった。常に錦甲を身に飾って、玄徳や孔明のそばに立ち、お行儀のよい並び大名としているには適しない彼であった。「趙雲すら桂陽城を奪って、すでに一功を立てたのに、先輩たるそれがしに、欠伸をさせておく法はありますまい」 。 と、変に孔明へからんで、次の武陵城攻略には、ぜひ自分を――と暗に望んだ。