太史慈

冒頭
太史慈(たいしじ)とは、江東勢力の伸長期に孫策孫権に仕え、騎射と武勇で名を知られた呉の武将です。元は東莱の人として名乗り、劉繇配下として孫策と対峙したのち、捕縛を経て孫策の幕下に加わります。
 
生涯
劉繇の陣中で自ら出撃を願い、孫策を「手捕り」にすると誓って単騎で駆け、神亭廟付近で孫策と激戦します。槍を交えて五十余合から百余合に及ぶ勝負の中、組み討ちとなって互いの兜や短剣を奪い合う形となり、決着がつかぬまま両軍の増援で戦いは乱れます。
のち戦況の中で太史慈は沼沢地で捕らえられ、孫策本陣へ引き立てられます。そこで太史慈は「孫郎か、はやわが首を刎ね落し給え」と言い、孫策は「死は易く、生は難し」と諭します。
孫策配下となった後は、旧劉繇軍の残兵をまとめる策を進言し、「三日間ほど自由に放して」ほしいと願って許され、兵を集めて帰参することで信義を示します。
また孫策江東攻略では、城上の敵将の掌を梁に射つける一矢で名射を示し、軍中の士気にも影響を与えます。
孫権期には呉の「譜代の大将」として張遼と長槍で八十余合戦い、戦場で主君を支える位置に立ちます。
晩年は南徐方面の戦いで陣中に没し、臨終に「大丈夫たるもの、三尺の剣を帯びて、この中道に仆る」などと叫んだとされています(享年四十一)。
 
人物像
孫策の挑発に応酬しつつ再戦を申し出るなど、気骨と自負の強さが描かれます。
一方で、配下となってからは敗残兵を「惜しむべき大将や兵卒らも入りまじって」いるとして吸収・選別を提案し、兵の見立てと用兵の意識も示します。
 
関係人物
孫策とは一騎打ちと捕縛・登用を通じて主従へ転じ、孫策の度量によって三日間の放免を得ます。
劉繇は前半の主であり、太史慈は劉繇配下として孫策を狙って出撃します。
孫権期には張遼と対峙し、呉の中核将として戦線に立ちます。
 
有名なエピソード
神亭廟付近での孫策との一騎打ちと組み討ち、互いの兜と短剣を取り合う場面。
捕縛後の対面で処断を求める一方、登用後は放免を受けて敗残兵を集め、期限付きで帰参する逸話。
城上の敵将の掌を射て梁に縫い止める射技。
 
有名なセリフ
孫郎か、はやわが首を刎ね落し給え」
「大丈夫たるもの、三尺の剣を帯びて、この中道に仆る」
 
史実との違い
吉川三国志では孫策との一騎打ちや捕縛後の応酬が大きく組み立てられる一方、史実・演義の範囲や語り方には差があり、特に一騎打ちの劇的な細部は物語化の影響を受けやすい部分です。
「太史慈」の基本情報
総登場回数
90回
活動期間
3巻にわたって登場
初回登場
草莽の巻
最終登場
望蜀の巻
最も活躍した巻
草莽の巻 (72回登場)
「太史慈」登場回数
合計: 90回
0 18 36 54 72 0 桃園の巻 0 群星の巻 72 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 3 赤壁の巻 15 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約5時間前