天水
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孔明は落着いていた。四。 南安は、西は天水郡に連なり、北は安定郡に通じている嶮峻にあった。 孔明はそのあくる日、仔細に地理を見て歩き、後、関興と張苞を帷幕に招いて、何事か計を授けていた。 また、物馴れた人物を選んで、偽使者に仕立て、これにも何やら言いふくめた。
一。 それよりも前に、天水郡の太守馬遵は、宿将重臣を集めて、隣郡の救援について、議するところがあった。 主記の梁虔がその時云った。「夏侯駙馬は、魏の金枝玉葉。
蜀軍の武威は大いに振った。行くところ敵なきその形容はまさに、原書三国志の記述に髣髴たるものがうかがわれる。――蜀ノ建興五年冬、孔明スデニ天水、南安、安定ノ三郡ヲ攻取リ、ソノ威、遠近ヲ靡カセ、大軍スデニ祁山ニ出デ、渭水ノ西ニ陣取リケレバ、諸方ノ早馬洛陽ヘ急ヲ告ゲルコト、霏々雪ノ飛ブガ如シ。 このとき魏はその国の大化元年にあたっていた。 国議は、国防総司令の大任を、一族の曹真に命じた。
「曹真の陣を横ざまに攻め立てておれ。彼はその気勢に怖れて、よもや圧倒的な行動には出てきまい。……その間に、われは人を派して、天水、南安、安定の三郡の軍官民のすべてをほかへ移し、それを漢中へ入れるであろう」 。 退却の手筈はここに調った。 かくて孔明自身は、五千余騎をつれ、真先に、西城県へ行った。
と、打ち明けて、懐中から一書を取りだした。 曹真がひらいてみると、まぎれなき姜維の文字だ。読み下すに、誤って、孔明の詭計に陥ち、世々魏の禄を喰みながら、いま蜀人のうちに在るも、その高恩と、天水郡にある郷里の老母とは、忘れんとしても忘るることができない――と言々句々、涙を以て綴ってある。 そして、終りには。 ――しかし、待ちに待っていた時は今眼前に来ている。