兇門脱出
もとより満寵は、それらの見聞をあつめに行って帰ってきた者、その語るところはつぶさだし、信もおける。 彼の言によれば。 北平の公孫瓚は、近年、冀州の要地に、易京楼と名づける大城郭を興し、工も完く成ったので、一族そこへ移っていた。 易京楼の規模はおそろしく宏大で、一見、彼の勢威いよいよ旺なりとも思えるが、事実は左にあらずで、年ごとに領境を隣国の袁紹に蚕食され、旧来の城池では不安をおぼえてきたための大土木であり、そこへ移ったのは、すでに後退を示した衰兆の一歩であった。 公孫瓚はそこに粮米三十万石...
臣道の巻
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三国志