安城
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と、韓遂は即日やって来て、馬超軍に身を投じた。 西涼の精猛数万、殺到して、ここに、潼関(陝西省)へ攻めかかる。 長安(陝西省・西安)の守将鍾繇は、驚死せんばかりに仰天して、曹操のほうへ、早馬をもって、急を告げる一方、防ぎにかかったが、西涼軍の先鋒馬岱に蹴ちらされて、早くも、長安城へ逃げ籠る。 長安は、いま廃府となっていたが、むかし漢の皇祖が業を定めた王城の地。さすがに、要害と地の利は得ている。
孔明はそのあくる日、仔細に地理を見て歩き、後、関興と張苞を帷幕に招いて、何事か計を授けていた。 また、物馴れた人物を選んで、偽使者に仕立て、これにも何やら言いふくめた。準備期間が終ると、南安城への攻撃を開始した。そしてもっぱら、流言を放って、 。「柴を積み、硝薬を用いて、火攻めにして陥さん」 。
さはいえまだ紅顔の美少年といってもいい若武者、いかにその天質が人よりすぐれて武技兵法に通達する者にせよ、一城一郡の興廃を、かかる弱冠の者の一言に託すのは無謀であるという意見も、一族や侍臣のうちにないこともなかったが、馬遵はふかく姜維に感じていたので、 。「もし姜維の観察がまちがっていたところで、それが間違いなら何も味方にも損失はないことだ。ともあれ彼の献策を用いてみよう」と、ふたたび触れ出して、その日の午過ぎから出陣を開始し、南安城の後詰に行くと称えて、城外約三、四十里まで進んだ。一方、孔...
そして目に余るほどな魏の大軍に反撃を加え、遂には、先を争って城外へ突出し、雍涼勢の新手をも粉砕して、数日の間に、さしもの敵を遠く退けてしまった。 けれど一難去ればまた一難。全城凱歌に沸き満ちているいとまもなく、永安城にある味方の李厳から計らずも意外な情報を急に告げてきた。
一。 永安城の李厳は、増産や運輸の任に当って、もっぱら戦争の後方経営に努め、いわゆる軍需相ともいうべき要職にある蜀の大官だった。 今その李厳から来た書簡を見ると、次のようなことが急告してある。近ゴロ聞ク東呉、人ヲシテ洛陽ニ入ラシム。
孔明は、拠るところの祁山へ兵を収めたが、勝ち軍に驕るなかれと、かえって全軍を戒めていた。そしていよいよ初志の目標にむかい、長安、洛陽へ一途進撃して、漢朝一統の大業を果さんものとかたく期していたが、ここに測らずも軍中の一些事から、やがて大きな蹉跌を来たすにいたった。 後方の増産運輸に力を入れていた李厳が、永安城から前線へ兵糧を送らせて来た。その奉行は都尉苟安という男だったが、酒好きのため、途中でだいぶ遊興に日を怠り、日限を十日余りも遅れてやっと祁山に着いた。「はて、なんと弁解しようか」 。